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「ふぁ〜ぁ……」

 三冊目があと十ページほどで
読み終わるといった頃、そんな風にあくびが出た。
 私は自分で思っているよりも
読書という行為に体力を使っていたようだった。
こんなに長時間、本を読むのは久々だったし……

それに。

同じ空間内に想いを寄せる人がいるという状況……。
 疲労を感じるなという方が無理がある。

 今日はもうこの辺りで切り上げよう。
 私は読むことの出来なかった三冊を両手で抱えると、重い腰を上げてカウンターへのそのそと歩いていった。

「借りますか?」
「あ、はいお願いします」
「じゃあ名前を」
「一年三組の柚木しおりです」
「あっ、柚木さん!」
 先輩が突然ハッとしたような声を上げた。
「はい……?」
「先週、来てくれた時珍しい苗字だなって思って。
初めて聞いたから、印象に残ってて」
 まさか、
先輩と必要以上の会話が出来るなんて……‼︎

「確かに結構珍しい方だと思います」

 緊張で思わず声が震えた。

「やっぱり、そうだよね。
柚の木って書くのか。凄く綺麗な名前だね」

 綺麗って言われた。
 先輩に。名前の話だけど。

 今、私この苗字に生まれて良かったって
心の底から思った。

「ほんとですか?でも、先輩の名前も……」

 あ。

「えっ?俺の名前、知ってるの?」

 まずい!何て説明したら良いんだろう。
 そうだ。

「私の友達が図書委員で、
それで、先輩のこと教えてくれて……」
 でも、
これだと何で先輩の顔と名前が一致してるの?って
疑問に思うよね。

「ほ、ほら!先輩って。数学がすごい得意じゃないですか?それで、その前、私がその子に数学のテスト不安だなみたいなことを言ったら先輩についめ教えてくれて……」

 どうしよ言葉がぐちゃぐちゃだ。
 ちゃんと伝わってるかな。

「そうだったんだ。
 じゃあ、教えてあげようか?」
「えっ。そんな、いいんですか⁉︎」

 私と先輩、まだ出会ったばっかりなのに。

「うん、全然。俺、大体暇だから」
「そうですか……。じゃあ、お願いします」

 何だか特別扱いされてる感じがして、
嬉しくなってしまっている自分がいる。
ほんとはきっとそんなことないのに。

「うん、任せて。
俺は教えるのが上手いって評判良いから。
信頼してくれていいよ?」

 にやりと笑う先輩。
 自分で言っちゃうの可愛いな。

「あ!本、柚木さんに返すね。」
「はい、ありがとうございます。」
「そっか、もうすぐ三週間前だもんね。テスト」
「はい、もう絶体絶命で」
「今日は残念ながら、
参考書とか持って来てなくてね。
また後日、柚木さんが空いてる日に教えるよ」
「私はいつでも大丈夫です。」
「ほんと?うーん、じゃあ、来週の月曜日にする?」

 いきなり⁉︎
 いや、嬉しいんだけどね。
 とんとん拍子に進みすぎている気がして、
逆に不安になってくるよ。

 私、近々死ぬのでは……?
 こんなに幸せなことを
体験してしまっていいんだろうか。

「月曜日ですね、分かりました」
「うん。ここの奥にある準備室でやろうか。
 あっ、そろそろ。閉館時間だ」

 もうそんな時間⁉︎
 結構長話しちゃったなぁ。

 好きな人と喋るってなったら冷静さを
失って上手く会話が出来なくなりそうなものだけど、私は割と普通に先輩と喋れた。
 そして、そんな自分に驚いた。

「じゃあ。先輩、さよなら」
「うん、バイバイ」

 その日の夜、またしても私は、
興奮気味に利湖に電話を掛け、
今日起きたことを洗いざらい話した。
 若干、利湖が引いてた気がしなくもなかったけど。
 そういえば、お母さんも玄関で帰宅した私の顔を
見るや否や、『あんた何かあったの?』と言いたげな目線を送ってきてたっけ。

 まあ、とにかくだ。

 私は周りにどう思われようが気にしない。
 来週は先輩との勉強会が待っている‼︎
 そんな気持ちで過ごした休日はやけに長く感じた。

 そして、迎えた月曜日。
 ホームルームが終わるとすぐに
私は教室を飛び出し、図書室へ向かった。

「失礼しまーす」

 そして、入って左に見える図書準備室の
ドアをノックした。

「はーい。柚木さん?」

 先輩の声が聞こえてきた。

「はい」
「入っていいよ」

 ーガチャッ。

「こんにちは」

 部屋は比較的狭く、
長机一つにパイプ椅子が四つ置いてあった。
窓際には書類棚のようなものもある。
 先輩は既に座っていて、
机の上には参考書が山積みになっていた。

「あっ、ドアは閉めちゃっていいよ」
「はいっ、分かりました……」

 ドアは閉ざされた。

 
 密室で先輩と二人きり。
 
 私の置かれている状況を
一言で表すならこんなところだろうか。
 今にも私の心臓は破裂しそうで、
勉強どころではなかった。
 先輩は何とも思ってないのかな。すごく気になる。
 でも、
今の私にはその気持ちを確かめる余裕さえ無い。

「じゃあ、やろっか」
「は、はい……」
 いつも通り、振る舞わなきゃ。
 とりあえず、
私はリュックから必要そうなものを取り出した。

「数学、特に苦手な範囲とかある?」

「全部、ですかね……。すみません」
「謝らないでよ、ちゃんと一つ一つ教えるから。
そしたら、きっと出来るようになるよ」

先輩の声、優しくて安心するなぁ。

「提出物とかはあるの?」
「はい、ワークが二十ページくらいありますね。
まだ全くやってないんですけど……」
「じゃあ、それから片付けていこうか。
最初は教科書とか見ながらでも良いから、
自力で解いていって……。
どうしても分からないところがあったら、質問して?解説するから。」
「分かりました。」

 正直、数学の勉強は気分が乗らないけど、
先輩がいるから何だかいけそうな気がしてきた!

 私はシャーペンを握りしめ、ワークを開いた。