神獣の花嫁〜あまつ神に背く〜

「おやまあ、随分とお早く『吉兆』とめぐり逢えたご様子。
何よりではございますれば……」

やや曲がった背をひょいと起こしながら、老巫女が瞳子を見定めてくる。
その眉間にあるホクロが印象的だ。

「ふむ。……ふたつの“証”をもつ姫様とは、これまた難儀なことにございますなぁ」

「言うな。俺が選んだ“花嫁”だ。
ところで───母上は、どちらに?」

「虎太郎様ご自身が納得されておられるのでしたら、(ばば)は何も申しますまい。
由良(ゆら)様は、ほれ、あちらに」

枯れ枝のような細く節くれだった指先が、瞳子達のいる反対側の参道脇の林を指した。

ひらり、と、舞うような浅葱(あさぎ)色の小袖の(たもと)が、木々の向こうに見えたかと思うと、消えた。

セキが、舌打ちと共に短く問う。

「“結界”は? ほころびはないだろうな?」

「日がな一日、強化しておりますとも。もとより、この敷地ほど安全な場所など、由良様にはございますまいて」

「……ならば、いい。
ああ、じーさんに、俺が来たって伝えといてくれ。あとで、会いに行くと」

()くに、ご承知かと」

ホホホと笑う老巫女を一瞥(いちべつ)し、セキが瞳子の手を引いた。示された方向へ足早に歩きだす。

「……なんか、大丈夫?」
あせった様子のセキがめずらしく、声をかけると、ハッとしたようにその足が止まった。

「いきなり、すまない」
「ううん、それはいいんだけど……」

言外に説明を求めれば、セキは自分を落ち着かせるかのように、深く息をついてから語りだした。

「母が霊力の高い方だというのは話したと思うが……。
その、三年前に父を亡くしてからは、もともと病がちだったところにもってきて、精神(こころ)も患ってしまってな。

霊力の制御もできなくなり、力のある(あやかし)なども()び寄せる体質になってしまったんだ。
それを防ぐため、彼女はこの“大神社”内で療養を兼ねて暮らしている。

ここは強力な“結界”が幾重にも張りめぐらされているし、清浄な気の流れもあるから都合がいいんだ」

手を引かれ歩きながら、その事情を聞き、瞳子はうなずいてみせた。

「そっか。安全だと解ってても、心配、なんだね?」
「……ああ。そうだな」

ふう、と、ふたたび息をつきながら、セキが片手で顔を覆った。

「なんだか、格好悪いな。いい歳して、こんな」
「どうして? それだけ大切なお母様なんでしょ、アンタにとって」

首を傾げてセキの顔をのぞき込む。
すると、片手を下ろしたセキが、ふっと笑って瞳子を見た。
「瞳子には、敵わないな。……やっぱオレ、お前好きだわ」
「は? って、え?」

ぽつりとこぼされた一言は、つぶやきに似て。

(しかも、いつもと口調違うから誰!? って感じだったし!)

軽い口調で言われたにも関わらず、瞳子の胸にはセキの「好き」という言葉の矢が突き刺さる。

(なんでそんなっ……軽々しく好きとかいうのよっ……)

ばくばくと高鳴る心音の激しさに、セキへの恨みがましい気持ちでいっぱいになっていると、

「あら。お客様?」

という、鈴を転がすような可愛いらしい声が聞こえてきた。

つながれた手に、力がこめられる。
瞳子はセキのその態度に、彼の視線の先を見た。

木漏れ日のなか、首をかしげてこちらを見る、小柄な女性がいた。
浅葱色の着物を上品にまとうその姿は、一見すると愛らしい少女のようにも見える。

「ご無沙汰しております、母上」

ややかすれた声で告げるセキの手を、瞳子は思わず強くにぎり返していた……。





      《九》

セキの挨拶に、無邪気に笑ってみせた母は、相変わらず浮き世離れした雰囲気で。
セキは、それが懐かしくもあり、同時に、哀しくもあった。

「虎太郎ね? また少し、大きくなりましたか?」

母のなかでの時の流れは、常に一定ではない。
特に、父が亡くなってからは、未来よりも過去に回帰しているように、思う。

一瞬、『虎太郎』に戻りかけたセキだが、力づけるように自らの手をにぎり返してくれた瞳子によって、ひるむことなく母に近づけた。

そうですね、と、彼女の悲しい言葉にうなずき、傍らの愛しい存在を紹介する。

「母上。今日は、私の大切な人を連れて参りました」
「まぁ……嬉しいこと。お名前は、なんとおっしゃるの?」
「あの。瞳子と、申します」

焦点の合わない目で話す母に気づいたのか、瞳子はためらいがちに片手を伸ばし、彼女の袖口に触れた。

それに気づいた母は、もう一方の手でたどるようにしてから瞳子の手の甲を押さえた。

「ふふ、瞳子さんね。わたくしは、由良(ゆら)
ねぇ、あちらで少し、女同士でお話をしませんこと?」
「ああ、ええと……」
了承を得るように、瞳子がこちらを見上げてきた。うなずいて、セキは気になっていたことを由良に尋ねる。

「母上。供の者を必ず付けてくださいとお願いしたはずですが、おひとりで出歩いておられるのですか?」

「あら、嫌だわ。虎太郎の目は節穴? 妙子(たえこ)がそこにいるでしょう?
さ、瞳子さん。あちらに参りましょう」

ふふふ、と笑いながら瞳子と共に陽のあたる切り株のほうへ向かおうとする由良に、もう一度セキが声をかけようとした時。

背後で、かさり、と、枯れ葉を踏む音がした。

「……ご無礼をお許しくださいませ、若。あちらの女人(にょにん)───瞳子様を怖がらせるのではと、姿を消させてもらっておりました」

「いや。……瞳子は、むしろ喜ぶと思うぞ」

セキは、振り返った先のモノを見て、苦笑いを浮かべてみせた。

ほぼ全身を覆う黒い毛並みに、金色の瞳。
四肢の先だけ白い毛に覆われ、人のように着物をまとい、後ろ足だけで立つ、その姿。

猫の顔が人語を操り、前足が人の手と同じように、身体の前で行儀よく重ねられる。

「また、お戯れを」

「いや、ホントだって。
───瞳子。コレは母上の護りに付かせている、妙子だ」

「若っ……」
ずいと、瞳子のほうへと押しやれば、面白いように妙子がうろたえてみせる。

案の定、こちらを見た瞳子の目が、宝物でも見つけたかのように輝いた。

「え……、嘘っ。……あっ、ごめんなさい!
ええと、瞳子です、よろしくお願いします」

明らかに驚いてはいたが、誰が見ても好意的な反応なのは間違いなかった。

(オレと出会った時との落差……ま、仕方ないけどな)

情けない気分になりつつも、瞳子に挨拶を返し終えた妙子に話しかける。

「な、言ったろ? 瞳子はむしろ喜ぶって」
「驚きました。あんな風に見られたのは、初めてです」

ふたたび、由良と何やら話し込む瞳子を見やり、妙子は感心しきりだ。

「瞳子はな、狼の仔を産んでもいいとすら言ってるくらいだからな」

「……惚気(のろけ)ですか」

「いや、オレはすでに袖にされた」

「そんな風には見えませんでしたよ? 先程のお二人は仲睦まじくされていらしたではありませんか」

黒猫の顔が、納得がいかないとばかりにセキに近づく。はは、と、セキは乾いた笑いを返した。

「まぁ……母上の手前、な。瞳子に、恋仲のフリを頼んでいる」
「フリ、ですか? だとしたら……瞳子様は相当 装うのが上手な方となりますね。
ワタシにはとても、瞳子様がそのように器用な方だとは思えませんが。……とても素直で綺麗で……可愛いらしい方に見えます」

「瞳子の心根が綺麗なことは確かだな」

セキの脳裏には、昨日の瞳子の泣き顔が焼き付いて離れない。
彼女を泣かせたのは自分の生い立ちが原因なのに、愛おしく思ってしまうのは間違っているかもしれない。

(それでもオレは、あの時の瞳子の顔を、一生のうちに何度も思い返してしまうのだろうな)

笑顔よりも泣き顔を思いだすのは、嗜虐(しぎゃく)趣味のようで罪深く感じられるが。

「……そんな風に瞳子様を見つめられて、それでも『袖にされた』などという言葉で、済ますおつもりですか? 意気地のない方ですね」

突き放すような物言いをされ、セキは思わず肩を落とした。

「オレの身近にいるヤツは、そろいもそろってオレに対して容赦ないよなー……」
「皆、若に幸せになってもらいたいだけですよ。そのためには苦言も呈します」
「分かってる。……ありがとな」

鋭い爪をわざと出してみせる妙子に微笑み返す。それに鼻息で応じたあと、妙子が思いだしたように言った。
「実緒様とのことは、よろしいんですか? 瞳子様とは別の意味で、お似合いでしたけど」

「いやお前さ……何を見てたんだよ? オレが実緒とどうにかなると、本気で思ってたワケじゃないよな?」

「だって、あんなに可愛いらしい方じゃありませんか。
殿方が三年も放っておかれるなど……若はどこかお悪いのではと心配しておりました」

「待て待て待て。
あー……妙子? お前の兄貴、格好良いと思うか?」

「はい。自慢の兄です」

「じゃあさ、その兄貴とむつみ合えって言われたら?」

瞬間。高速で放たれた獣の手刀が、セキの目の前をよぎる。
すんでのところでかわしたつもりだが、セキの前髪が数本、地面に散り落ちた。

「若。戯れにしても、言っていいことと悪いことがございますよ?」

「だから、そういうことだろ。オレにとって実緒は、妹も同然なんだよ。
それで手ぇ出したら……獣の所業だろ」

「ワタシ相手に『獣の所業』とは……言いますね?」

「お前だから言ったんだよ」

お互いに、気まずい話題を口にした自覚があったようで、つかの間、沈黙が訪れた。
視線の先では、瞳子と由良が何やら楽しそうにくすくすと笑い合っている。
(まぁ……カッコ悪いとか言ってらんねーか)

このまま何もせず、瞳子を元の世界に帰すのは、あまりにも自分を偽りすぎるというものだろう。

“神獣”として生きると決めたなら、なおのこと。
自ら選んだ“花嫁”をただ手放すのであれば、選んだことさえ無駄になる。

(あがくだけ、あがいてみるか)

それが一番自分らしいと、セキは己の心に刻みこんだ。



由良に(いとま)乞いをし、妙子に後を頼むと、セキは瞳子を連れながら“大神社”の本殿のほうへ足を進めた。

「アンタのお母様、素敵な人ね。……アンタがマザコンみたいになるの、ちょっと解る」

ふふっと笑って告げる瞳子に、内心「混ざ紺とは?」と疑問に思いつつも口にはせず、この先の目的を告げた。

「これから俺は、祖父に“神逐(かむや)らいの(つるぎ)”を返しに行ってくるつもりだ。
虎次郎に受け取りを拒まれた以上、前の持ち主である祖父に返すのが筋だろうからな」

「それ、私は同席しなくていいの? おじい様にご挨拶とか」

「あー……うん。本来なら、な。
ただ、あの人は“花嫁”に対しての扱いが酷くてな。瞳子に、不快な思いはさせたくない」