加那芽兄様が、僕の手首を手当てしてくれた。

自分で出来ますから、とは言ったのだけど…。聞いてもらえなかった。

…でも、お陰でちょっと、気持ちが落ち着いた。

それから加那芽兄様は、床に落っこちたままになっていた『新装版 ルティス帝国英雄伝』を拾い上げた。

あ…そうだ。その本…。

「済みません…。僕、その本を借りようと思って…」

「分かってるよ…。そんなことだろうと思った。いつでも入ってきて良いって言ったのは私なのに…」

そんな…加那芽兄様が悪い訳じゃ。

…やっぱり、明日にすれば良かった。

「ごめんね、小羽根…。辛い思いをさせて」

「そんな…僕のことは良いんです。それより、加那芽兄様こそ…」

辛い思いをしてるんじゃないですか。

僕を庇おうとするあまり…伊玖矢兄様と…僕の間で板挟みになって…。

すると、案の定。

加那芽兄様は眉間に指を当て、思い詰めたようにこう漏らした。

「…次期当主だからって偉そうに、か…。…私は、随分と傲慢なように見えてるんだろうね」

「…そんなこと…!加那芽兄様は傲慢なんかじゃありません」

傲慢どころか、加那芽兄様は僕が知る中で、もっとも優しく、そして平等な人だ。

目下の者には横柄な態度を取る伊玖矢兄様と違って、加那芽兄様はいかなる相手に対しても、失礼な態度を取ることはない。

大企業の社長が相手だろうと、屋敷の使用人が相手だろうと、常に感謝の言葉と謙虚な気持ちを忘れない。

そういう人なのだ。

次期当主としての、加那芽兄様の器の大きさが窺い知れるというものだろう。

「加那芽兄様は、僕に優しくしてくれました。兄様が優しい人だってこと、僕は誰よりもよく知っています」

「…小羽根…。…ありがとう」

と、加那芽兄様は口元に微笑みを浮かべた。

「君は優しいね、小羽根…。私の優しさなんて、君のそれに比べたら遥かに矮小なものだよ…」

「加那芽兄様…」

「伊玖矢を許してあげてくれないかな。あの子が小羽根に冷たく当たるのは、私に対する当てつけでもあるんだ」

当てつけ…か。…残念だけど、それはあると思う。

伊玖矢兄様は、無悪家の嫡子として、自分よりも優秀な加那芽兄様のことを妬み、憎んでいる。

加那芽兄様が僕を特別可愛がっていることも、伊玖矢兄様には気に入らないのだろう。

だから…あんな風に、僕に冷たく当たるんだろう…。

「伊玖矢には、私から注意しておく…。だから小羽根。私に免じて…」

「やめてください…。分かってますから」

加那芽兄様に頭を下げられなくても、僕はもとより、伊玖矢兄様を恨む気持ちなんてこれっぽっちもない。

「僕も…伊玖矢兄様のお気に触れないよう、態度を改めます…。…済みません」

「小羽根は悪くないんだよ。…ごめんね」

「いいえ」

何とか弟達の仲を取り持とうと、加那芽兄様が苦心されていることは知っている。

だからこそ、僕がこれ以上、加那芽兄様を心配させる訳にはいかなかった。