僕と加那芽兄様の父が生きていた頃は、その父が無悪グループの代表だった。

しかし父が亡くなった後、代表の座は、その妻である、この無悪玲衣子に受け継がれた。

とはいえ、奥様には正式に無悪グループの代表を務めるつもりはなかった。

グループの代表は直系の嫡男が継ぐべき、という旧態依然とした考えの持ち主である奥様は。

自分は名目だけの代表を務め、実際に代表としての仕事をこなしているのは、代表代理である加那芽兄様だった。

ゆくゆくは、正式に加那芽兄様に代表の座を譲るつもりらしい。

同じ屋敷の中に住んでいながら、僕と奥様が顔を合わせることはほとんどなかった。

奥様はよく、国内外を問わず出張に出掛けていることが多いし。

屋敷にいる時でも…。奥様が僕に話しかけてくることはほとんどないし、僕の方から奥様に話をすることは、もっと少ない。

実母を亡くした僕にとって、継母である奥様は唯一…僕の「母」と呼ぶべき人物なのだろう。

けれど僕は、この人を母と呼んだことは一度もなかった。

この屋敷に暮らすようになって十年も経つのに、未だに他人のように、「奥様」と呼んでいる。

実際、この人にとって僕は他人なのだ。

奥様にとっては、僕は卑しい妾の子でしかない。

奥様は本当は、僕を引き取りたくなかったのだ。

卑しい妾の子を、本家に引き取るなんてとんでもないことだと思っていたに違いない。

しかし、他に行く宛もなく、加那芽兄様自身が強く僕を引き取ることを切望したから、押し切られる形で本家に引き取られただけで。

今でも奥様は、僕を疎ましく思っている。

僕を見る時の目、その態度、刺々しい口調を見れば、奥様が僕を嫌っているのは一目瞭然だった。

「お、奥様…。…失礼しました…」

顔を正視する勇気もなく、僕は奥様の足元を見ながら、まごまごとそう答えた。

「何をしているのか、と聞いているのです」

奥様はなおも、厳しい口調で尋ねた。

加那芽兄様の留守中に部屋に忍び込んで、何か良からぬことを企んでいたのではないか、と言いたいのだ。

非常に不味いタイミングで、奥様と鉢合わせしてしまった。

でも、決して僕は、疚しい気持ちでこの部屋に立ち入ったのではない。

「そ、その…。加那芽兄様に用があって…。えっと、加那芽兄様はどちらに…?」

「あの子なら今、取り引き先との話し合いに行っていますよ」

「そ、そうですか…」

やっぱり、お仕事だったんだ…。

「ふん、賤しい女の息子は、言い訳も下手なのね。どうせ、あの子が不在の間に部屋に入って、疾しいことを企んでいたんでしょう」

「そ、そんなことは…!僕は本当に、加那芽兄様に用があって…」

「なら、用というのは何です」

それは…。

説明するのは憚られたが、しかし、ここまで言ってしまっては、引き下がることは出来なかった。