居ても立っても居られなくなって駆け出した。
あの黒猫に何かあったらって思ったら、考える前に走り出してた。
足には自信がある、グラウンドから校舎裏はちょっと遠いけど走って行けば…
グラウンドを突っ切って保健室の前を通る、ここを曲がって…
それっぽい人たちがいないってことはやっぱこのまま真っ直ぐ行って裏側に行ったのかな。
てことはあの先まで行けば…!
「何してんの!?」
裏側を覗き込んだ瞬間叫んだ。
見たことのある顔たちにがぐわっとあたしの方を見て睨みつけた。
く、クラスの男子たち~~~~~!
犯人お前らかぁぁぁぁぁーーーっ
「何してるの!その猫怯えてるじゃん!」
だらっとシャツを出したり、腰までズボンを下げたりしてるクラスでもちょっと困ったちゃんな男子たち3人に囲まれ壁際に身を寄せた黒猫が縮こまっている。あたしにシャーッて虚勢を張ってた姿なんか微塵もなくて。
「何してるって可愛がってやってんだよなぁ」
「そうそう、にゃーにゃー鳴いてたから相手してやろうと思って」
「オレら猫好きだからな」
その瞬間、男子の1人が大きく振りかぶってシュッと何かを投げた。
「ちょっと何やってっ」
カツンッ、と壁に当たって跳ね返る。
コロコロと消しゴムサイズの石が転がって来た。
石って何してんの!?
「やめなよ!そんなことしたら…っ」
あたしの言葉なんか聞かないで、別の男子が落ちていた石を拾おうとした。
「やめてっ!」
だから前に出た。
言っても聞かないからせめてあの石が猫に当たるのだけは防ぎたくて、その場に飛び出して黒猫を抱き上げた。
シュッとあたしの前を石が通過していった。
あっぶな、スレスレだった…!
「んだよ、邪魔すんなよ!」
「邪魔とかじゃないでしょ!そっちがそんなことするから!」
あたしの声も大きくなっちゃって、つい強めに言っちゃったから。
「ふーん…」
キッと目つきが変わって睨みをきかす、その視線にはちょっとビビちゃって隠すようにぎゅっと猫を抱きしめた。
やばい…かも?
たぶんあたしの足なら逃げることだってできると思うんだけど、さらに石を拾ってポーンと上に投げたから…
何度もポーンと上に投げてはキャッチしてじーっとこっちを睨んで来る。
…その石はどうする気?
まさか、そのまま投げて来たりは…
「!」
スッと左足を上げて石を握った手を上げる。
あっ!こいつら野球部じゃなかったっけ!?
野球部のサボり魔たちだ!
フォームは普通にいいじゃん!!
じゃなくて…っ
石…っ!!!
「緋呂っ!!!」
ぎゅっと目をつぶった。
だけどいつもの声にそっと目を開けた。
穂月…?
「その手を降ろせよ」
ダンッと壁に手を当てながらはぁはぁと肩を上下に揺らしてあたしの隣に並んだ。
走って来たのかな、すごい苦しそう。
あたしを庇うように前に立って背中をあたしの方に向けた。
「十六夜…なんだよ、お前も遊んでほしいのか?」
振りかぶった手を1度下ろして、フッとほくそ笑んだ。
他の2人もニヤニヤ笑ってバカにしてる態度がほんとむかつく…!!
「じゃあご希望通り遊んでやるよ」
スッと大きく振りかぶる、やばいこの距離は避けられない!まともに当たっちゃう!!
「穂づっ」
後ろからシャツを握った。
これはやば…っ
「こらぁ~!何してるんだ!!?」
「げっ、猪熊!」
ぬんっと死角だった壁の方から社会の猪熊先生が現れた。
名前の通り、体が大きくて力も強いオマケに顔も結構怖い猪熊先生は生活指導の先生でもある。ギュンッと目をひん剥いた猪熊先生は何もしてないあたしから見ても震える。
あ、でも助かった猪熊先生が来てくれたら…!
「先生こっちです、大村たちが猫いじめてます」
え、呼んだの穂月!?
冷静に答えてる穂月二度見しちゃった。
「くおらぁぁぁっ、お前らはまたこんなことして!」
「十六夜てめぇっ、卑怯だぞ!」
さすがの男子たちも猪熊先生は怖いらしい、わかるこっち向かって来てる顔めっちゃ怖いもん。でも間違ってないし。
「卑怯じゃねぇよ、弱いもんいじめして卑怯なのはどっちだよ!!」
背中しか見えてなかったけど、そんな風に言える穂月はカッコいいよ。
石を投げ捨てて走って逃げていく、それを猪熊先生が追いかけて。猪と熊の名前が入った猪熊先生だから、絶対最後まで狙った獲物を離さない精神も侮れないからね。
「緋呂っ、大丈夫か!?」
「う、うん!あたしは!」
「そっか…!よかっ…た~」
「あぁぁっ、穂月!」
へなへなへな~っと壁を伝うようにして気が抜けたみたいに小さくうずくまっていった。猫を抱っこしたまま穂月の前にしゃがみ込んだ。
「穂月走って来た!?大丈夫!?」
「…保健室の窓から、帰ろうとしたら緋呂がっ…走っていくの見えたから…っ」
あ、見てたんだあの時…
それで心配してわざわざ…!
「すごい顔して」
「すごいは余計だよ!」
その自覚はなくもないけど!
必死だったし、夢中だったし、急いでたし!
「だから…何かあったんじゃないかと、…思って」
はぁはぁとさっきより息が上がって、何度も何度も大きく息を吸ったり吐いたりしてる。
そんな風になってでもあたしのところに、来てくれたんだ。
じーんとしちゃう、きゅぅって胸が鳴る。
「…ゴホ、ゴホッ」
「穂月っ」
穂月の背中をさする。
あたしの腕の中から離れた猫も寄り添うように、にゃ~と鳴いていた。
穂月は困ってる人を放っておけない、絶対助けてくれるの。
自分のことなんか顧みないで。
「大丈夫っ!?」
「マジで運動不足だ…」
ぜぇーぜぇーって詰まるような呼吸の音はどんどん苦しそうになって、声は消えていきそうで…
「あ、太陽…!!」
いくら校舎裏でも、その後ろは山だって言ってもそこから漏れる光はあるんだ。
ここにいたらダメだ!
てゆーかここまで太陽の下を走って来たんだよね!?
じゃあだいぶ光を浴びて…!
「穂月!ここから離れよ、今も光に当たってるから!」
「ちょっとくらい…大丈夫だよ」
「ダメだよ穂月!!」
あぁぁ~~~~っ
えっとどーしよ、このままじゃ穂月が…!?
でもあたしだけでは…!
「緋呂ぉ~~~~~…!」
「こんちゃん…!!」
「足早すぎ…っ、全然追い付けないよ…!」
こっちもぜぇはぁしながらやって来た。
よかったこんちゃんも来てくれたんだ!こんちゃんも!!
「こんちゃん!誰でもいいから先生呼んで来て!」
「え!?」
「急いで早く!!」
「う、わかった…!」
「大変申し訳ありません…!」
「いえいえ、巴先生は悪くありませんから」
「いえ、私がちゃんと十六夜くんのことを見ていなかったので…っ」
保健室に戻ると月華ママがお迎えに来ていて、巴先生は血相を変えてこれでもかってぐらい頭を下げていた。
月華ママはにこにこして別に怖いわけじゃないけど、預かった責任ってやつだと思う。
あれからこんちゃんが猪熊先生を呼んで来てくれてここまで穂月を運んでくれた。
今は愛くるしそうに猫を抱っこして頭をなでてる猪熊先生は顔がほくほくしてる。大村たちへのお説教はもう終わったのかな。
「少し体がびっくりしただけで、そこまで問題もないですし大丈夫ですから」
自分で歩けないぐらいぐったりした穂月は今現在ベッドの中で顔までふとんをかぶってくるまっている。
その前に置いてあった丸椅子に座った。
「今後はこのようなことがないように気を付けます」
「巴先生、頭を上げてください」
「いえ…っ」
「息子が勝手に飛び出して行ったんですから、悪いのは息子ですよ」
ううん、違う。
違うよ、悪いのはあたし。
あたしが後先考えずに走って行ったから。
こんちゃんにも1人じゃ危ないって言われてたのに、突っ走っちゃったから。
「ごめんね、穂月…」
膨らんだふとんの前、静かに口を開いた。
「あたしのせいだよね」
あたしを心配して来てくれた、あたしが無茶しようとしてるんじゃないかって思って。
穂月が太陽の下にいられないことは誰よりわかっていたつもりだったのに。
「穂月無理しないでよ…っ」
でも、もしね?
あの時…
自分に何かあるより、穂月に何かあった方があたしは嫌だよ。
穂月がいなくなっちゃたら嫌だよ。
「やだよー、穂月死なないでよ~!」
「死んでねぇよ!勝手に殺すな!」
うわーんと声を出すと穂月がガバッとふとんをはいで体を起こした。
「穂月…」
むぅっと口を紡んで眉間にしわを寄せた。
「…ちょっと寝不足だっただけだから、全然平気だからっ」
「…そーなの?」
「そーだよ!あれくらいどうってことないっつの、もう部活行け!」
フンッと吐き捨てるように言うとまたふとんの中へもぐっていった。
「あらあらカッコいいとこ見せられなくて残念ねぇ♡」
「月華ママ…」
キレイに揃えた右手を口元に当て、なぜかふふっと笑って嬉しそうだった。
それを聞いてさらにふとんの中へもぐっていった。
…え?なに??
「……。」
と、とりあえず大丈夫…ぽいのかな。じゃあよかった。
部活に戻らないとだよね、勝手に抜けて来ちゃったし。
「あたし戻ります!」
ピシッと手を上げて巴先生たちにあいさつをした。ずっとここにいてもあれだし、一旦部活に戻った方がいいと思って。
「緋呂」
じゃあと、保健室から出ようとドアの方に足を向ける。
「なに、どうかした?」
「夜、行くから」
夜…?っていつもそんな言い方しないのに…
「猫、返しに行くんだろ?」
ふとんの中から聞こえた声、ずっと穂月も考えててくれたんだってうれしくなる。
やっぱり穂月は放っておけないよね。
優しいんだよ、穂月は。
「…うん!」
夜には体調も戻った穂月と黒猫を抱えてトキくんのお家へ向かった。
ぜーったい喜んでくれるよね~、よかったね黒猫ちゃんも。やっと会えるんだよ、大好きなご主人様と…
「その猫、捨て猫です」
「「………は?」」
一瞬何を言ってるのかわからなくて穂月とハモってしまった。トキくん家の玄関の前、家にも入れてもらえなかった理由が今明確になりつつあった。
「す、捨て猫とは一体…?」
「ぼくんちの猫じゃないんです、いっつも公園にいたからよくあそんでて。でも急にいなくなっちゃったから…どこ行ったのかなって」
「「……。」」
え、ずっと一緒に遊んでたっていうのは…
そーゆうことなの…?
あたしも穂月も声を失っちゃってなんて言ったらいいかわからなかった。
いや、あんなこの世の終わりみたいな顔で訴えてきたじゃん!あれ何だったの!?
「ほんとうは飼いたかったけどママだダメだって言うから」
もうママに説得された顔をしている。ママの言うことは絶対なんだ、すべてを受け入れてなんならスッキリした顔しちゃってる。
「だから、ごめんなさい」
ピシッとドアを閉められた。
にゃ~と黒猫が鳴いている。
………え?
え~~~~~~!?
じゃあどうすんのこの猫~~~~~~~~!?
「…仕方ないだろ、こうなったら」
「仕方ないの!?仕方ないで済ましちゃうの!?いいの!?」
トキくん家からは帰るしかなくて、猫を抱っこしたまま引き返して来た。夜道をとぼとぼ歩いて、行きはあんなに足取りも軽かったのに。
「よくはないけど、元々飼ってた猫を捨てたわけじゃないし。動物を飼うにはリスクだってあるんだ、簡単には飼えないんだから逆にスパッと諦めた方がこの猫にとってもいいことだよ」
「…そうかもしれないけど」
でも、じゃあ…
この子はどうなるの?
てゆーか、トキくん家の猫じゃないならどこの家の猫なの?
帰る家はないの…?
「!」
スッと穂月の手が伸びて来て、あたしのところからすくうように猫を抱えて行った。穂月がもふもふとなでるとにゃ~って正真正銘の猫なで声で鳴いた。あたしが抱っこするよりうれしそうだし気持ちよさそう。
「うち来るか?」
「え…?いいの!?」
「他に行くところないなら」
…穂月は困ってる人を放っておけないけど、困ってる猫も放っておけないらしい。
「ばーちゃんも母さんも猫好きだし、特に黒猫は」
さすが魔女一家…!!!
確かに満月おばぁちゃんなんて隣に黒猫いないと変な感じする!
でもね、黒猫も穂月にそう言われて心なしか顔がほころんだ気がしたの。
にゃ~って泣きながら穂月の頬をペロペロ舐めて。
穂月がそう言うなら、黒猫も安心だよね。
「今日からよろしくな、カラス」
「その名前は魔女が過ぎるよ!!!」
あたしはそんな魔女が大好きなんだ。
魔女は体のどこかに“契約の印”と呼ばれる、痛みを感じないところがある。
強く押しても張りで刺されても無痛の場所が存在するー…
「痛っ」
シャッと黒猫のカラスが穂月の手の甲を引っ掻いた。あたしが黒猫のカラスをなでようとしたら、それが気に入らなくて立てた爪が穂月に当たっちゃった。
「穂月大丈夫!?」
「あぁ…ちょっと当たっただけだから」
「血出てるよ!?」
どうやら黒猫のカラスはあたしのことが気に入らないらしい。
何さ!助けてやったのに!!
大村たちにいじめられてるところから助けたあげたのにさ!
てゆーか黒猫のカラスって紛らわしくない!?
「カラスすっかり穂月に懐いてるよね」
梅雨シーズンに突入した夜はむしむしと暑い。雨が降ったら涼しくなる日もあるけど、雨が降ったら穂月と夜のお散歩できないしこの季節は好きじゃない。
「うちにもすげぇ馴染んでるよ、よくあの薬草の匂い強いばーちゃんの部屋で寝てるし」
「猫って匂いに敏感って言うよね?薬草の匂いはいいんだ!」
…それってやっぱ魔女の使いだから?
なんて想像があたしの頭の中では止まらないけど。
黒猫のカラスだって穂月の肩にちょこんと腰かけるようにしてなんかもう本当、それにしか見えない。
「にしても今日暑いな」
「穂月長袖だもんね」
いくら陽が落ちたとしてもいつでも長袖を着ている、しかも真っ黒のシャツでこの暗闇じゃほとんど穂月見えない。
あと肩に乗ったカラス(黒猫)も暑いに違いない。
「なんか飲み物買って休もっか、暑いと疲れるよね」
さびれたベンチはあるし、種類は少ないけど自販機だってあるからね。
公園の隅っこにある自販機に飲み物を買いに向かった。こんな時のために毎日ジュース買うぐらいの小銭は持ち歩いてる。
「何にしよっかな~、やっぱ暑いから炭酸系かな~!?」
迷う、レモンもいいしブドウもいい。冷たいのをグーッて飲みたい。
「穂月は?何にするの、決めた?」
「あぁ」
ガタンッと自販機から落ちて来た。あたしが悩んでる間にすでにお金を入れていたらしい、しゃがみ込んで落ちて来た飲み物を取り出した。
BLACKの文字がデカデカと目立つコーヒーを。
「…どこまで黒好きなの」
「ん、何か言ったか?」
「ううん、穂月っていっつもコーヒー飲んでない?ほんと好きだよね!」
「まぁ…、別に」
「別に!?そんだけ飲んどいて!?」
やっぱレモンにしよ!レモンの方がスカッて感じするし!
「あ、そうだあたし選手に選ばれたよ!」
ベンチに座りながらペットボトルの蓋を開ける、シュ~ッとテンション上がる音がした。
「おめでと、よかったな」
ブラックの缶コーヒーをひとくち飲んだ穂月が口角を上げる。
「穂月の魔法のおかげかな」
「緋呂の実力だろ」
中学最後の夏の大会、部内で行われた出場者テストを見事1位でクリアして今年も無事出られることになった。
最後って聞くと俄然燃えて来る、絶対負けたくない。だけど…
「怖いよね、上手く走れるかな…っ」
飲もうと思って蓋を開けたのに、大会のことを考えたら口に含むこともできなくてただ膝の上に置いただけになった。
はぁ~と肩を落として俯いて、体が重くなる。
「ここまではいつも絶好調なのにな」
「ここからもいつも絶好調だよ!」
…最後はね、いつもなんだかんだ上手くはいってるの。
でもみんなの前で走るのは怖い。
失敗しちゃったらって思うと怖い。
「緋呂はプレッシャーに弱いよな、意外と」
「意外ってなによ」
「にゃ~」
「カラスまで!!」
はぁっと息を吐いた。
まだ飲めないままだったレモンスカッシュをごくんっと飲んだ。シューッと喉を通って、喉を潤してくれる。
「…これが中学最後の大会だもんね」
3年間陸上をがんばって来た証、悔いの残らない大会にはしたい。そのためにはもっともっとがんばらなくちゃ。
でも1つだけ、あたしには夢があって。
「いつか穂月にもあたしが走ってるところ見てほしいな」
応援に来てくれたらいいのに、って。
何度も思ってた。
走るたびに、穂月も見ててくれたらいいのにって。
「なんて無理だよね!ごめん忘れて!」
そのたびに穂月が寂しそうな顔をするのもわかっているのに。
「そろそろ帰ろっか!門限過ぎたらまた月華ママに怒られちゃう!」
ペットボトルの蓋を締めてすくっと立ち上がった。
もうすぐ9時になる、穂月もといられる時間まであとちょっと。
本当はもう少し一緒にいたけど。