大浴場を清掃し、チェックアウト業務をし、予約管理をしながらリネンの清掃管理をして、午後のチェックインに備えてロビーとエントランスを綺麗にして――。
 数々の業務をこなし昼の一時をまわる頃、若松莊のエントランス前に黒塗りの車が止まった。エントランスの掃き掃除をしていた葉月は手をとめて様子を伺う。

(誰だろう。こんな時間に来客の予定はないはずだけど)

 姿勢の良い運転手が後部座席のドアをあけ、中から上品なスーツに身を包んだ男性が降りてきた。品のある立ち居振る舞いは普段の客層よりもワンランク上のように感じる。
 一応「いらっしゃいませ」と声を掛けようとした葉月だったが、その男性の顔を見て動きを止めた。

(嘘でしょ、あの男、まさか……)

 男性が葉月に気付き、駆け寄ってくる。

「見つけた! 源葉月さん!」

 男性は葉月の目の前まで来て、葉月の腕を掴んでグッと引き寄せた。

「なっ、やめて!」

 思わず葉月は声を荒らげる。しかし男性は手を緩めることなく葉月に顔を近づけ、力強い目つきで葉月をじっと見つめた。

「やめません。探していました、源さん。俺と一緒に来てください。俺と共に生きてください」
「は、はあ? 意味がわからない! 離して! なんで今さら顔を見せるのよ、上屋敷秀!」