「小泉良太と言います。 よろしくお願いします。」 ここは金ヶ崎高校普通科1年の教室である。
入学式を終えたぼくらは先輩たちに付き添われて真新しい教室へ戻ってきたところだ。
 やがてクラス担任の山田隆介先生が出席簿を抱えて教室へ入ってきた。
 「お、揃ってるな。 ではホームルームを始めよう。」 廊下では先輩の数人が大声で何やら話している。
「こら! 静かにせんかい! グラウンドを走らせるぞ!」
窓を開けた山田先生がものすごい顔で怒鳴ると、先輩たちはクスクス笑いながら教室へ消えて行った。
 「みんなはあんなやつらの真似をするんじゃないぞ。」 ぼくらに向き直った先生は不機嫌そうだ。
 それからしばらく、クラス委員とか今後のスケジュールとか少し固い話が続いて、みんなが疲れてきたころ、後ろのほうで大きなくしゃみをした人が居た。
 「いやいや、俺でもびっくりするようなくしゃみをする女が居るんだなあ。」 「すいません。」
さっきまで怒っていた山田先生が微妙に顔を崩して聞いてくるものだから、くしゃみをした女の子は真っ赤になってしまった。
 そう、この子が山下優。 この物語のもう一人の主人公だ。
 「じゃあ、明日はいろいろと大変だから混乱することの無いようにまとまって動くんだぞ。」
先生は出席簿を持って教室を出て行った。

 さてさて、その後の教室は、、、。
 一応、クラス委員に選ばれた安西智子と副クラス委員の福山哲郎が何やら話し合っているのが聞こえてくる。
よくよく聞いてみると席順をどうするかという相談をしているらしい。 そういえば決め手なかったな。
「今は適当に座ってるだけだから阿弥陀でもして決めようか。」 結局はそんな風に決まったらしい。
ぼくはどうも、さっきくしゃみをしたあの子が気になっている。 入学式の時も派手なくしゃみをして一斉にがん見された子だ。
(どんな子なんだろう? これまで見たことは無いよな。 何処から来たのかな?) まだまだ顔しか見ていないのにそんなことばかり浮かんでくる。
ボーっとしていると中学からの友達である吉沢京子が声を掛けてきた。 「ねえねえ、下校の時間だよ。 帰ろうよ。」
彼女は彼女で水泳を続けてきた女の子で、元気がいい。 ぼやぼやしているとさっさと逃げられてしまうから追い掛けるのが大変なんだ。
「良太君、本当に野球部なの?」 「何でだよ?」
「だってさあ、あんまり遅いから、、、。」 校門の辺りで京子はぼくを振り返った。
「そんなこと言われたって、、、。」 「そうよねえ。 だからずっと球拾いをやってるのよねえ?」
「そんなこと言わないでよ。」 「あーーーら、お気に召したかしら?」
「気に召したんじゃなくて気に障ったよ。」 「ごめんねえ。 あたしこんな女だから。」
 京子は意地悪そうに笑いながらまた速足で歩き始めた。 そこへ優が歩いてきた。
「変な人ねえ。」 「あれでもぼくには友達なんだよ。」
「へえ。 あんな人と友達なの? 変わってる。」 優は先を歩いていく京子を恨めしそうな眼で追っている。
 ちょうど昼になったところだ。 お日様が頭の上に有って焼けるような気がする。
校門を出ると京子たち寮組は学生寮のほうへ消えていく。 ぼくら通学組はバス通りを駅のほうへ歩いていく。
駅にまで来て振り向いた時、優が慌ててバッグで顔を隠したのに気付いた。 「どうしたの?」
「んんんん、何でもないわ。」 そう言うと彼女はさっさと定期を機械に通してホームへ走って行った。
(不思議な子だなあ。 何だろう?) その日は不思議に思うだけでぼくも電車に乗った。

 杜氏町駅から近衛前駅までは30分ほど、、、。 のんびりゆったり揺られながらの旅。
ぼくはそれほど鉄道マニアでもないんだけど、2両編成のこの列車は何だか可愛くて好きだ。
そうそう、優ちゃんは反対のホームで列車を待っている。 なんだか暇そう。
やっとそちらの列車がやってきて、ぼくが乗っている列車も発車した。 小さな町の小さな列車だ。

 大きな私鉄なら特急とか急行とか走ってるんだろうけどなあ。 車窓に見えるのは住宅街と田んぼばかり。
その中をノロノロと走って行くんだ。 寝ちゃいそうだね。

 欠伸をしていると一つ目の駅に着いた。 同級生が何人か降りて行った。
ドアが閉まって列車が動き始める。 窓から差し込む日差しも気持ちいいくらいに暖かい。
車内には人がそれほど乗っていなくて席もほぼ空いている。 ぼくは前のほうに座って外を見ている。
 線路沿いには県道が走っていてタクシーやらトラックが走っているのが見える。 呑気だねえ。
 昭和の頃はこの辺をオート三輪が走り回ってたんだってさ。 トトロの映画で見たあんな車なのかなあ?
 お父さんはね、マッサージの先生なんだってさ。 一度だけ仕事を見せてもらったことが有る。
お客さんと話しながら楽しそうにやってた。 「お客さんじゃない。 患者さんだ。」って怒られたけど。
 ぼくの将来はどうなるんだろうねえ? 今は分からない。
これっていう憧れも無いし、やれることをやれたらいいなとは思うけどさ。
何をやってもどうもピンと来ないんだよなあ。 近くにそんな人が居ないからかな?

 ぼんやりしていると列車が駅に着いた。 ホームに降りて発車する列車を見送る。
たまには駅員さんじゃないけど手を振ってみる。 この駅で降りるのはぼく一人。
なんだか寂しいなあ。
 帰ってくると父さんが遅い昼食を食べていた。 「ただいま。」
「おー、良太か。 帰ったのか?」 「そうだよ。 帰ってきた。」
「高校はどうだった?」 「まだまだ始まったばかりだから分かんないよ。」
「昼飯、作ってあるぞ。」 「うん。」
 ぼくはとにかく返事だけして部屋に入った。 「はーあ、疲れたな。」
机の上にはこの間 買ってもらったばかりのパソコンが置いてある。 前は古いやつを使ってたんだけどさ、、、。
そのパソコンを開いてインターネットへ、、、。 ぼんやりしながらYouTubeを見ている。
「良太 お昼 食べないのかい?」 そこへ母さんが入ってきた。
「ああ、すぐ行くから。」 「早くおいでよ。」
 母さんはね、旅行代理店で働いてるんだ。 土日が忙しいからって水曜日に休みを貰ってるらしい。
父さんは事務員を雇って治療院を経営している。 コロナの時は大変だった。
 父さんは大臣免許で仕事をしてるから休めないし保証も無くてさ。 感染したら終わりだっていうのに。
 奇跡的にもぼくらの周りで感染者は出なかった。 ホッとしたのは2023年になってからだ。
それまでは大変だったよ。 マスクは外せないし、外出は出来ないし。
 それでも治療院を休むわけにはいかなかったから父さんは毎日文句を言っていた。
 「役所連中はこんな現実を知らないから馬鹿なんだ。 一度でも俺たちと同じ生活をしてみろってんだ。」
まあね、文句を言ったところで役所の人たちがまともに聞くわけも無い。 あいつらはこれが正しいと思ってるんだから。
 昼食を食べていると裏のほうで声が聞こえた。 「先生! 来たよ!」
元気のいいおばちゃんだ。 近くで喫茶店をやってるおばちゃんだね。
「おー、桜井さん。 もう来たの?」 「だってだって、揉んでもらわないと辛いんだもん。」
「揉まれすぎじゃないのか?」 「いいんだよ。 先生にやってもらうと寝たくなるくらいに気持ちがいいんだから。」
 桜井たか子さんはお喋りしながらベッドに横になった。 「先生!」
父さんはコーヒーを飲んでしまうと施術室のドアを開けて中へ入っていった。