「セキ……」

耳もとで呼びかけられる声音の甘さ。つむがれたのは、瞳子の吐息のようなささやき。

勘違いでなければ、誘われているのだろうが、彼女はその誘いの意味を軽く考えているとしか思えない。

(念押しして、瞳子を傷つけるのもな……)

イチいわくの『微妙な女心』とやらが、この局面においては憎い。憎いが───。

セキは、なけなしの理性と良心と、さらには“神獣”としての存在意義をしぼりだす。抱きしめた瞳子の身体から、わずかに身を起こした。

やはりそこに、うるんで月明かりに輝く麗しき黒い瞳と。薄紅を差したような、(なまめ)かしく開かれた小さな唇があった。

(ああ……オレは、天に試されているんだな)

こんな時、自分が本来の“神獣”として在れば、ままならない自らの煩悩と、闘わなくても済んだのだろうか、と。
セキは、おかしな思考をひねくり出して冷静さを保ちつつ、愛しの“花嫁”から差しだされている想いに、触れる。

それは、瞳子を想う心を伝えるだけの、淡く触れるくちづけで。初めて触れた時よりは長く、触れ合う喜びに満ちた前回のものよりは、落ち着いたものだった。

なごり惜しむように、紅唇とすべらかな頬に指を()わせ、セキは、瞳子の額に自らの額を押しつけた。