『描きません』と言っても、エージ先輩はもう『残念だなー』とは言わない。
 真剣なんだ。本気で、わたしに描いてほしいと願ってるんだ。
 ……最後だから?

「…………っ」

 両目をこすって、屋上に置きっぱなしになっていたカバンを手繰り寄せた。
 中から画材一式と、キャンバスを取り出す。

 ――描く。エージ先輩を……描く。
 すうっと息を吸い込み、エージ先輩の真正面に座る。微かな明かりの中で、真新しい真っ白いキャンバスと向かい合った。
 エージ先輩はとてもきれいだった。
 蛍みたいな光のせいでそう見えるのかと思ったけど、ちがう。
 きっと最初からエージ先輩は、わたしの中で特別に光り輝いていたんだ。

 うさん臭いと思った。
 初対面のわたしにいきなり『オレの絵を描いてよ』なんて言ってきて。
 変な人だと思った。
 よく知りもしないのに、『芽衣に一目惚れしたから』なんて言ってきて。
 でも……温かかった。その手に触れることはできなかったけど、先輩の視線は、言葉は、わたしをいつも包み込んでくれた。
 『わたし』を見て、必要だと言ってくれた。
 そんなことを言われたのは、初めてだったんだ――。

「……っふ……うっ……」

 泣くな。
 泣くな、泣くな、泣くな。
 泣いたら絵を描けない。エージ先輩を見て、ちゃんと描くんだ。
 わたしはぎゅっと唇を噛んだ。

 一筆一筆、慎重に、ていねいに、大切に。
 先輩の姿を一ミリだって見逃さないように、じっと観察する。
 覚えていたいから。先輩のその、悪戯っぽいけどたまに優しく細められる瞳。目に留まる鮮やかなオレンジの髪。白くてきれいな肌。わたしの名を呼ぶ、少し低い声。全部……覚えていたいから。

 最後の一筆が終わったとき、辺りは暗くなっていた。
 わたしは無言のまま出来上がったものをエージ先輩に渡す。
 先輩はそれをまじまじと見つめて、そして。

「……きれいだ。ありがとう、うれしいよ」

 太陽みたいな笑顔をわたしに向けてくれた。