放課後。
 3年A組の教室で、応援合戦の打ち合わせをすることになった。
 2年A組から代表で参加しているのは、ジャンケンでその権利を勝ちとった葵ちゃんと近藤くん、体育委員の雅ちゃんと白石君。
 そして私は、しーちゃんの古参ファンだからって、みんなの優しさで推薦された。

 御幸くんと親しいこと、すばる先輩と仲良くさせてもらっていることも、代表に推された理由の1つかな。
 本当はキングの中の誰よりも、しーちゃんが一番私に近いんだけど……。
 幸運なことに未だに私たちの関係は、誰にも気づかれていない。

 それはしーちゃんがあまりにも一般人離れしていて、雲の上の存在って思われているからだと思う。
 私とじゃれ合う姿とか、寝食をともにしてきた幼なじみ、なんて。みんな想像もできないんだろうな。
 まあ私が、しーちゃんの隣にふさわしい女の子だって、認められてないからかもだけど。

 とにかくおかげでココまで、わりと穏やかな学校生活がおくれている。
 体育祭が終わったら、ね。
 友達には、しーちゃんと同じ学校に来た『追っかけ』の真実を、ちゃんと話すつもりだけど。



「あ~! 応援団の衣装、何かインパクトあるやつにできないかな~。体操着にチームカラーのたすき、ハチマキだけなんて。毎年つまんないんだよね~」

 机をコの字型にし、キングが中心となって話し合いを進めている中。
 すばる先輩は前方の席で、頬杖をつきながらそうぼやいた。
 
 前の学校では応援団なんてなかったから、それだけでもカッコいいなぁってわくわくしちゃうけど。
 衣装かぁ。
 男子も女子もお金をかけずに、短い日程で用意できるもの。
 一から手作りはムリだけど、少し手をかけるくらいなら私にもできるかな。
 うーん、だったら……

「制服はどうですか? たしか、今のこのブレザーって、すばる先輩がデザインしたものが採用されたって聞いたんですけど」

 私が手をあげて提案すると、すばる先輩は怪訝そうなカオをした。

「たしかにそうだけど……どういうこと? このブレザーにオレが新たに装飾でもして、みんなが着ればいいってこと?」
「いえ、そうじゃなくて。あの、2年前まで秀麗の男子の制服って、黒い学ランでしたよね?」

 しーちゃんが1年の時そうだった。全学年のいっせい制服チェンジは衝撃的で、よく覚えている。

「それを集めて、ちょっと赤くキラキラさせて。応援団の人が着るっていうのはどうですか?」
「え?」
「学ランってカッコいいし、新鮮だし。私たち1、2年生には馴染みがないので、みんながお揃いで着てたら、それだけで注目の的だと思うんですよね」

 今のブレザーはオシャレだけど、しーちゃんの学ラン姿もキリッと見えて素敵だった。
 キングのみんな……ううん、女子が着たって、すっごくカッコイイと思うの。
 私の提案に、横にいた葵ちゃんと雅ちゃんからは「見たい♡」って、甲高い声が上がった。
 それだけじゃなく、他の3年生や1年生からも賛同の拍手をもらう。

「なる……。古い制服なら3年男子はまだ持ってるだろうし、汚れても破れてもいたくないし。オレがちょっとデザインを加えて、あとは各自で丈の直しをするくらいなら、間に合うか」

 すばる先輩を表情をパッと明るくした。

「よし、芹七ちゃん。それで行こう!」
「はい、私も装飾とかお手伝いしますので」
「ありがと~。じゃあ御幸も、紫己も。決まりでイイよね?」

 ふたりは大きくうなずいた後、私を見て柔らかく笑む。
 それに気づいた葵ちゃんと雅ちゃんが、うっとりとした目をした。

「御幸さんはいっつも優しいけど、紫己さんが笑うのレアじゃない?」
「はぁ♡ イケメンのたまの笑顔って、破壊力ハンパないよね~♡」


 ☆★☆


「――(みや)さん、ちょっといい?」

 帰り際に、しーちゃんにそう声をかけられた。
 葵ちゃんをはじめ、まだ数人の生徒が教室に残っている。
 御幸くんやすばる先輩と一緒じゃない時に、こんなふうに個人的に話しかけてくるのは珍しい。

 宮さん、だって。
 たしかにしーちゃんが「せりなちゃん」なんて、すばる先輩みたいに優しく呼んだら、次の日は学園が大騒ぎだよね。
 何かちょっとくすぐったいけど、うん。こういうのも悪くないかも。

「熱、ない? ちょっと顔が赤いし、涙目な気がするんだけど」

 しーちゃんは前かがみになって、私の顔をのぞきこむ。
 そしていつものように額の熱を計ろうとして――思い直って、伸ばしかけた手で空を切った。
 代わりに、横から御幸くんがスッと手を伸ばして、私の額に触れる。

「たしかにセリちゃん、ちょっと熱いか?」

 あれ? いつもならそういう事してくれるのは、しーちゃんだけなのに。
 今日は御幸くんが幼なじみみたい。

「みゆキィ……」

 しーちゃんは行き場の失った手をゆっくり下ろしながら、みんなには聞こえないくらいの低音でうなった。
 御幸くんは片方の唇をつりあげて、クッと小さく笑う。

「うん、わりとイイな。セリちゃんに一番近いこのポジション」

 わぁ、隣にぴったり並んだ!
 
「紫己がここに戻ってきたら、どうせ俺の入る隙なんてないんだし。今のうちに満喫しとくかな」

 私の頭に自分の頭を横からコツンとぶつけて、わざと煽るみたいにしーちゃんを見る。
 御幸くん、何か楽しそうだなぁ。
 裏腹に、しーちゃんはだいぶ不機嫌そうに見えるけど。
 う~ん。ホントに2人、仲がいいんだよね??


 ☆★☆


 私とキングの3人が昇降口を出たのは、夕方5時をすぎた頃だった。
 空はまだ明るい。
 青々とした芝のはえたグラウンドでは、リレーの練習をしている生徒の姿も見える。

「へ~、E組。まだ頑張ってんじゃん」

 すばる先輩が口にくわえたキャンディーの棒で、「ほら、あっち」と右側をさした。
 チームカラーの緑色のハチマキ。ほんとだ、みんなまだコースを走っている。
 その傍らには、黒崎先輩の姿もあった。

 ……って、あれ?
 先輩、右足を引きずってない?
 アンカーのたすきはかけてるけどエリアには入ってないし、何だか不便そうにぴょこっと跳ねながら歩いている。

 もしかして……。ううん、もしかしなくても。
 階段で私をかばったせいで、足をケガしちゃったのかな?
 あの時、「行けっ」て急かされたのもあって、私は黒崎先輩の無事を確認しなかった。
 どうしよう、体育祭の前なのに。
 捻挫ならすぐに冷やさなきゃダメなのに。
 自分のせいかもしれないって思ったら、いても立ってもいられなくなる。

「私、ちょっと気になることがあって。みんな、先に帰ってて下さい!」

 3人にそれだけ伝えると、私はグラウンドにダッシュした。

「待っ……」

 目の端に、しーちゃんの驚いたカオが映った気がしたけど……。
 黒崎先輩が気になって、振りかえる余裕なんてなかった。


 ☆★☆


「ここに座って、足を見せてください! ほらっ、早く」

「急に何だよ、お前は!」


 練習が終わったばかりの黒崎先輩を、半ば強引に空き教室に引っぱりこむ。
 保健室にはもう鍵がかかっていたから、私が診るしかない。
 
「失礼します」

 そう断って、赤いジャージの裾をめくる。
 うわぁ……先輩の足首、やっぱり腫れてる。触ると少し熱いから、すぐに冷やさなきゃ!
 通学リュックの底に忍ばせておいた、救急ポーチ第2弾をとりだす。
 湿布とサポーターで応急処置くらいにはなるよね。
 患部にはってグルっと巻いて、足首がなるべく動かないように固定した。

「はい、完了です。これで少しはマシになると思うんですけど。できれば明日にでも、整形外科で診てもらって下さいね」

 これで一安心かな。床に膝をついたまま、椅子に座っている先輩に視線を上げる。
 彼はポカンとした顔で私を見ていた。
 
「あれ? キツく締めすぎちゃいました?」
「いや、そうじゃねーけど……。お前、何でそんなに手際がイイのかって思って」
「お母さんが看護師なんで、小っちゃい頃からいろいろ教わってるんです」
「そんでもフツウ、湿布なんか持ち歩かねーだろ」

 訝しげな目をむけてくる黒崎先輩。
 私は何となく恥ずかしさを感じて、もじもじと体を揺らす。

「ええと、これは。自分の武器っていうか、存在意義っていうか。これができるよ! って言えるものが欲しくて」

 もともとはしーちゃんの役にたちたくて、始めたことなんだよね。
 でも、今回みたいに他の人も助けられるならうれしい。
 救急セットも応急手当の技術も、身につけた甲斐があったなぁって思う。

「オレのサッカーみたいなもんか」

 黒崎先輩がぽつりと呟く。

「ええ!? そんな立派なものじゃないですよ!!」

 先輩は名高いストライカーだって聞いた。
 そんな人と同じだなんて……恐縮しちゃうよ。

「謙遜すんなって。お前の努力が生んだテクニックなんだから、もっと自慢しろよ」
「はぁ……」
「情けねー顔。まーいいや、とりあえず助かった。ありがとな」

 黒崎先輩は自分の髪をかきあげて、ニッと子どもっぽく笑んだ。
 うわ~。凶暴で凶悪な人だと思ってたのに、こんな表情もできるんだ。

「そういや、今更なんだけど。お前って、名前は?」
「2年A組の、宮芹七です」
「せりな? ……って、ああ、お前が例の転入生か」

 やっぱりみんな知ってるんだ。
 でもって、続く台詞は……

「天海の、やらかしファン、なんだって?」

 ん? やらかし……?

「あいつの後を犬みたいに追っかけて。迷惑も考えず、どんなに拒否られてもめげない。道端のぺんぺん草みたいな女子って、聞いてたけど」

 うわっ……。3年生に広がっている私のウワサ、さらにひどくなってる。
 気にしないようにしてたけど、さすがにショックだなぁ。
 私がむりやりに笑うと、黒崎先輩はうーんと考えるようにしてから再び口をひらく。

「でもお前、迷惑なことをするようなヤツには見えねーよな。さっき俺を呼び出した時だって、周りに怪我がバレないように空気読んでたし。まー、強引なヤツだとは思ったけど」

 あれ? 見かけより冷静で、洞察力のある人?

「それに倉庫でだって。女に塩対応で有名な天海が、お前のことは何気に庇ってたみたいだし……」

 そして意外と鋭いかも。
 うん、これ以上つっこまれる前に帰ろう。

「先輩、はい。立ってみて下さい。……うん、大丈夫そうですね。じゃあ、私はこれで」

 通学リュックを肩にかけて、私は踵を返した。
 黒崎先輩は慌てた様子で、腕をつかんで引きとめる。

「ちょっと待てよ。芹七!」

 とつぜん名前で呼ばれて、びっくりしてしまった。
 ケガ人を振り切ることもできなくて、立ち止まるしかない。

「何ですか? 誰か先輩の友達でも呼びましょうか?」

 補助が必要なのかと思ってそう聞いてみると、黒崎先輩はとんでもないことを言ってくる。

「お前さ、今日からオレのものにならねー?」

 ええ? どういう意味ですか??
 言われたことが理解できずに、私はきょとんと首をかしげた。
 でももしかしたら先輩自身も、何を言ったのか分かってないのかもしれない。
 自分の口を手で押さえながら、猫みたいなつり目をまんまるくして、私のことをじーっと見つめている。

「あー、違う! ほら! だって芹七がいたら便利じゃん? オレもそうだけど、E組って運動部の奴らが多くてしょっちゅう怪我してるし」
「同じチームじゃなくたって、呼んでくれれば応急処置くらいしますよ?」
「いや、それだけじゃなくて……。ほら、あいつ! お前って、天海に冷たくされてんだろ? だったら今日の礼もかねて、オレが助けてやるから」
「結構です」

 私はキッパリと言い放った。
 しーちゃんを餌に、便利アイテムとして使われるなんて。そんなの絶対にお断り!

「さようなら、先輩」

 今度は振り返らずに教室を出る。
 黒崎綾人先輩。
 悪い人ではないみたいだけど……。やっぱりちょっと苦手だな。


 ☆★☆


 帰り道を歩いているうちに、空はすっかり黒紫色にかわっていた。
 今日はお母さんのお仕事はお休み。夕飯なにかな~。唐揚げかな~。餃子もいいけど♡
 そんなふうにのんきに角を曲がったら、家の前に、しーちゃんがいることに気づいてびっくりした。

「どうしたの!? 何かあった?」
「はぁ、やっと帰って来た。だってメッセージも既読にならないし、あんな別れ方じゃ心配するでしょ」
「ごめん。ちょっと、用事があって」
「こんな遅くまで? 何で黒崎と?」
「あ……」

 しーちゃんには、先輩に近づかないように言われてたのに……。
 うん。これはやってしまった。

「とりあえず中で話そう」

 しーちゃんの冷えた手を引っぱって、自宅に招き入れる。

「あら~、お帰り。しーちゃんと一緒だったの? 2人とも遅かったわね」

 お母さんがキッチンから顔を出すと、しーちゃんがぺこりとお辞儀をする。

「こんばんは。お邪魔します」
「ね~お母さん! この匂いカレー? しーちゃんもウチで食べてくから、後でお願いね!」

 勝手にそう決めてバタバタと階段を上がり、2階の私の部屋にまずはしーちゃんを連れて行った。
 ラグマットの上に向かい合わせで座り、私はゆっくりと今日の出来事を説明する。

「あのね、実はね……」

 昼休みに黒崎先輩が着替えているのを、ぐうぜん見ちゃったこと。
 怖くて逃げたら、階段から滑り落ちたこと。
 私をキャッチした先輩がケガをしてしまったって気づいて、慌てて手当てをしたことを、順序だてて話した。
 苺のパンツと、「オレのものになれ」と言われたことは、とりあえず秘密。
 私が先輩の立場だったら、きっと恥ずかしいだろうって思ったから。

「遅くなったのはそれが理由。だから、大丈夫だよ」

 しーちゃんは私のことを、家族以上にいつも心配してくれる。
 だから安心させたかったのに、何だかよけいに表情が曇った気がした。

「何でそうなるわけ?」

 キレイな眉間にしわがよる。

「僕が始めからセリのそばにいれば、幼なじみだって皆に言えてれば。きっと黒崎に追いかけられることも、セリがあいつを一人で手当てすることもなかったよね」
「しーちゃん……?」
「だからもう、止めない? 学校で他人のふりするの」

 しーちゃんが真剣な顔をする。

「えぇ? 急にどうしたの??」
「だっておかしいでしょ。今日だって御幸が堂々とさ……」

 そう言うとスッと腕を伸ばし、私の額に手の平をピタリとくっつけた。
 これって学校で御幸くんがやってくれた、熱を測るポーズだよね?

「こんなふうにセリを一番に心配するのって、僕の特権だと思ってたんだけど。セリは誰でもいいわけ?」

 しーちゃんが珍しく、拗ねたように唇をとがらせる。
 額に触れた手がまだ冷たい。
 4月の寒空の下、しーちゃんはどんな気持ちで待っててくれたんだろう。

「もちろん、しーちゃんが一番だよ? だって10年以上もそばにいてくれてる、大切な幼なじみだもん」

 比べることなんてできない、特別な人。
 だから他の誰でもいいなんて、考えたことないのに。

「幼なじみ……ね。この機会に、そろそろ卒業したいんだけど」

 しーちゃんが私から視線を外し、独り言のように呟いた。
 何でそんな淋しいことを言うのかなぁ。
 私が面倒ばっかりかけるから、もう嫌になったっちゃったの?
 
 それでも体育祭が終わるまで、しーちゃんと私は『ただの先輩と後輩』で『推しとファン』。
 約束したキャスティングを、続けてくれることになったんだ。