…それから、およそ一時間後。

「成程、手首の腱鞘炎で、頼みの綱だった先輩が負傷…クレープ屋の危機。それで、小羽根が代わりにクレープを焼けるようになる為に、練習してたと…」

「はい、そうです」

「で、放課後ずっとその練習をしてた為に、指先に軽く火傷を負ってしまったと。そういうことだね?」

「その通りです」

一時間かけて、必死に何度も、加那芽兄様に説明を繰り返し。

ようやく理解してもらえた。

たったこれだけの説明をする為に、一体どれほどの時間と労力を費やしたことか。

僕は疲れました。

それなのに、加那芽兄様は。

「なーんだ、そんなことだったのか…。それならそうと、最初から言ってくれたら良かったのに」

「…」

…言いましたよね、僕。ずっとそう言ってましたよね。

聞かなかったの、加那芽兄様ですよね。

ふつふつと怒りがこみ上げてきたが、もう怒る気力もなかった。

「良かったよ。小羽根をいじめる不埒者が現れたのかと思った。始末する手間が省けた」

さらっと怖ろしいことを言わないでください。

始末って。

「それはそれとして、小羽根の指の手当てをしなくては」

「手当てなんて、必要ありませんよ…。このくらい、放っておけば治、」

「なんてことを言うんだ!火傷を甘く見ちゃいけないんだよ。私の可愛い小羽根の手に、傷が残ったら大変だ!」

…傷なんて、そもそもついてませんけど。

明るいところでよーく見たら、うっすら皮膚が赤くなってるかなぁ…くらいの火傷ですよ?

自分でも気づかなかったのに、加那芽兄様、よく気づけましたね。

こんなの、火傷のうちに入りませんよ。

それなのに、過保護な加那芽兄様は。

わざわざ、使用人の志寿子さんに声をかけ、火傷用の軟膏を持ってきた。

あぁ…また過保護なことを…。

「さぁ小羽根、手を出して。塗るから」

「塗らなくて大丈夫ですって…」

「良いから出して」

有無を言わせない、という口調である。

…分かりましたよ、もう…。
 
「…分かりました。塗りますから…自分で塗ります」

「ダメ。私が塗る」

何で?

「自分で出来ますって」

「ダメ」

頑固。

仕方なく、僕はそっと、マニキュアしてもらうみたいに、加那芽兄様の前に手を差し出した。

すると加那芽兄様は、僕の指先に、丁寧に軟膏を塗り込んでいった。

ちっちゃい子供みたいな扱いですよ。

「しっかり塗って…。指の裏にもしっかり…」

「そんなに塗らなくて大丈夫ですって…」

「ダメ」

…まったく、どっちが子供か分からない頑固ぶりですね。

指先一本一本、丁寧に軟膏を塗り込んでから。

「よし!これで大丈夫。痛くなかった?小羽根」

「痛くないですよ…」

「そっか。偉いねー小羽根は」

よしよし、と頭を撫でられた。

さながら、注射を我慢出来た子供を褒めるかのように。

加那芽兄様の中では、僕はまだ出会った頃の幼児のままなんだと思う。