「あれ、碓氷先輩?」

「一ノ瀬、やることあるんじゃなかったのか」

「もう終わりました。帰るところですよ。先輩はなにしてたんですか?」

「雨降ってるだろ。どうすっかなーと思って」

「ははーん。先輩、傘忘れたんでしょ! 案外ドジなんですねー。あはは──」

「傘はあるよ」

「……!? え、じゃあいったいなにを迷ってたんですか?」

「誰かさんが傘忘れて困ってんじゃないかと思ってさ」

「な、な、なんで私が傘忘れてるって、わかるんですか?」

「ふ、どうせそうだろうなって。この前も濡れて帰ってるの見たし」


 うぐ……。しっかり見られてたんだ。


 先輩はクールな顔にわずかな笑みを含んでいる。部活以外の時間は表情が少しだけやわらかい気がする。


「それで、どうすんの」

「たしかに傘は忘れました! でも雨を避けながら走っていくから大丈夫です!」


 先輩の表情が少し曇る。


「ムリすんなって。まだ完治してないんだろ、足」


 私は真顔になって、こくりとうなずいた。


「いいから、入ってけよ」


 先輩にここまで気を遣われたら、甘えないわけにはいかない気がする。

 残ってる生徒もほとんどいないし、人の目を気にする必要はないかな。






 わぁ、距離が近い……!


 相合傘というものは小学生以来かもしれない。男の人とは初めてだ。

 ただ隣に並んでいっしょに歩くだけじゃない。

 傘によってまわりの視界がほとんど塞がれるので、先輩との距離がいっそう近く感じる。


 私のペースにあわせてゆっくり歩いてくれてる……。


 先輩が髪につけている整髪料の香りがただよってくる。

 横顔をちらりとうかがっても、何を考えているのかはやっぱりわからない。


「一ノ瀬って好きなやつとかいんの?」


 ええー! 急になに!? 雑に話をフリ過ぎだよ……。


「え、え、い、いや、いま……いま……」


 私が目をシロクロさせていると。


「あ、あいつは? 二年の溝口、同じクラスだろ」

「みぞ! みぞぐちぃ!? あんなやつなんとも思ってません! デリカシーないし、いっつもバカなことばっかり言ってますから!」

「はは、ひでえいいようだな。男なんてみんな同じようなもんだろ」

「同じじゃありません!」

「ふーん、それで……? 誰なの」


 碓氷先輩です、なんて言えるわけもなく、雨で聞こえてないフリをした。

 なんだか今日の先輩は雰囲気が違う。口数も多い。部活の時は、こんなにきさくに話したりしない。他の部員がいるから、部長の役割に徹してるんだ。



 しばらくお互い無言で歩いた後、私の方から沈黙を破った。


「さっき、告白されてたんですか?」

「あ、やっぱり盗み聞きしてたのか」

「してませんよ。そうなのかなって思ったんです」


 しらばっくれて、問い詰めてみる。


「まあね」

「どうして断ったんですか?」

「おい、やっぱり聞いてたろ」

「すみません。盗み聞きしました」


 先輩はめずらしく、声を出してけらけらと笑った。


「やっぱ、おもしれーな。一ノ瀬は」


 たまにしか見ない先輩の笑顔を見ると胸が温まる。いつもの気だるげな感じとのギャップがたまらない。


「先輩の好きな子って誰なんですか」

「……そこまで聞こえてたのかよ」


 うわぁ、ホントにいるんだ……。うらやましい限り。


 私は自分で聞いておきながら、なんだか気が気ではなかった。


 碓氷先輩の好きな子ってどんな子なんだろ……? さっきの子よりかわいい子なんて、なかなかいないよ。


 まあ、男子と肩を並べて話してる私なんかにワンチャンあるわけないよなって改めて思った。


「先輩、もったいぶらずに教えてくださいよ」


 私が冗談混じりで軽口を叩くと、先輩は「じつはさ」とつぶやいて、こちらに顔を向けた。


「──のことが好きなんだ」


 その時、雨がいっそう強まったせいで先輩がなんと言ったのかよく聞こえなかった。

 ただ、唇の形はなんとなく読めた。


「え!? え、なんて言ったんですか? ホントに聞こえなくて」


 焦った私は語気を強めて聞いてみる。


「聞こえなかったんなら、いいや」


 先輩は(かす)かに笑ってから、いつものクールな表情に戻った。でも、頬がうっすら赤くなってる気がする。


 なになに? なんて言ったの……? もう、気になるじゃん!


 その後、何度問い詰めても先輩は答えてくれなかった。



 駅に着いた後は、改札を通りコンコースを二人で歩いた。碓氷先輩とは逆方向の電車のため、もうすぐお別れだ。


「リハビリはいつ終わりそうなんだ?」


 先輩が訊いてきたのは私の足のことだ。


「あと三か月くらいですかねー、九月で約一年なので」

「そっか。早くよくなるといいな」


 先輩の優しい言葉に胸が震える。

 感情を悟られたくなくて、手短かに別れを告げた。


「じゃあ、先輩。私こっちなので」

「おう、またな、一ノ瀬」


 私は思わず息をのんだ。


 碓氷先輩が「一ノ瀬」と、私の名前を呼んだ時の唇の動き、それはさっき雨で聞こえなかった好きな子の名前を言った時の動きと一致していた。


 碓氷先輩の背中が小さくなっていくのを見ながら、私の鼓動は高鳴っていく。


 落ち着け、落ち着け、もう一回もう一回……。


 私は頭の中で必死に今の場面と、さっきの雨の中の記憶を照らし合わせる。

 体温が急上昇する。

 うーん、ダメだ。確証は持てない、持てないけどまったく違うとも言い切れない……!



 先輩の好きな子って誰なの!?

 本当に先輩は、なんて言ったんだろう。

 もう一度先輩に確認したい! でも今日は金曜日だから、次に会えるのは月曜日だ。


 あーもう! 気になって仕方がない!