《一》

虎太郎(こたろう)は、背後にいる瞳子(とうこ)に気づかれないよう、こっそり息をついた。

「俺が“神獣”であることは、限られた者しか知らない。だから、ここから少し歩くことになるが……」
「大丈夫よ。気遣ってくれて、ありがとう」

『水の龍』を、萩原(はぎはら)家のある街中よりも外れにある農村部の林で降ろし、瞳子と二人、目的地に向かい歩きだす。

(何が「半月の辛抱」なんだ、オレ……)

先程の、瞳子の可愛らしさの破壊力といったらなかった。多分、向こう三年分の論理的思考力は奪われた気がする。

(イチの言った通りだ。オレは大馬鹿だ)

怒った顔も困った顔も。少し偉そうな態度も。
照れた顔もはにかんだ顔も。申し訳なさそうに潤んだ瞳で見上げてきた顔も。

(全部が、可愛い。可愛いすぎる……)

「ねぇ」
「……なんだ」
「私、アンタのこと、蹴ったりしないわよ?」
「は?」
「だって……なんか、私のこと、警戒してない?」

言われて、虎太郎は立ち止まった。

田んぼのあぜ道のど真ん中。やや後ろを歩いていた瞳子が、不満げに虎太郎を見ていた。
そこに、昨日までのような眼光の鋭さはなかった。

「いっそ、蹴り飛ばしてくれるくらいのほうがいいのか……」
「え? 何?」