神獣の花嫁〜あまつ神に背く〜

輝玄から竜姫・乙姫と呼ばれていたモノらが、広間の奥、一段高くなった御座(みまし)へと瞳子いざなう。

少し緊張した面持ちで、セキ達の前に瞳子が現れる。白い小袿(こうちぎ)緋袴(ひばかま)をまとい、黒い帯は金と銀の組紐(くみひも)で締められていた。

(まさか、元から用意していたのか?)

思わず、上座の手前に腰かけている輝玄を見る。満足そうに瞳子を見て目を細める様に、疑いが確信に変わる。

……白、赤、黒、そして金と銀。
白い“神獣”と赤い“神獣”、二柱の“花嫁”であることを表すかのような“禁色(きんじき)”の配分に、輝玄の計略に嵌《は》まったようで気分が悪い。

だが、この状況に、一番気分を害しているのは瞳子だろう。そう思って、心許(こころもと)なさそうに一瞬こちらを見た彼女に、セキは微笑みを返す。

セキの胸中を察したのか、瞳子は自らの首もとを飾る組紐に触れてみせた──赤・黒・銀の三色のそれに。
自分はセキの“花嫁”であると主張するような仕草に、心の臓を鷲掴(わしづか)みされる。

(か、可愛(かわ)ッ……)
すかさず、イチの冷水のような声がかかる。
「その顔、阿呆みたいですよ」
「っ……うるせーな、不可抗力だろうが」

イチに噛みつく言を返しながらも、セキは指摘された自らの(おもて)を片手で隠すように覆う。
そんな主従をよそに、輝玄の声が広間に響き渡った。
「天女───“花嫁”様もお越しになられたところで、始めてもよろしいだろうか、ご一同?」

瞳子が上座に着くと、輝玄が広間を見回す。異論のないことを確認すると、手もとの書状に目を落とし、読み上げる。

まず白狼側、次いで赤狼側。それぞれの陳情が輝玄の口から述べられた。

「───とのこと。双方、相違あるまいか?」

おおよそ把握していた内容ではあるが、微妙に事実と食い違っているのは否めない。
互いに、後ろ暗いところはあるのだから。

(あちらは“契りの儀”に際し、瞳子の身体の自由を奪っている。オレはオレで)

瞳子が白狼の“花嫁”であることを知りつつ、“契りの儀”を交わした。

輝玄の確認に、保平が先に声をあげてみせる。

「前代未聞のこの不祥事。いったい、どう決着をつけるおつもりか? 『御使者どの』」
「先程も申し上げた通り、私はこの場においてはセキ様の“眷属”のひとつ。イチ、として身を置いております」

“神獣ノ里”からの遣いとしてセキについていながら、という厭味(いやみ)と。部外者が口を出すな、の非難の意が込められた『使者』という呼びかけ。
それに対し、イチは慇懃無礼(いんぎんぶれい)さを隠そうともせず、偉そうな面構えで保平に言い放った。
「確かに前例はございませんが、“花嫁”様におかれては、すでに御心(みこころ)は決まっておられるかと。
今宵(こよい)の話し合いは形ばかりのものと心得ておりましたが?

こちらとしては、そちらに()わす白い“神獣”様より、瞳子様が赤い“神獣”の“花嫁”となられたこと、お認めいただくだけで───」
「はっ。たわけたことを申されるでないわ!」

イチの言葉をピシャリとさえぎり、保平が顔を真っ赤にして激昂(げっこう)する。

「“花嫁”など、所詮この“陽ノ元”に存在すらしなかった下賎《げせん》の者。“神獣”様に捧げるための供物に過ぎぬ!

見目が良いに越したことはないが、もとより、その意思などないも同然ではないか。
傀儡(くぐつ)のごとく我らの言うがまま、次代の“神獣”を(はら)めば……」

───思うより先に、身体が動く。

「セキ様!」
そんなセキを、イチが止めに入ったのとほぼ同時。

「やめてください」
ひゅっ……という、息をつまらせたような音を漏らし、保平の暴言がやんだ。

それは、その傍らにいた白い“神獣”の片手が、保平の首を締め上げたことによるものであった……。




      《六》

聞くに堪えない言葉の羅列に、瞳子(とうこ)の頭のなかは、真っ白になっていた。次いで、わきあがったのは、激しい怒り。

あまりのことに、身体が震えだす瞳子の前で、まず、セキが膝を立てた。
それを、イチが身体ごと押しとどめるのと。
保平(やすひら)の横にいた白狼が、その首に手をかけたのが、目に入る。

「そこまで!」

強く、扇を打ち鳴らす音と共に、輝玄(てるつね)が立ち上がった。
ハッとしたように、場に居合わせた者みな動きが止まる。

「どうやら我が国の“神官”は、物ノ怪に取り()かれておいでのようだ。とても正気とは思えぬ言動をなされる」

汚物でも見るような目つきで保平を一瞥(いちべつ)すると、輝玄は扇を広げ目もとより下を覆った。

竜姫(たつひめ)乙姫(おとひめ)。“神官”の憑き物を(はら)って差し上げろ」

輝玄の言葉に、二人の幼女が保平の側へと跳ねるように近寄った。

「“神官”、竜ヒメ『払う』!」
「───うぎゃっ」
「乙ヒメも『払う』!」
「───ふぎぃっ」

バシン、バシン、と。
幼女の見た目からは想像もつかないような力強さで、ふたりが保平の全身を平手で叩きつける。
それが証拠に、何度目かの彼女らの平手打ちのあと、保平が気を失っていた。

(え? あの子達、変わっているとは思ったけど。まさか、人間じゃないの!?)
瞳子の着替えを手際良く助けてくれたりもしたが。片言の話し方といい、醸しだす雰囲気は確かに幼女とは思えなかった。

あぜんとする瞳子たちの前で、輝玄が社殿の外を示す。

(けが)れも酷い。潮水で(きよ)めて差し上げろ」
「竜ヒメ、『穢れ』キライ! 潮水ツケる!」
「乙ヒメも! 『浄め』スル!」

ひょろりとした体型ではあるが、保平は大人の男。しかし、竜姫と乙姫は難なく二人がかりで抱え上げ、広間から連れ去って行った。

「……さて。天女───“花嫁”様、先を続けてもよろしいかな?」
「えっ……あの、はい」

あっけにとられていたものの、我に返れば保平の言葉にしこりがなくなったわけではない。
だが、設けられた『話し合いの場』がこのままで良いわけもなく。
瞳子は複雑な心境のまま、苦笑いを浮かべる輝玄にうなずいてみせた。

保平の退場をもって静まった広間。輝玄が仕切り直すように書状に手を添えながら口をひらく。

「赤狼殿の言い分は、解った。しかし、こちらに居わす“花嫁”様が白狼殿とも“契りの儀”を交わしたというのも事実。
……であれば、二柱の“神獣”の“花嫁”という“役割”を担うことも、適うともいえるが、いかがか?」
「それはっ……! 前例のないことで───」
輝玄に反論をしかけたであろうイチが何かを言いかけて、口をつぐむ。それを見て、調停役である男は、したり顔で微笑んだ。

「そう、お気づきかな? “花嫁”という枠組みでとらえれば、確かに前例はあるまいね。
だが、過去の“陽ノ元”において、二柱以上の“神獣”を従えた御方を、我々は存じ上げている」

瞳子を抜かし、場にいた者たちがみな、察したような面持ちとなる。

(なに……? どういうこと?)

一人だけ取り残されたような心地となる瞳子に対し、セキが言った。

「……瞳子。俺が話した“陽ノ元”の成り立ちを覚えているか?」
「えっ……。確か、女性の(みかど)が各国に“神獣”と“国司”を遣わしたのが始まりだって話だと───」

言いかけた瞳子も、さすがにそれで思いだす。
───“神獣(かみ)”でありながら、人間(ひと)に従ったのは、彼らが彼女に懸想していたからではないか、と。

あくまでも、一説にはとセキが言っていたように、伝説上の話であろうと瞳子は理解していた。

(恋愛感情で、神様が人間の言いなりになるだなんて)

あまりにも、おとぎ話だ。現実味があるとは思えない。
ましてや、一柱(ひとり)二柱(ふたり)の神の話でなければ、なおのこと。

(何人もの神様を(とりこ)にしたあげく、政治的に利用するだなんて)
瞳子の感覚からすると、仮にそれが可能であったとしても、実行に移すなど心情的にはあり得ない。
そのうえ───。

(この場合、輝玄───さんが言ってるのは、私をその女帝になぞらえているってことでしょ?)

冗談じゃない、と、瞳子は身震いした。

イチが昨晩 瞳子のことを、セキと白狼、両方の寵愛(ちょうあい)を受けることができる存在だと言った時にも感じた、居心地の悪さ。

「“花嫁”が二柱の“神獣”の真名(なまえ)を知り得るとは前例なきこととはいえ、君たちの様子を見る限り、その『力』を従えるのは不可能ではないはず。
“花嫁”様さえ、その気になれば」
「輝玄殿。貴殿の発言は、先程 この場を追いやった下衆(げす)にも(もと)るものかと存ずるが?」

セキが感情を押し殺したような冷淡な物言いでさえぎると、面白そうに輝玄は彼を見返した。

「これは“花嫁”様への侮辱ではない。事実だよ?
もちろん貝塚殿のように、私は彼女を意思のない者だなどと言うつもりはない。ただ、その可能性を述べたまでのこと。

──さて、そのうえで“花嫁”様。君はこの事実(こと)を、どう思うかね?」

扇を閉じて、輝玄が瞳子に目を向けてくる。
この状況を楽しんでいるとしか思えない男に嫌気が差すが、しかし瞳子は、彼が放った言でひとつ気づかされた『事実』があった。
(ここで私が怒りに任せて言えば、この男を喜ばせるだけだ)

努めて冷静に話そうと、瞳子はまず深呼吸をする。
それから、すぐ側に在る輝玄を見据えた。

「仮に、あなたが私に言ったことがすべて事実だとしても、非常に不愉快です」

先ほどの保平の暴言といい、やはり、瞳子のなかで『男』という存在は抹消したくなる者が多い。

瞳子は、彼らが知り得ない『事実』を口にした。

「ですが、事実ではないこともあります。

私は、二柱の“神獣”の真名を知る者ではありません。私が知っているのはセキ───この国の赤い“神獣”である、赤狼の真名だけ。

そして、私が心からその真名を伝えてあげたいと思えるのも、彼だけです」

言って、瞳子は人好きのするセキの顔を見た。目を(みは)る彼に向かい、笑いかける。

セキの真名を知り得てから義務感がつきまとっていたのは、昨日までの話。
いまは瞳子のなかで純粋な想いとなりえた、伝えたいセキの名前。

それと共に、瞳子が白狼の真名を知らなかったことは、瞳子にとっても───おそらくセキにとっても幸運であったに違いない。

じっと見つめる先の、本性は赤い狼であるはずのセキの顔が、驚きから微笑みに、変わる。
安堵(あんど)にも似た微笑は、やわらかく、優しい。
とても本性が狼とは思えないが、だからこそ。

(ああ、私……セキのこと、本当に好きだな)

護る、と言ってくれた彼を、瞳子のほうが護ってあげたいと、思う。
ずっと、日向(ひなた)で丸まっているような、飼い慣らされた狼のような、そんなセキのままであって欲しい。

(狼の“神獣”が『犬』みたいじゃ、いけないのかもしれないけど)

少なくとも【牙の抜かれた狼】ではないことは、瞳子も知っているのだから。

「なんだか、あてられてしまうねぇ」

輝玄がわざとらしく扇で自らをあおいでみせる。それに同調するように、イチが大きな咳払いをした。

「天女───“花嫁”様がおっしゃられたことが事実だとすれば、ここでの議論は無意味であったね。
いや、天女様が嘘偽りを述べるなど、私は思いもしないがね?」

一瞬、セキの眼が剣呑(けんのん)に光ったのを見逃さず、輝玄はそう付け加えると、押し黙ったままの白い“神獣”を見遣る。

「白狼殿。私が言うのもなんだが、君は、新たな“花嫁”様を迎えたほうがいいのかもしれないよ?

もちろん、先だっての“召喚の儀”において、すでにカカ様への献上の品は受け取っているからね。今度は、赤狼殿からの奉納となるだろうがね」