あんなに晴れていたのに、夜が来る頃には雨が降っていて余計に気分が落ちた。窓の外を見ればどんより雲のせいで星ひとつ出てない空はぼやけていた。
「…今日は散歩行けなかったな」
大雨ってわけじゃないけど雨は雨、散歩には行けない。
ふぅっとタメ息交じりでベッドに腰かけた。
少しだけよかったって思ってる自分もいるの。
今、穂月の顔見られない。
穂月の顔、見たくない。
こんなこと思ったことなかったのに。
雨でよかった。
―ブーンブーン…
でもこんな日は決まってることがあって、それも習慣の1つだから。
「…もしもし」
あたしの電話の相手は1人しかいない。
「緋呂何してんの?」
穂月しか、いない。
「…え、何も」
「寝てた?」
「ううん、まだ寝てない」
「そうか…」
でも穂月からかかって来るのは珍しくて。
「今日は電話かかって来なかったから」
いつもあたしがかけてたから。
「あー、ごめん!ちょっと疲れてて忘れちゃってた!」
「…、体育祭の練習大変なんだな」
あ、やっちゃった。その話にするのはちょっと違った。
「そんなことないよ全然!ちっとも!」
別の話題にした方がいいんじゃないかと思ってすぐに話を切り上げようと思った。
「体育祭は晴れみたいでよかったな」
思ったんだけど…
考えてたことがこみ上げて来てしまう。
いろいろ考えた思いが、穂月からそんなこと言われたら。
胸が詰まる…!
「穂月、あたしっ」
「リレーがんばれよ」
「…え?」
「優勝、するんだろ?」
こみ上げて来た思いが涙に変わる。じわじわと瞳に熱を帯びて、言うより先にポロッとこぼれ落ちた。
「…うんっ」
「見えないけど、応援はしてるよ」
もやもやして苦しくて、表情だって上手く作れないけど、穂月のその一言で変わるものがある。
明日はもう少し笑えるように。
「穂月!おはよう!!」
「おはよ、朝からテンション高いな」
「だって朝だもん!」
「へぇ…」
学校に着いてすぐ保健室へ向かった、穂月はもう来てるんじゃないかって思ったから。
「今日は…保健室?」
イスに座って机には教科書やノートを出して今からここで勉強するって感じだった。
「あぁ、今日は1時間目からグラウンド整備だろ?その間自習でもしようかって」
「先週もやったんだけどね」
イスを引いて向かい合うように座った。
先週の雨で開催できなかった体育祭、明日行われることになった。もう1度グラウンドに落ちた石やゴミを拾って、テントを用意したりスコアボードを用意したり、最終チェックってことね。
「ずっと勉強してるのつまんなくない?」
「1人だとはかどっていいよ」
ペラッと国語の教科書をめくった。頬杖をついてじぃっと下を見て。
「…吉川さんがいるじゃん」
少しだけ皮肉っぽく言っちゃった。ふるふる震える唇で、こんなこと言わない方が…
「吉川さんはもう来ないんじゃないか」
「え、なんで…」
俯きかけた顔を上げた。
“じゃあ試してみる?”
あ、魔法…!
「こんなとこずっといる場所じゃないからな」
穂月は下を向いたまま教科書を見ている。
「…魔法使ったの?」
「え?」
顔を上げたけど、今度はあたしが下を向いたから目が合わなかった。
「……使ってない、魔女じゃないんだから」
「治さない方がよかったんじゃないの?…そしたら1人じゃなかったかもよ」
穂月が吉川さんに魔法を使ったことも、吉川さんといつも保健室にいたことも、あたしは寂しくてしょうがなかった。
穂月に1人でいてほしいなんて、ひどい奴だなって思う。
あたしはそんな奴なの。
「しんどいだろ、ずっと頭痛なんて」
また1ページ、教科書をめくる。伏し目がちな瞳は憂いで。
「ここにいるのもしんどいし、それこそつまんないだろ」
「穂月は…それでいいの?」
魔女には押されても針で刺されても痛みを感じない場所がある。
それってどこにあるのかな?
その刻印はどこにあるんだろ?
そんなのどこにあるのか、わからないけど。
「そんなの俺だけでいいよ」
それはきっと心にはないよね。
魔女は人の心を持っていた。
だから何が起きても守りたかったんだ。
つらいこともかなしいことも全部背負って全部を受け入れて、そうやって生きて来たんだ。
自分が、どれだけ傷付いても。
太陽の下を歩けないのは罰じゃないよ、そうやってみんなを見てるんだよ。
病気の人もケガをしてる人も太陽の下にはいないから、そばにいられるようにすぐ気付いてあげられるようにみんなを見守ってくれてるの。
きっとそれは最後まで残したかった魔女の優しさだと思う。
「緋呂、そろそろチャイム鳴るけど」
「穂月…」
「ん、早く教室行けよ」
でも誰も穂月のことは気付いてあげられなくて。
みんながグラウンドを走ってる時どう思ってた?傷付いてた?
あたしは全然わかってなかったよね。
「穂月は太陽の下を走りたいと思ってる?」
「なんだよ急に」
「え…いや、なんとなく!」
「…さぁな、そんなこと考えたこともないし」
窓の外へ視線を変えた。日差しが眩しくてここからでも目を細めたくなるようなまばゆさだった。
「太陽がどんなものかもわからないから」
遠くを見つめるように外を見て。頬杖をついて顔を傾ける。
今穂月の瞳に映ってるものってなんだろう?
穂月の叶えられない夢がそこにあるのかな。
保健室にずっといるのはしんどいよね。
でもグラウンドはもっとしんどかったかな。
「穂月」
「ん?」
「絶対見ててね」
「ここからだと見えなんだって言ってるだろ」
でもやっぱり穂月にもいてほしいよ。
「あたしだけを応援してよ、あたし穂月のために走るから…!」
「緋呂すご~!100メートル1位だよ、しかも全学年で1番タイムいいって!」
「まっかせといてよね!あたし陸上部エースだよ?」
「さっすが~!」
本日めっちゃくちゃ晴天、暑いくらいによすぎる天気に気分は上々今日は何でもできそうな気がするそんな体育祭。
序盤にある100メートル走で出せた好タイムに勢いづいたって感じ、まだまだがんばれそうだもんね!
「これからこんちゃん綱引きだよねー?がんばってね!」
「うん!任せて私もやるから!」
先週まではなくなればいいのにって言っていたこんちゃんだったけど、今日は打って変わって超やる気に満ちていた。これはあたしも同じクラスメイトとして応援し甲斐がある。
「あたしもやる気~!絶対リレー優勝するもんね!!」
体育祭1番のメインイベント、クラス対抗リレーは締めくくりにある。しかも男子があって女子があるから、あたしたち3年生女子のリレーが最後の体育祭で最後の種目ってこと。
それは燃えるに決まってる。
あ、でもその後にちょっとお楽しみはあるけど。
「でも十六夜くん残念だったね」
「ん?」
「本当ならあそこが十六夜くんの席だったんでしょ」
こんちゃんが指さしたところ、パイプを組んで建てられた真っ白なテントの下で放送委員がアナウンスをしてる隣…そこから応援する予定だった。
「見られたらよかったね」
「うん…」
てゆーかあそこめっちゃ目立つね、穂月あーゆうとこ嫌いそうだよね。席用意してもらわなくてもよかったかもしんない。
「大丈夫、見ててくれるから!」
「え?」
見ててくれる、きっと。
だからあたし走るんだもん。
グラウンドから校舎の方を見る、少し上の図書室を。
そこからじゃちょっと小さくて見にくいかもしれないけど、でも心配しないでよね。
あたしは絶対1位でテープを切って見せるから。
1位でゴールに着いたのがあたしだよ、見ててね穂月!
リレーの前は念入りにストレッチをして、バトン渡しを失敗しないように頭の中でシミュレーションする。
アンカーはあたし。
どんな順番で回って来ても諦めない、最後まで全速力で走る…!
ピストルの音で第一走者が走り出した、あたしに回ってくるまで4人…
スタートは結構いい感じだ。
そのまま、そのまま…
2位なら全然…
あ、抜かれた!
でもまだ…っ
「がんばれぇーーー!!!」
お腹から声を出して声援を送る、練習したバトン渡しは上手くいってるもんねよかった。
じゃあ、あとは…
よしっと気合いを入れて位置に着いた。
あたしが走るだけ。
「緋呂っ」
「はいっ!」
ガシッと掴んだバトンを離さないように、しっかり腕を振ってまっすぐ前を向いて足を動かす。
背中は見えてる、このまま捕らえられるあたしなら…!
きっとあたしが今どこを走ってるかわからないと思う。
でも、もう少し待ってて。
絶対追い越して見せるから、目を離さないで。
1人目を追い越してもう1人、あと一歩踏み切れば…!
…ダンッ
ヒラッとテープが浮かぶ、あたしの体に当たってスゥーッと消えていく。
切れた…っ!!!
あたし、…っ
全種目が終わった、あたしたちのクラスは最後のリレーのおかげでクラス優勝を果たした。最後の体育祭最高すぎる。
ダダダダダッと階段を駆け上がって誰もいないことをいいことに廊下を駆け抜けた。みんなグラウンドにいてここには他にいないから。
「穂月見てた…!?」
息を切らしながら図書室に飛び込んだ。
「あんだけ走っといてまだ走るのかよ」
はぁはぁと肩が揺れる、でもそれ以上に気持ちが先走っちゃって。
早くここへ来たかった。
「見てた?あたし…っ」
「見てたよ」
「…っ」
「見てた、緋呂が1番でゴールテープ切ったとこ」
じわっと瞳が熱くなって泣きそうになった。それだけだったのにうるっと涙が浮かんで。
「すげぇな緋呂は、本当に優勝しちゃうんだもんなぁ」
開けた窓に寄りかかるように頬杖をついて外を見る。ひゅーと入って来た風は涼やかで気持ちよかった。
その後ろで涙をこぼした。
穂月がいてくれたら心強い。
穂月が応援してくれたら力強い。
穂月があたしだけを見てくれたら…
あたしは穂月のためにがんばれる。
何にだってなれるよ。
涙を拭って顔を上げた。
「穂月!」
全部の対戦種目が終わったら、最後はお楽しみがある。たぶんそろそろ音楽が鳴る頃、図書室からは少し聞こえづらいかもしれないけどまぁいいか。
「踊ろう!」
「はぁ!?」
駆け寄って穂月の手を取った。
ここからは今まで戦い合って来たことを讃え合うようにみんなで輪になって踊るんだ。
「マイムマイム!」
「2人で!?」
ぐっと手を引っ張って図書室の真ん中まで、いつもだったら怒られるけど誰もいないしちょっとくらい大目に見てもらおう。
「さすがにマイムマイム2人ではきついから社交ダンスで!」
「社交ダンスってなんだよ、踊ったことねぇよ!」
マイムマイムを伴奏に手を取り合って社交ダンス…はイマイチしっくり来ないけど、どーせここにはあたしと穂月しかいないんだ何でもいいよ。
「昨日シンデレラの映画見たの!だから踊りたくて!ほら、穂月もご先祖様出てたし大丈夫!」
「魔法使いじゃないんだよ俺は!」
「あ、穂月は魔女か!白雪姫ならよかったね!」
見よう見まねのダンスを、険しい顔をして口を紡ぐ穂月と。
あたしはただ笑ってた。
「穂月さぁー、やっぱもう少し運動した方がいいよ」
「わかってるわそんなことっ」
「ちょっと社交ダンスしただけで息切れとか…ダサい」
「緋呂が体力あり過ぎるんだよ!つーか緋呂がめちゃくちゃ振り回して来るから!」
まだマイムマイムは流れていたけど、片付けが始まる前にグラウンドに戻らないとだから図書室から出て来た。
遠いしね、ここ。
一段一段階段を下りながら、体育祭も終わりか~ってしみじみ思いながら。
「あ、そーだ!吉川さんリレーがんばってたよ!」
「へぇー、体育得意だったんだ」
「まぁあたしには勝てなかったけどね!」
「緋呂にかなうやついねぇよ」
あたしの前をスタスタと歩いて、階段を下りて行く。顔が見えないからどんな表情で言ってるのかわからなくて。
「……。」
だから言いたくなっちゃった。
「ねぇ、保健室に吉川さん来なくなって寂しくなかった?」
穂月の背中に向かって、ちょっとだけドキドキして。
「なんで寂しいんだよ?」
でもいつもと変わらない声で返って来たから。
「だってっ、喋り相手いるじゃん!寂しくないかなって…」
「いらないよ、喋るのめんどくさいし」
「え、喋るの嫌いだったの!?いっつも長電話してたの嫌だった!?」
背中を追いかけて隣に並んだ。
少し見上げるようにして、穂月と目を合わせた。
「長電話は嫌いだけど、緋呂と喋るのは嫌いじゃない」
「……。」
えっと、それはどーゆう意味?
どう受け止めれば…
「緋呂には気使わなくていいし」
「なにそれ!?」
そーゆう意味なの!?
ちょっと期待しかけちゃったじゃんもうっ!!
でも…
「じゃあこれからも電話してあげてもいいよ?」
「なんで上からなんだよ」
穂月があたしを呼んでくれるならうれしい。
あたしが穂月のためにできることってなんだろうって、何が穂月のためになるのかまだわからないけど…
あたしがいてよかったって思われるようなそんな人になりたいの。
だから見ててね、遠くからでもいいから見付けてね。
あたしだけを。
あたしは絶対穂月の隣に帰って来るから。
魔女は本当に存在したのか、それともー…
「来週いよいよ大会なの!」
体育祭に続き中学生最後の夏の大会、あたしが陸上部として走る最後の大会…!
それはそれは体育祭以上に燃えている。
「もう来週なんだ早いな」
ゴクリと持っていた缶コーヒーを飲んだ。ふわっと香ばしい香りが漂って来る。
あたしはというと苦いコーヒーは苦手で今日もスカッとする炭酸ジュースだけど。
「うん!これで部活終わっちゃうのかと思うと寂しい~、いい結果残せたらまだ全国があるけどね!」
「緋呂なら大丈夫なんじゃねぇの」
「にゃ~」
珍しく猫のカラスがあたしに愛想振りまくように鳴いた。
カラスも応援してくれてるのかな?じゃあがんばっちゃうもんね!
「そろそろ時間だな、帰るか」
残っていた缶コーヒーを一気に飲み干した穂月がゴミ箱に空き缶を入れてベンチから立ち上がる。
穂月は絶対門限を破らない、怖いのかな月華ママが。
穂月が帰るって言うならしょーがないから、ぴょんっとベンチから立ち上がった。まだ飲み終わらないジュースが持って帰ろう。
「今毎日練習してるんだけどね、みんなやる気!って感じで楽しいの」
「楽しいんだ練習って」
「超楽しいよ!早くなればなるほど楽しい!」
丘の上の公園から下に置いていく階段を下る、暗いからゆっくりゆっくり今ここでケガしたらシャレにならないし。
これが最後かもしれない試合なんだもん、絶対そんなヘマはできない。
最後って言うと妙に緊張はしちゃうけど、いつも緊張はするんだけどいつも以上にバクバク心臓の音が大きくなる…
ダメダメ!まだ早い!!
今から緊張してたら本番潰れちゃう!
まだまだもう少しがんばらばいと…