「もう絵は描かないんで――」

 そう言うわたしの口元に、スっと彼の人差し指が近づいた。
 透き通るほど白い指が間近に迫り、驚いたわたしは思わず口をつぐむ。
 
「オレの名前、エージね。君は?」

「えっ…………め、芽衣。杉咲(すぎさき)芽衣」

 彼は一言「メイ」と、壊れ物を扱うかのように大事に呟いて、またあの子犬のような笑顔をわたしに向けた。

「じゃあね、芽衣。またここに来て。待ってるから」

 そしてその一言を告げると、そのままピョンと飛び降り、見えなくなってしまった。

「え……っ! ちょっと待ってください!」

 慌てて覗き込むが、そこにはもう彼の姿はない。まるで風のように消えてしまった。
 いや、嵐だ。わたしの心をこんなにぐちゃぐちゃにしていったんだから。

 チャイムの鐘が鳴る。
 それは、終わりの合図だったのか、始まりの合図だったのか。

『綺麗なオレンジ色したひまわりだ』
 
 彼の言葉が胸の奥深くで甘く疼いた。




 ――五月のよく晴れた夕方。

 あきれるほど能天気で、底抜けに明るくて――わたしは、そんなエージ先輩と出会ったこの日を、きっとずっと忘れないだろう。