(ここで私が怒りに任せて言えば、この男を喜ばせるだけだ)

努めて冷静に話そうと、瞳子はまず深呼吸をする。
それから、すぐ側に在る輝玄を見据えた。

「仮に、あなたが私に言ったことがすべて事実だとしても、非常に不愉快です」

先ほどの保平の暴言といい、やはり、瞳子のなかで『男』という存在は抹消したくなる者が多い。

瞳子は、彼らが知り得ない『事実』を口にした。

「ですが、事実ではないこともあります。

私は、二柱の“神獣”の真名を知る者ではありません。私が知っているのはセキ───この国の赤い“神獣”である、赤狼の真名だけ。

そして、私が心からその真名を伝えてあげたいと思えるのも、彼だけです」

言って、瞳子は人好きのするセキの顔を見た。目を(みは)る彼に向かい、笑いかける。

セキの真名を知り得てから義務感がつきまとっていたのは、昨日までの話。
いまは瞳子のなかで純粋な想いとなりえた、伝えたいセキの名前。

それと共に、瞳子が白狼の真名を知らなかったことは、瞳子にとっても───おそらくセキにとっても幸運であったに違いない。

じっと見つめる先の、本性は赤い狼であるはずのセキの顔が、驚きから微笑みに、変わる。