「わたくしの至福を、どうか、奪わないでくださいましね?」

願いの形をとりながら、その実、有無を言わせない口調。
瞳子は、小さな声で「分かった」とだけ返した。

───もう二度と会うことのない人に似た面影を、胸にいだきながら。



「トーコしゃん」

さっそく作業に取り掛かるという桔梗が脱衣所から立ち去ると、脱衣カゴの陰からハツカネズミが現れた。

「大丈夫でチュか……?」

小首を傾げ、瞳子を見上げてくる。

「大丈夫よ。アンタの助言のお陰で当分 宿にも困らなくなったし」
「ちょういうコトではなくて、でチュね……」
「何?」

茶褐色の小さな身体を縮め、さらに小さな指の先を所在なげに組み替える。

「……迷ってるように、見えまチたカラ……」

か細い声で告げられた意味に気づき、瞳子は、その小さな生き物をそっと拾い上げた。

「そうね。……でも、私のいるべきところは、ここじゃない」

いまの自分の表情を見せないために、瞳子は両手で唯一の味方である存在を囲ってしまう。

努めて明るく、言った。

「さて。アンタの名前、付けに行きますか!」