体育祭最後の競技は、チーム対抗選抜リレー。
 私は中盤のランナーとして、待機エリアに座っている。
 現在のチームの合計点は、3つ前の競技から分からないように隠されていた。
 でもたぶん、1位はE組。そしてちょっとの差でA組が続いていると思う。

 これさえ勝てば、逆転できるのに……。
 私は膝を小さくかかえながら、すり切れた脚をにらみつけていた。
 みんなに迷惑をかけていることが、悔しくてたまらない。
 走る前から転ぶって……いったいどんだけトロいのよ。

「うわっ。芹七、大丈夫か? ソレ」

 同じ偶数走者のエリアにいた黒崎先輩が、ギョッとした顔で後ろから声をかけてきた。

「はい、見かけほどじゃないです」

 実際、不思議とあまり痛みはない。

「お得意の救急セットはどうしたんだよ?」
「ああ、ホントですね。ちゃんと持ってきてたのに。忘れてました」
「お前な~。自分の特技なんだから、使わなきゃ意味ねーだろ?」

 黒崎先輩にそう眉をしかめられて、「たしかに」なんて苦い笑いがこぼれる。

「実はあのポーチ、自分で使ったことはないんです」
「え? そうなのか?」
「はい。だって元々あれは、しーちゃんを助けるためのものなので」

 もう黒崎先輩には幼なじみだってバレてるんだから、隠す必要はないよね。
 私がスッキリとした気持ちで言い放つと、黒崎先輩は眉根をよせてグッと息を飲んだように見えた。



 パンッ! と心地のいいピストルの音がひびく。
 とうとう始まった。
 私は前のめりになって、赤色のバトン――A組のランナーを目で追いかける。
 第1走者は3年の女子の先輩。
 どのチームも速いけれど、少ししてE組のランナーが体1つ分前に出た。
 A組は100メートルを2位で走り抜け、次の走者にバトンが渡る。

「やっぱEチームつえ~な~」

 横にいた他のランナーが感嘆の声をあげた。
 うん、本当に速い。
 どうしよう……心臓がバクバクいって、足が震えてきちゃった。
 急に怖くなって、一番後ろの列にいるしーちゃんを振り返る。
 しーちゃんはすぐに気づいて、私に向かって声をださずに唇だけを動かした。

『だ い じょ う ぶ だ よ』

 強い眼差しが頼もしい。波立っていた心がいっきに落ち着く。
 私はギュッと拳をにぎって、自分自身に気合をいれた。
 よしっ。やるぞっ!

 私の番がきて、急いでバトンゾーンに移動する。
 1位のE組がいちはやく抜けて、私はインコースに立つ。
 A組は変わらず2位をキープしているけれど、3位のB組がすぐ後ろまで迫っていた。

「芹七! 頑張って!」

 ランナーの葵ちゃんから、バトンと声援を同時にうけとる。
 バトンパスは成功。膝も痛くない。
 私は前だけを見て、必死に手足を動かした。
 ぜったいに負けたくない!
 でもカーブを曲がりきったところで、右側にフッと人の影が入りこむ。
 あ、ヤダ。B組に抜かされちゃう……

「セリちゃん、こっち!!」

 次のランナーである御幸くんが、そう叫んで私にむかって手をひろげた。
 狭くなりかけた視野がクリアーになる。
 どうにか踏ん張って、これでもかってくらい腕を伸ばし、御幸くんに2位のままバトンを渡す。

 きゃ~! っと女の子の歓声があがる中、軽やかに駆け抜ける御幸くん。
 がんばって!
 私は息を弾ませながら、彼の大きな背中を見送った。

 どのチームも後半の選手は速い。
 特に1位のE組とは、すでに30メートルくらいの差がひらいている。
 そんな時、緑のバトンが勢いよくはじけ飛んでしまった。
 
「あーーーー!!」

 E組の応援席から悲鳴があがる。
 アンカーまであと1人というところで、バトンパスに失敗したみたい。
 その隙に、すばる先輩が先頭に立った。
 でもさすがE組の選手、すぐに体勢をととのえて再び先頭に並ぶ。
 1位は混戦のまま、A組とE組。
 そのまま最終走者のしーちゃんにバトンが渡って――。

 地面を揺らすような黄色い歓声が、生徒たちからわきおこった。
 しーちゃんと黒崎先輩がアンカーのたすきをなびかせながら、ほぼ同時にスタートをきる。
 まさにキングとナイトの決戦。
 一触即発のするどい走りで、2人が目の前を駆け抜けていく。
 サッカー部で鍛えた黒崎先輩の脚力は、高校の選手並だって噂されていた。
 だからあっという間にしーちゃんを追い抜くだろうって、みんな予想してたんじゃないかな。
 去年同様に、きっとE組が勝つんじゃないかって。

 でも私は違う。
 10年来の古参ファンの私は、しーちゃんが本気を出したら陸上選手並に速いことを知ってるんだ。

『何位でバトンを渡されても、絶対にトップでゴールする』

 そして自分が口にした約束を、1度だって破った事なんかないっていうことも。

「しーちゃーん! がんばってーーー!!」

 最終コーナーを回った時、私はすでに涙声になっていた。
 無意識にしーちゃんの名前を大声で呼び、必死で声援をおくりつづける。

 しーちゃんが前に出る。
 黒崎先輩が追いついて、ほんの少し追い越す。
 それをまたしーちゃんが、さらに追い抜く。
 数回それをくりかえし、最後にしーちゃんが1歩前に出て――
 張られたテープを胸で切り、颯爽とゴールを突き抜けた。
 A組の劇的な逆転勝利!
 わずかに遅れて黒崎先輩がゴールし、その他3クラスも後につづく。


「勝ったよ~! まさに有言実行! 紫己先輩、超カッコイイね~!!」

 隣で大興奮の葵ちゃんも、すでに涙目。

「うん、うん! カッコ良かった」

 嬉しくて。ホッとして。私の目からも大粒の涙がこぼれた。
 こんなに感動するのは、ここまでみんなで頑張ってきたから。
 そして私がしーちゃんのことを、大好きだから。
 本当に、ホントに。良かった。


 ☆★☆


 すべての選手を讃えて、観客席から大きな拍手がおこる。
 グラウンドが大歓声に包まれる中――。
 少し離れた場所で仲間に囲まれているしーちゃんと、フッと目があった気がした。

 気のせいかな? 見えているはずないよね? そう思っていたのに……。
 しーちゃんは人波をかきわけて、グングン私に近づいてくる。

「セリ!」

 いつもの優しい声で名前を呼ばれた。
 どうしよう。私の心臓、すっごくうるさいよ。
 しーちゃんが目の前に立っただけで、ドキドキが全身に広がっていく。
 そんな初めての感覚に耐えられなくなって、私は崩れるようにへなへなとしゃがみこんでしまった。

「大丈夫? 足が痛むの?」
 
 しーちゃんが慌てて私の腕をとり、倒れないように体を支えてくれる。
 
「……ううん、違うの。しーちゃんの顔をみたら安心して……。力がぬけちゃったみたい」

 へらっと力なく笑う。
 しーちゃんは私が笑ったのを見て、安心したように目じりを下げた。

「とりあえず、保健室に行こうか」

 そして私をふわりと胸に抱きかかえる。

「ひゃっ……! し……しーちゃん!?」

 お姫さま抱っこって言うんだよ、これ!

 みんなが驚いて、いっせいに私達に注目した。
 でもそんな視線にひるむことなく、しーちゃんはそのままゆっくりと生徒の輪をぬけていく。
 温もりがうれしい。
 恥ずかしいけど離れたくない。
 しーちゃんの胸の音を自分のもののように聞きながら、私は幸福感につつまれる。
 でも……。

「しーちゃん、ダメだよ。こんな事したら、またパタパタが外されちゃう」

 せっかく体育祭で勝って、A組の実力を見せられたのに。
 応援タップの数で負けちゃったら、人気があるって証明できない。
『キング』の称号が得られなくなっちゃうよ。

「僕はそんなのどうでもイイって思ってるけど」

 しーちゃんはそう呟くと、クルッと踵を返す。
 そして近くで見守ってくれていた、すばる先輩たちA組のメンバーに「ゴメン!」と声をかけた。

「せっかくみんなで集めたタップ数、減ることになるかも。でもさ……」

 何かをふっきったような、清々しい表情。

「『キング』とか『ナイト』とかにこだわるよりも、好きな女の子を大切にする方がイイと思わない?」


 そう堂々と言い切るしーちゃん。
 うん。本当にかっこいい……。やっぱり誰よりも、キングって呼ばれるのが似合うと思うの。
 きっと私だけじゃなく、みんなも同じように感じている。
 だってその場にいた全員が息をのんで、眩しそうにしーちゃんを見つめていたから。


 ☆★☆


 まるで宝物を抱えるみたいに、私を保健室に運んでくれたしーちゃん。
 養護の先生に手当てをしてもらってる間、片時も離れずにいてくれた。
 私の両膝が大げさにガーゼでおおわれる。
 その姿を見たしーちゃんは、「これじゃあ、戻れないね」って心配そうに微笑する。

 私たちはケガと付き添いを理由に、閉会式を欠席することに決めた。
 先生がいなくなって、保健室にはしーちゃんと私の2人きり。
 日差しがさしこむ大きな窓からは、グラウンドのはじっこが見える。

「しーちゃん、ありがとう。でも本当に戻らなくて良かったの?」

 3年A組は主役なのに。

「きっとみんな待ってるよ。しーちゃんだけでも今から――」

 閉会式に参加して。って、言いかけて。
 しーちゃんにぎゅ~っと、両手でほっぺを挟まれた。

「いいんだよ。僕がセリのそばにいたいんだから」

 キレイな顔が近い。
 透明感のある青みがかった瞳に、私だけが映っているのがうれしい。
 さっきお姫さま抱っこされて、一生分のドキドキを体験しちゃったかと思ってたのに。
 また心臓が跳ねる。
 しーちゃん、私……わたしやっぱり、好き……

「ずっと、セリのことが好きだよ」

 私の気持ちを読みとったみたいに、しーちゃんが同じ台詞を口にした。

「セリの明るくて素直で、表情がクルクル変わるとこなんて可愛くてしかたない。甘えられると嬉しくて、拗ねられるともっと意地悪したくなる。セリは僕にとって、昔から特別な女の子なんだ」

 しーちゃんの顔が珍しく赤い。
 いつもクールなのに、なんだか視線まで熱っぽくて。
 見つめられるだけで、私の体が溶けちゃうんじゃないかって思った。
 
「うん、私も大好きだよ。しーちゃんと同じ『好き』だからね!」

 前みたいに否定されるかもって心配したけれど、しーちゃんは「うん」って穏やかに頷いてくれる。
 そして私の唇を親指でなぞるようにふれて、ゆっくりと顔を近づけた。
 あっ……と息をもらす間もなく、しーちゃんの唇が私のものに重なる。
 優しくて、甘いキス――。
 
「これからもずっと、今まで以上に大切にするから。セリ……僕の彼女になってよ」

 しーちゃんはいったん唇を離して、でもまたギリギリのところまで近づいて。
 そう、艶っぽい声で囁く。

「うん……私も、しーちゃんを大切にするよ」


 もう秘密はおしまいにしよう。
 私たちは『ただの先輩と後輩』でも『推しとファン』でもない。
 そんでもって『幼なじみ』も卒業。
 今からは恋人同士として、堂々としーちゃんの隣に並ぶんだ。