そう思ったけれど、人の好意を無下にすることができないわたしはコクンと頷いて笑顔を浮かべた後、スマホを取り出してメモアプリを開き【ありがとうございます】と打ち込んで画面を看護師さんへと向けた。
「どういたしまして。折り紙って意外と奥が深くて楽しいんだよ。じゃあ、わたしは戻るね。何かあったらすぐにナースコールで呼んでちょうだい」
ひらひらと手を振りながら去っていく看護師さんを笑顔で見送った。
きっと、気を遣ってくれたんだと思う。
今時、スマホや漫画もあるのに折り紙って。
ピアノを習っていたから手先は人よりは器用だとは思うけど、折り紙が好きかと言われるとそこまで好きじゃない。
目の前に置かれたケースを開けて折り紙を取り出して広げた。
赤、青、緑、黄色、ピンク……。
カラフルな色合いが視界に広がる。
どれも希望に満ちた色。
今のわたしは黒とか灰色とか茶色とかそんな感じの暗い色が合っている。
それでも無意識に一枚、手に取っていたのはピンク色の折り紙だった。
近くのテーブルに置いてあった筆箱からボールペンを取り出してぎゅっと握った。
ここになら、言えない想いを書いたって誰もバレない。
そう思ったわたしはピンクの面を裏返して白い面に“消えたい”というたった四文字を書いた。
―――消えたい。
これがわたしの今の気持ち。
こんなこと誰にも言えなかった。
きっと、言えばみんなはたとえ上辺だとしても悲しむと思ったから。
いつもニコニコしているわたしが心の内でこんなことを思っているなんて思ってもないだろうし。
死にたいというより消えてなくなりたい。
自分という存在をこの世から消してしまいたい、そう思っている。
じわりと目の縁に涙が染み出てきてぽたりと折り紙に落ちて丸いシミを作る。
わたしは涙を服の袖で雑に拭うと折り紙の端と端を合わせて半分に折り、それを開いて真ん中の折り目に合わせて角を折り上げる。
頭の中で折り方を再生しながら順序通りに折り進めて出来上がったのは紙飛行機。
……どうせ、誰にも見られずに捨てられるだろうし。
そう思ったわたしは紙飛行機を空いている窓の外へと投げた。
ふわり、と緩やかな風が吹いた後、紙飛行機はそのまま下に落ちていきわたしの視界から消えた。
これがわたしの人生を変えることになるなんてこの時は思ってもいなかった。
翌朝。
入院生活2日目はとくに何にもすることがなく、わたしは窓の外から見える青く澄んだ空をただぼーっと見つめていた。
時折、ふわりと頬を撫でる風が心地良くて自然と頬が緩む。
足を骨折してしまっているわたしが外に出るには誰かの助けが必要になるから基本的に病室で過ごす時間が増えてしまう。
そんな中で唯一外の空気を感じられるのがこの窓からだ。
また、ふわりと風が吹いてカーテンが暴れている。
だけど、その瞬間にわたしの病室に何かが風に乗ってばさり、とベッドに落ちた。
紙飛行機……?
わたしの目の前には赤色の紙飛行機が見える。
普段なら誰かのいたずらかたまたま投げ込まれたんだなって思って放っておくけれど、どうしてだか今日はそれができなかった。
だって、わたしも昨日紙飛行機を外に向かって飛ばしたから。
偶然にしては出来すぎているような気がして興味が湧いた。
わたしは恐る恐るその紙飛行機を手に取って、丁寧に紙を広げ、目を大きく見開いた。
そこには昨日わたしが書いた“消えたい”という言葉を受け取った人からの返事が書いてあったから。
ばくんばくん、とうるさいくらい鼓動を高鳴らせながら目で文字を追う。
“初めまして、俺は想といいます。
君が投げた紙飛行機を受け取って内容を読みました。
君はどうして消えたいと思うの?
理由を知らないと何も言えないからよかったら教えてほしいです。
もし、返事をくれるなら今日の16時にまた紙飛行機を投げてください。あそこは誰も通らないから心配しないで”
想と名乗る男性はお世辞にも字が綺麗だとは言えなかったけれど、その文面からは揶揄うような気持ちは一切感じられずにわたしが昨日投げた気持ちをしっかり考えたうえで返事をしてくれたのだというのがひしひしと伝わってきた。
まさか、返事が返ってくるなんて思ってもいなかった。
誰にも知られないと思って吐き出した言葉だったのに。
どうしよう。
もう一回、返事をするべきなのかな。でも、どこの誰かもわからない人だし。
そんな不安や悩みが頭の中をぐるぐると回る。
知らない人と関わるのは怖い。
だけど、この想って人はわざわざわたしの為に返事を考えて紙飛行機で言葉を届けてくれた人だ。
普通の人なら無視するはずなのに。
それに知らない人にならみんなには言えない気持ちが言えるかもしれない。
わたしが理由を教えたら興味がなくなってもう返事もこないかもしれないし。
最後に一度だけ、紙飛行機を飛ばそう。
:
☁
:
タイムリミットの16時まであと1時間ほど。
わたしは机の上の折り紙とにらめっこをしていた。
なんて書こうかな。
わたしが“消えたい”そう思った理由。
具体的なことを聞かれると正直なんて言えばいいのかわからない。
ただ、死にたいとはまた違う感情だということ。
別に死にたいとは思わないけれど、最初からこの世に存在していなかったみたいにすっと消えてしまいたい。
わたしは息をするのがひどく苦しい時がある。
何をしていても人の機嫌や顔色をうかがってしまうから。
本当はこうしたいと思っていてもそれを相手に伝えられない。
否定されたり、嫌われたりするのが怖いから。
だから自分の意見はあんまり言わないようにして人に合わせて生きてきた。
それが穏便に生きていける方法だと思っていたから。
でも、結局ダメだった。
何がダメだったのか、わたしの発言のどこが気に入らなかったのか。
そんなことを考えていたら、言葉が音にできなくなった。
わたしに生きている価値なんてどこにもない。
だけど死ぬ勇気もないから消えたい。
何もできないからっぽのわたしなんて誰も見向きもしない。
誰も好きになんてなってくれない。
声が出なくなった原因をいつまでも話そうとしないわたしを鬱陶しく思っているはず。
家族も、友達も。
ペンを握ると、わたしはふぅと息を吐いて折り紙の裏面に誰にも言えない本音を書き始めた。