第五曲 強がりピアニスト

 たっぷりの余韻を残して、演奏が終わった。
 あたしは両手をぎゅっと握り合わせて、小さな声で「ありがとう」とつぶやく。
 寒かったけれど、最後までまちがえずに弾けた。

 拍手の波が引くと、次は「わぁっ」と声が上がった。
 ヴァイオリンを置いて立ち上がった九能くんが、一輪のバラを手にしたからだ。
 向かう先は――もうわかるよね。
 花嫁役の奏だ。
 
 これが、店長さんの提案。
 婚約の贈り物として知られる『愛の挨拶』を演奏するなら、ちょっと演出を入れて盛り上げたいって。
 店長さんのとなりには、大きなおなかの女性がいる。
 バレンタインの今日は、店長さんと奥さまの3回目の結婚記念日なんだって。
 ロマンチックな演出をしたいっていうのは、イベントを盛り上げるためでもあり、奥さまへの贈り物でもあるんだろうね。

 九能くんがひざまずいて奏にバラを渡すと、奏はそれを受け取り、ドレスをつまんでおじぎをした。
 再び顔を上げた奏が、とびきりの笑顔を浮かべる。
(か……かっわいい……!)
 悲鳴を上げている九能くんのファンには悪いけれど、見目よいふたりの【演出】は、息をするのも忘れるほど美しかった。
 ちょっと「お似合いかも」とも思ってしまう。

(なんか、いいなぁ……)
 ふたりには、あたしにはない「華」がある。
 何度も何度も何度も、頭の中でくりかえしてきたことだけど。
 ふたりには、音楽の才能もあって。
 本当のところは、すごくうらやましい。
 すっごく、すっごく! うらやましい。
 叫び出したい気持ちを意識したら、目から熱いものがこぼれ落ちそうだった。
 あふれないように顔を上に向けた、そのとき――。

「あの、一緒に写真撮ってもらってもいいですか?」
 声をかけられ、あわてて顔をぬぐった。
「はい! あっちのふたりですよね?」
 そう言いながら振り返ると、演奏前に手を振ってくれた小さな男の子がいた。
「わんわん!」
「あ、じゃなくて、うちの子がピアノのわんちゃんと写真を撮りたいみたいで」
 ニコニコした男の子の母親にスマホを向けられて、あたしはしゃがみこんだ。
「そっかぁー、ぼくはわんちゃんがいいかー」
 並ぶと、男の子にぎゅうっとハグされる。そのままぴょんぴょんジャンプするものだから、母親が「じっとして!」「撮るから止まって!」と声を張り上げていて、あたしは笑うしかなかった。

「ありがとうございました」
「ばいばい!」
「バイバイ、ありがとね」
 男の子に手を振って立ち上がる。
 見ると、九能くんは大量のチョコを抱えて立ち尽くしているし、奏は次々とポーズを決めながら多くのカメラマンに囲まれていた。
 よくわからないけど、イベントは成功ってことでいいのかな。

 そのとき、高校生くらいの女の子たちの会話が耳に入ってきた。
「すっごいよかったねー」
「かわいいし、いいもの聴けたって感じ」
「花嫁の子、モデルかなぁ?」
 高校生たちの高い声は、ひときわ響く。
「わんこもめっちゃよかったよね」
「ああ、あの【伴奏】の――」
 その言葉を聞いて、あたしはかぁっと顔が熱くなるのを感じた。

 ――言わなきゃ。
 言えばいい。
 ちがうって――。
「結ちゃんは伴奏じゃないよ!」
 食ってかかったのは、奏だった。
「結ちゃんのピアノは伴奏じゃない。あたしたちは、みんなが主役なの!」
 奏の勢いに、高校生たちはすっかり引いてしまっている。……と、思う。
 はっきりは、わからなかった。
 あたしの目からはなぜかボロボロ涙があふれ出てしまい、前が見えなかったから。
「ピアノ三重奏っていうのは、室内楽のひとつです」
 九能くんの声がして、次の瞬間にはあたしは頭からばさっと何かをかけられていた。
 それが九能くんの上着だと気付いたのは、もっとずっとあとのこと。
「星音学園高等部の先輩方なら、ご存じですよね」
 九能くんがそう言うと、高校生たちはそそくさと撤退してしまった。
 今の、星音学園の人たちだったんだ……。制服でわからなかったのが恥ずかしい。
「じゃ、着替えますかー」
「賛成」
 奏に腕を引っ張られて、九能くんに背中を押されて、あたしは店内へと駆け戻った。

 涙で終わったけれど、イベントは大成功だった。
 
 もっと、上手になってやる。
 ふたりと堂々と肩を並べられるようになってやる。
 星ノ宮一のピアニストになってやるんだから。

「覚悟しててね」

 そう言うと、奏と九能くんはきょとんとしたあと、ぶはっと笑った。
「出たー、結ちゃんの謎発言!」
「ハイハイ、なんでもやりますよ」
 奏はおなかを抱えて大笑いし、九能くんはあきらめたように笑っている。
 
 もしかして。
 今のあたし、めっちゃ主役じゃん?

 なんてね。

                                   おわり