ぎょっとしたのは、紅だけではない。セキも同じだ。

「犬貴殿、それは……」

さすがに非道ではないか、と、セキが言いかけた瞬間。
紅が、叫んだ。

「もうっ……ヤメロって言ってんだろ! このクソ犬ッ! 希海を放せッ!」
(……クソ犬……)

セキの内心は、複雑だった。
瞳子のために、気性の荒い()の“神獣(かみ)”である黒狼を頼らねばならない現状。目的のためには手段を選ばない犬貴の非情さを止めるべきかどうか、逡巡(しゅんじゅん)する。

(それでも、これが最善であるなら)
頼む、のではなく。交渉に切り替えるべきかもしれない。

「セキ様、どうなさいますか」

落ち着きはらった態度で、こちらを見やる黒虎毛の犬の獣人。
この局面においてセキの判断を仰ぐとは、さすが有能な“眷属”としか言いようがない。

「……放してやってくれ、犬貴殿」

セキの言葉に否やを唱えることもなく、犬貴はあっさり希海の拘束を解き放った。
それを見届け、セキは改めて紅を見る。

小柄だが肉感的な身体つき。濡羽色の長い前髪でアザのある左側を隠すように、そちらでひとつにまとめて(ゆわ)いている。

「黒狼殿。どうか、力を貸してくれ。何か望みがあるならば、対価として払うつもりだ」