…少し、昔語りをしても良いだろうか。

この屋敷で、伊玖矢兄様と初めて会った時のことを。

伊玖矢兄様は、今もそうだが、ご自宅から学校に通われていた加那芽兄様とは違って。

寄宿舎のある学校に通っていて、普段は無悪家の屋敷に住んではいなかった。

伊玖矢兄様が屋敷に帰ってくるのは、夏の長期休暇と、それから年末年始。

そして…毎年無悪家で盛大なお祝いが催される、当主の誕生日パーティーの時だけだ。

それ以外は、常に留守にしている。

だから、初めて伊玖矢兄様に会ったのは、無悪家にやって来て半年近く経った頃だった。

僕には加那芽兄様の他に、もう一人兄がいる。

伊玖矢兄様に会ったことはなかったけど、それだけは聞かされていた。

加那芽兄様が凄く優しい方だったから、伊玖矢兄様もそうなんじゃないかと、僕は密かに期待していた。

出来れば兄弟三人で、仲良く過ごせるんじゃないか…って。

…今思えば、我ながら笑ってしまうほどの楽観ぶりである。

そんな風に楽観的な期待をしていた頃が、ある意味で一番幸せだったのかもしれない。

そして、そんな儚い期待は、脆くも崩れ去ることになるのだ。

年末年始の休暇で、伊玖矢兄様がお屋敷に帰ってくると聞かされ。

僕は、それを楽しみに待っていた。

そして、ついに伊玖矢兄様が帰ってきた時。

僕は自ら、伊玖矢兄様を出迎えに行ったのである。




「…」

玄関付近で待っていると、伊玖矢兄様が戻ってきた。

すぐに、お屋敷の使用人が伊玖矢兄様に駆け寄った。

伊玖矢兄様は、当時11歳くらいだったはずだけど。

まるで国会議員か社長さんのように、横柄な態度で、無言で着ていた上着を脱いで使用人に渡した。

加那芽兄様だったら、絶対にしないことだった。

何なら、脱いだ靴を揃えるのも、持っていた鞄を代わりに持つのも、使用人の役目だった。
 
その間、伊玖矢兄様は「ただいま」とも「ありがとう」とも言わず、不機嫌そうな顔で無言だった。

僕が伊玖矢兄様に嫌われているせいだろうけど、僕は伊玖矢兄様が心から楽しそうに微笑むのを見たことがない。
 
この人は、いつだってずっと不機嫌なのだ。

それでも、そんなことはまだ知らなかった、当時の幼かった僕は。

加那芽兄様と同じように、伊玖矢兄様とも仲良くしたいと思って…。勇気を出して話しかけた。

「あっ…え、えぇと…。お、お帰りなさい…」

おずおず、おどおどと伊玖矢兄様に近寄り。

小さな声で、僕は伊玖矢兄様に挨拶した。

すると、その時初めて、伊玖矢兄様がこちらをじっと見つめた。

思わずびくっとしてしまったが、今更「やっぱり何でもありません」と引くことは出来なかった。

「誰なんだ?お前は。何でここに子供がいる?」

それが、伊玖矢兄様が僕に初めてかけた言葉だった。

…自分だって、当時は子供だったはずなのだが…。