午前の授業が終わって、掃除の時間になった。
 昼休みにトーコちゃんが話していた占いも、ほとんど上の空で聞いていたから覚えていない。だって、それどころじゃないんだもん。

 ゴミ箱をかかえながら、小走りで階段を降りる。

 もう一度、夢のあの人を思い浮かべてみるけど、やっぱりそっくりだ。遠目で見ただけだから、もしかしたら全然違うのかもしれないけど──。

 そんな考えごとをしていたら、目の前に人がいたことに気づかず、さけようとしたわたしの足は階段をふみ外した。

 ……落ちるっ! とっさに目をつぶったけど、体は動かない。しりもちをつくどころか、氷みたいに固まっている感じがする。

 あ、あれ? どうなってるの?
 おそるおそるまぶたを開けると、長くてきれいなまつ毛の男子が、ゴミ箱を持って立っていた。

「大丈夫?」
「あ、ありがとうございます! すみませんでし……たっ、わっ」

 ゴミ箱をもらおうとしたのに、バランスを崩して逆に受け止められてしまった。支えられた肩を意識しちゃって、ドキドキしている。

「階段は走ったらあぶないよ」
「……はい」

 だって、目の前にいるのが、あの夜宮紅羽先輩だったから。

 赤みの深い茶色の目。ちょっぴり冷たそうな表情。近くで見たら、ぼんやりしていた人影が重なった。

 ふわりと視線が合って、わたしの頬はバラの花より真っ赤に染まっていく。向けられた笑顔があまりに優しくて、胸の奥がキュッとしめつけられた。

「あ、ありが……」

 お礼を言いかけて、下げた顔を足元から上げる。先輩の背後に、もわもわとした黒い影が現れた。
 な、なに……これ?

 パチンと指がなる音がして、まわりが一気にざわつきを取り戻す。

 そういえば、掃除の真っ最中だった。
 早く済ませて教室へ戻らないと。

 素早くゴミ箱を回収すると、わたしは深くおじぎをして逃げるようにその場を去った。