数日後、朝のニュースで天気予報が流れた。

 この前梅雨があけたと言っていたが、今日の午後からは雨がふるかもしれないみたいだ。



 私は今日は少し気合いを入れて、身支度を整えた。


「じゃ行ってきまーす」


 リビングに声をかけると、母が顔を出した。


「今日は雨ふるよ、傘持っていきなさい。いっつも忘れるんだから」

「……」


 聞こえてないフリをして靴を履いていると、母が玄関までやってきた。


「聞いてるの? 傘、持ってきなさい」


 私はしかたなく傘を握りしめ、家を出た。



 昼間は晴れていたが、午後からは上空にうろこ雲が見え始めた。

 空全体が雲におおわれていく。

 放課後になるにつれ、私の期待もふくらんでいった。

 そして五時間目の休み時間。


「あ、降ってきた」


 隣の席の溝口がつぶやいた。私も思わず窓を見る。


「こりゃ今日も部活は中止だな、大会が近いってのに残念だよな」

「そうだねー」


 私は一人、こぶしを握りしめた。

 放課後、少し時間をつぶしてから教室を後にした。



 昇降口まで来た時、私の胸は音を立てた。

 出口のところに碓氷先輩が一人で立っていたからだ。

 ザーザー降りの外を物憂(ものう)げに眺めている。


「先輩? まだいたんですか」


 私は平静をよそおって話しかけた。


「お、一ノ瀬。まあ、いろいろあって」

「そうですか」

「あれ、お前傘は?」

「忘れました」


 私の堂々とした言葉に、眉をひそめる先輩。


「またかよ、どうすんだよ」

「大丈夫です。なんとかなりました」

「なんとか?」


 私は答える代わりに、先輩の持っている傘を指差して、にやりと頬を緩める。

 先輩は吹き出した。柄にもない笑顔がやっぱりステキだ。


「しゃーねー。また入ってくか?」

「はい、よろこんで!」






 その後、駅までの道を、他愛もない話をしながら二人で歩いた。


「あれ、雨やんだ?」

「あ、やんでますね」


 とっくに気づいていたけど黙っていた。

 先輩が傘をたたんでしまったため、二人の距離が少し離れてしまう。

 その時、先輩が空を指差した。


「見て!」

「わあ! 虹だ」


 空には大きな虹がアーチを描いている。

 私たちは同時に足を止めて、立ち止まった。


 今しかない──。


「先輩。この前、ありがとうございました」


 改まって喋りだした私の顔を、先輩はまじまじと見つめてきた。

 なんのことか思い出したようで、「や、別に」とだけつぶやく先輩。


「先輩、聞いてください」


 私は溢れだす思いをおしとどめ、一度呼吸を整える。

 先輩は表情を崩さずにじっと私を見つめている。


「先輩は、無口で、愛想はよくないし、何考えてるかわかんないし、女の子を、たくさん泣かせるけど……」


 先輩の口角がわずかに上がる。 


「私は、そんな先輩が大好きです」


 言っちゃった。でも──よかった。


 ずっと抑えていたモヤモヤが、口からすっと出て広がっていくような、そんなすがすがしさに包まれた。

 目を見開いて、私を見つめる先輩。

 その顔には肯定も否定もない。ただ受け止めてくれている安心感は感じ取れた。


 この()に、耐えられず、叫びそうになる。


 先輩の唇がわずかに動く。


「……ありがとう、ただ」


 ダメだ。ふられた!


 急に不安が襲い掛かってきて、私はうつむいた。怖くて先輩の顔が見れない。

 この前告白してた子の気持ちが今ならわかる。とても顔を上げることなんてできない。


「一ノ瀬の気持ちには、答えられない」


 聞いた瞬間、耳をふさぎたくなった。崖から落ちるような絶望感が襲ってきて──。


「今はね」

「……え」

「今は大会に集中したいから、だから、だから終わった後に」


 先輩は、口を閉じてごくりと唾を飲み込んだ。


「あらためて俺の方から、言わせてほしい」


 え、え……?


「な、なにを?」


 私は目をぱちくりさせて尋ねる。


「お、同じことを」


 先輩は唇をすぼめながら、たどたどしく声を出す。


「な、なん、ですか、それ……」


 涙が次から次にあふれてくる。


「だから、一ノ瀬と同じ。俺の気持ちも」


「ちゃん、と……言って、くれないと……わかんないです」


「俺、一ノ瀬のこと──」

「ふふ、うそです! 困らせてみました!」


 私は泣き笑いを浮かべながら、先輩の困ってる顔を見上げた。


「大会が終わった後にまた、教えてください!」

「あ、ああ。わかった……わかった。かならず、伝える」


 私は嬉しいやら、なにやらで涙が止まらなかった。

 先輩も同じだったことが、私と同じ気持ちだったことがとてもとてもうれしくて。


 私は胸を張って、顔を上げた。


「先輩。夏の大会、頑張りましょうね」


 先輩は優しく頬えむ。その顔を見るだけで胸がいっぱいになる。


「ああ。そばで支えてくれるか?」

「もちろんです!」



「足、よくなったらさ。いっしょに打とうな」

「はいっ!」


 二人の夏が、始まった。



🌈



 そうそう、折りたたみ傘がカバンにあったのは先輩には内緒だ。



Fin.