ここは人種の坩堝(るつぼ)だとセイジも言っていた。
宗教も違えば生活習慣も違う人間が、入り乱れて生活している。
ある程度相手を知るまではかなり気を使うのよ。

このニューヨークで、やっぱり同じ民族同士は気を許しあって固まる傾向にあると思う。
わたしが問題なく違う人種の人とつき合うことができるのは、日本人の両親を持ち、なおかつ幼い頃からのアメリカ暮らしで、こちらのほうの価値観や概念も、自然に思考や行動に反映されているからなんだろう。

日系企業の日本人のおじさんが、セイジを見て安心するように、セイジもわたしのそばだと多少安心するのかもしれない。
それだけよ。
それ以外の何ものでもないわ。

「いくらジェシーでもあんまりおかしなこと言うと怒るから!」
「ふぅん」