第三曲 おしゃべりなチェロ

 昼休みの音楽室は、基本的には誰もいない。
 星音学園は音楽に力を入れている学校なだけあって、休み時間は誰でも楽器に触れていいことになっている。
「たまには奏のソロ演奏をじっくり聴きたいなって思って」
「ふぅん? で、何を弾けばいいの?」
「じゃあ、バッハの『無伴奏チェロ組曲 第1番 ~プレリュード~』」
 チェロの曲といえば、これ! っていう名曲。
「好きなように弾いてもいい?」
「もちろん」
 あたしがそう答えると、奏はちょっとあごを上げて得意げに笑った。

 チェロは、奏が進みたい道ではないのかもしれない。
 でも、奏がチェロを好きな気持ちは本物だ。
 
 奏は愛おしそうにチェロをなでてから、弓を手にする。
 すぅっと大きく息を吸ってから、音を奏で始めた。
 チェロの音色はとても深く、やわらかい。
 胸の奥まで響いてくる、やさしい音色。
 それだけじゃなくて、奏の音は、部屋中を自由に駆けめぐる。
 くるくる踊るように、ひとりひとりに話しかけるように。
 ――くすぐったくて、心地いい。

「って感じかな」
 2分ほどで、演奏が終わった。
 あたしはじんわりと熱くなった胸を押さえ、ほぅっと息を吐き出す。
「奏の音、ひとりじめしちゃった」
「ひとりじめって、大げさな。九能くんのヴァイオリンじゃあるまいし」
 奏がきゃははと笑った。
 そう、その感じ。
 奏のチェロは、まさに奏そのものなんだ。

「チェリストなら知ってると思うんだけど、チェロの音って、人の声にいちばん近い音っていわれてるんだって」
「うん、知ってるよ」
 奏が小首をかしげる。
 そんなしぐさもかわいくて、胸がくすぐられちゃう。
「あたしは、チェロの音なら奏の音がいちばん好き。華やかで、やさしくて、おしゃべりな音。奏にしか出せない音」
「あたしってば、チェロまでおしゃべりなの?」
「うん。奏の音は、おしゃべりだしやさしいしかわいいの」
「かわいい?」
「奏のチェロは主役級ってこと!」
 そう言って、あたしは奏にぎゅっと抱きついた。
「おぉぉーっと、チェロ! チェロが!」
 倒れそうになるチェロを必死に抱え、あぶない、あぶないとさわぎながら、あたしたちはケラケラと笑った。

   ※

 あたしと奏と九能くんは『愛の挨拶』の練習をしながら、ときどきちゃんと勉強もした。
 けっして「性格が合う」とか「仲良し」って感じではないんだけど、なんとなく一緒にいることが自然に感じられてくる。
 それが音楽の力なのかなって、あたしは考えているんだけど。

 そんなこんなであたしたちは無事に(?)期末テストの日程を終え、新オープンのカフェへと向かった。