第二曲 プロポーズの旋律

 部活の時間になると、ふしぎと奏のきげんは戻っていた。
「せっかくならさー、めっちゃくっちゃロマンチックな曲がよくない? 真田(さなだ)先生に聞いてみよっか? あ、でもロマンチストじゃなさそうだよねー」
 奏は音楽室にあるCDをうきうきと眺めながら明るい声を出している。

 そのうしろで、あたしと九能くんがチラッと目を合わせた。振り回され慣れているあたしたちだけど、やっぱり引っかかるものはあるよね。
 ちなみに「真田先生」っていのは、合奏部の顧問の先生。高級な猫を思わせるくせっ毛を持つ、あんまりやる気がないタイプの先生なんだ。音楽にはくわしいけど、ロマンチストかどうかはあたしにはわからない。

「まあ、天下の天才ヴァイオリニストくんもバレンタインに予定がないくらいだしねぇ」
 奏が九能くんを見てひひっと笑う。
 今日の奏はやけに九能くんにつっかかるなぁ……。

「ピアノ三重奏でできるロマンチックな曲といえば、すぐに思いつくのはこのあたりだけど」
 九能くんは奏の言葉をスルーして、一枚のCDを手に取った。九能くん、なんという大人の対応……。
「あ、『愛の挨拶』!」
 九能くんが示した曲に、奏がぱぁっと笑顔になった。
「昔の乙女ゲームで使われてた曲! めっちゃ好き!」
 曲が始まり、あたしは力強くうなずいた。
「エルガーの『愛の挨拶』、あたしも好き」
 ゲームのくだりはよくわからないけど、すごく優しくて甘い旋律の曲で、ピアノで弾いたことがある。
 もともとはヴァイオリンとピアノの曲だけど、ピアノ三重奏の編曲もあるんだ……!

「作曲者エルガーが婚約の贈り物として妻に捧げた曲として知られてる」
 九能くんの解説に、あたしの胸がきゅっと締めつけられた。
「それってつまり、プロポーズの曲ってこと?」
 なにそれ、めちゃくちゃロマンチック!

「ピアノ三重奏の編曲はこれ」
 九能くんが差し出したのは、CDじゃなくて譜面。それをひったくるようにして奪ったのは奏だった。
「え、めっちゃいい……!」
「そうなの?」
 あたしも譜面を覗き込む。
「ピアノ、ヴァイオリン、チェロが順番に主旋律を弾く。深いチェロの音色も、伸びやかなヴァイオリンの音色も、きらびやかなピアノの音色も、みんな――」
「――主役になる」
 九能くんの言葉の最後の部分を、奏が引き取ってつぶやいた。

 そこで、あたしは思い出した。
 今朝、奏が「主役になりたい」と言っていたことを。
 あれはどういう意味だったんだろう……?

「決まり! 絶対『愛の挨拶』やる!」
 そんなこんなで、カフェイベントで演奏する曲が決まった。
 幸い、みんなもともと弾ける曲だったから、すぐに合奏練習に入れた。

(これなら期末テストもなんとかなりそう)
 あたしはホッとして、クロスでていねいにチェロのお手入れをしている奏を見た。
 この様子なら、そろそろ聞いてもいいよね……?

   *

 部活が終わると、もう外は真っ暗だった。
「結ちゃん、うちの車に乗っていきなよ」
「いいの? めっちゃ助かる!」
「とはいえ、今日は遅れてるなー。ちょっと待つかも」
「全然いいよ」
 どうやら奏は、今朝あたしを置いていったことに気づいていないみたい。いつもは気づくのに気づかなかったっていうことは、考え事をしていたのかもしれない。

「あのさ、奏」
「うん?」
「最近、なんかあった?」
「……なんで?」
「なんとなく、今日はやたら九能くんにつっかかるなぁって」
「あー……」
 奏は目を泳がせてから、苦々しく笑った。
「だってさ、九能くんは『トップ』じゃん」
「それは、九能くんが人並み以上に努力しているからで――」
「わかってる! それはそう! ただ、なんていうの? 九能くんといると、あたしはいっつも脇役なのかなって。ピアノ三重奏って言いながら、いつもお客さんの目当ては九能くんじゃん?」
「そう、かな……? 奏が脇役ってことはないと思うけど……」
「だって、落ちたもん!」
「……え?」

「落ちたんだもん。オーディション」
 相変わらず、奏の言うことには脈絡がない。
 けど、その瞳に大粒の涙が浮かんでいることに気づいたから、あたしは何も言えなくなった。
「……ごめんね、ピアノ三重奏に全然関係なくて。あたし、オーディションに落ちたの。声優の」
「せ、声優⁉」
「大好きなマンガがアニメ化するって聞いて。主役は新人からオーディションで決めるっていうから、東京まで行って」
 突然の告白に戸惑いながらも、あたしはこくこくとうなずいた。

「でも……ダメだった。新人からっていう話だったのに、結局選ばれたのはアイドルの子だった。そうだよね、主役はそういう『特別な子』だよねって思ったら、ムカついてムカついて」
 なるほど。
 奏は夢に破れ、落ち込んでいたんだ。
 それで、同じではないけど、華やかな世界にいる九能くんを見ていたらつっかからずにはいられなかったのか。

「でも、もういいや。ピアノ三重奏なら、みんなが主役になれるってわかったから」
 奏が笑った。
 でもその顔は、まだちょっと悲しそうで。
「奏、明日の昼休みに音楽室に来て。チェロ持って」
「なんで?」
「声優のことはわからないけど、チェロのことなら少しわかるから」
 そう言ったとき、遠くから車の音が聞こえてきた。