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 墓前(ぼぜん)で手を合わせて目を閉じる。

 さぁ、と流れるようにそよいだ風が耳元を通り過ぎていった。

(風花ちゃん……遅くなってごめんなさい)

 彼女は、そしてわたしの本当の両親はどう思うだろう?
 わたしが成り代わっているという事実を。

 このまま「風花」として生きるのが正解なのかどうか、自分でも分からない。

 だからといってこの10年間をひっくり返し、いまさら「結衣」に戻るなんて無茶だ。

 土台からすべてが揺らぎ、日常も平穏も壊れてしまう。
 それで幸せになれるとは思えないし、何より悠真の決意や優しさを否定しかねない。

『思い出さなくていい』

 前に悠真は、それがきみのためにもなる、と言った。
 きっと、こういう葛藤からも守ってくれようとしたのだろう。

 10年近くたったひとりで真実を背負い、秘密を抱え、口を(つぐ)み続けてきた。
 ひとえにわたしを思ってのことだ。

 ……どれほど強い覚悟が必要だったんだろう。

 結局、どうするか選ぶのも決めるのも自分自身だ。
 それはいまを生きているわたしにしかできないこと。

(わたしは────)

 悠真の守ろうとしてくれたものを、大事にしたい。

 その方がきっと後悔しない。
 真実だけが“正しい”とは限らないから。

(それでもいいかな……? 風花ちゃん)

 ふ、と目を開けた。
 何だかはじめよりもあたりが眩しく感じられる。

「……言いたいこと、伝えられた?」

 隣に立っていた悠真に尋ねられ、そっと頷いた。

「わたしはわたしなりに前に進もうと思う。風花ちゃんをがっかりさせないように」

「そっか。……うん、いいんじゃない」

 不思議と心は透明で軽かった。

 髪の結び目に手を当て、リボンのバレッタを外す。
 彼女と大和くん、ふたりの思い出や時間は、最初からわたしのものじゃなかった。

 彼女に返す形で、墓前に供えておく。
 それから悠真を見上げて告げた。

「ありがとう、悠真。ここに連れてきてくれて」

 彼はただゆったりと微笑んだ。
 わだかまりや呵責(かしゃく)から解放されたような、晴れやかな表情だった。

 手桶と柄杓(ひしゃく)を持ち、立ち並ぶ墓石の間を歩いていく。
 見上げた空はいつもより澄んでいて、薄い雲が優しくたなびいていた。



「……あら、悠真くん」

 水道のそばに手桶を返したとき、ふとそんなふうに声をかけられた。
 彼と一緒に振り返ると、40代くらいの女の人が立っている。

「こんにちは」

「こんにちはー。結衣のお墓参りに来てくれたの? わざわざありがとう」

 わたしは瞬きも呼吸も忘れて、真剣に女性を見つめてしまった。

(お母さん……)