「ここって芹七の家だよな!? 何で天海がふつうのカオして出てくんだよ!?」
「黒崎、声大きい。はぁ。とりあえず、これでも使ったら?」

 噛みつくような黒崎先輩にも、しーちゃんは変わらず冷静。
 用意してくれた白いタオルを軽く投げて、体をふくように促す。

「……えっとぉ」

 私は恐る恐るしーちゃんに近づいた。
 今日うちに来てくれるってこと、すっかり忘れちゃってたよ。ゴメンナサイ。
 あと、せっかくの傘がムダになっちゃって、ゴメンナサイ。
 そんでもって約束したのに、黒崎先輩に自分から近づいちゃって、ゴメンナサイ。

 しーちゃんは一見落ちついているように見えるけど、たぶん私のために、この状況をどう切り抜けるべきか頭をフル回転させてくれている。
 どこまで黒崎先輩にバレていいものか、こうなってしまった今、私がどうしたいのか。
 そんなことを気遣って次の行動に迷い、躊躇っているように思えた。

 びちょびちょに濡れた私に視線をむけて、困ったように寂しそうに笑う。
 ああ、こんな表情させたくなかったのに。

「しーちゃん、ごめんね。先輩に傘を貸してあげたくて……私にはしーちゃんがいるから大丈夫って思って……。でも一緒に帰ろうって声をかけられなくて、それで先輩と……」

 黒崎先輩の前だってことも忘れて、普段どおりの言葉づかいで説明する。
 でも口から出た言い訳は支離滅裂で、自分でも何を伝えたいのかよく分からない。
 う……情けなくて、涙までにじんできた。

「はいはい、分かったから。早くしないと、風邪ひくって」

 そんな私に、しーちゃんもいつもの幼なじみの口調。

「セリ、もっとこっちおいで」

 タオルでふわりと私の頭をつつみ、優しく髪を拭いてくれる。
 手を伸ばせば触れられる、この距離にいてくれることがうれしい。
 私は向かい合ったまま、しーちゃんの制服のシャツをギュッとつかんだ。


 ☆★☆


 呆気にとられた様子の黒崎先輩を、リビングルームに案内する。
 ソファーに座るや否や先輩は、気まずそうにグシャグシャと自分の頭をかいた。

「何だよ、お前ら。もう付き合ってんのか?」

 へ? つ、付き合うって、恋人同士に見えるってこと!?
 いえいえ、そんな甘い状況じゃないです!
 私の中では今、最大のピンチ。
 と、とにかくしーちゃんのためにも、ちゃんと黒崎先輩に伝えなきゃ。
 
「実は私たち……幼なじみなんです」

 もう下手に隠してはおけない。意を決して口をひらく。

「家が近所で、仲良しで。小っちゃい頃からこんなふうに、お互いの家を行き来したりして……」

 でもしーちゃんの人気と学校に広まっていた噂にびっくりして、言い出せなくなったことも伝えた。
 先輩は私の話をすべて聞いたあと、真剣な表情で沈黙を破る。

「じゃあ、天海の追っかけってゆーのは、ウソってことか?」
「いえ、追っかけてきたのは本当なんです! 私がしーちゃんと同じ学校に通いたくて、秀麗の編入試験をうけたので」 

 ファンだっていうのも間違いじゃない。
 私はしーちゃんが大好きで、誰より彼を知っている『古参』だから。

「……なるほど。天海が珍しく、自分には責任があるとか何とか、芹七にからんでんな~とは思ってたけど。そういうことか」

 黒崎先輩はどこか嫌味っぽい口調で、となりのダイニングテーブルにいたしーちゃんに視線を投げた。

「それにしたって、牽制しすぎじゃね? いくら幼なじみが心配だからって、スタフまでついて来て、オレに見せつけるようなマネしやがって」

 ケーキを食べさせてくれたことを言ってるのかな。
 あれは私が食いしん坊で、しーちゃんが気をきかせてくれただけだと思うけど。
 牽制? だってそんなのする理由がない。

「はぁ。黒崎こそ、何でそんなにセリに構うわけ?」

 しーちゃんが面倒くさそうに、冷ややかな表情で応戦する。

「女の子に囲まれて浮かれてるような奴は『キング』に相応しくないとか、いつもウザ絡みしてくるくせに。自分はどうなの? セリには無駄な愛想ばっかりふりまいてるように見えるんだけど」

「てっめぇ。言わせておけば……」

 うわ~ストップ!
 このままじゃ2人がケンカになっちゃう。

「と、とにかく! 黒崎先輩、秘密にしててスミマセンでした!」

 今にも殴りかかりそうな先輩を両手で押さえこみ、私は深々と頭を下げた。
 いったん立ち上がった先輩はチッと舌打ちをして、もう一度ソファーに腰をかける。

「芹七と天海が特別な関係でも……。オレ、引く気ねーからな」
「え?」

 言葉の意味が分からなくて首をかしげると、黒崎先輩はいつもの強気な瞳をむけてくる。
 そして人差し指で、自分の頬を軽く2回ノックした。

「体育祭、ぜってーにE組が勝つ! ってことだ」

 ひぇ……何ででしょう。
 私としーちゃんが幼なじみって事実が、黒崎先輩の勝負魂にさらなる火をつけちゃったみたい。
 どうして溝がますます深まっちゃうの?
 しーちゃんに敵意さえ向けていなければ、あんがい憎めない人なのにな。
 

 ☆★☆


 ザーザーとすごい音をたてていた雨が、パラパラに変わったのは夜の7時くらい。
 黒崎先輩は「もう傘はいらねーよ」なんて、勢いよくドアを飛び出していった。
 
 しーちゃんと2人きりになって、やっとホッとする。
 でもそれと同時に、今までとは違う居心地の悪さも感じていたんだ。
 こんなことになって、呆れてる……よね?
 嫌われちゃったらどうしよう。
 他のファンの子たちとおんなじように、ずっと塩対応されたら……。
 考え出したら不安になって、せっかくしーちゃんとご飯を食べているのに、ハンバーグを上手に飲みこむことができなかった。

「セリがちゃんと食べないと、僕がいつまでたっても帰れないんだけど?」

 しーちゃんは叱る素振りを見せながらも、席を立たずに見守ってくれている。
 迷惑をかけないためにも早く食べなきゃ。
 でもこのままならずっと、本当に帰らないでいてくれるのかな?
 う~、こんなワガママで打算的なことを考えちゃうなんて、自分でも信じられない。

「じゃあ、僕もそろそろ帰るね」

 私がどうにか食べ終わって少ししたら、しーちゃんが時計を気にして立ち上がった。
 スタスタと玄関に向かっていくのを、私は置いていかれた子供のように必死で追いかける。

「え? しーちゃん、もう帰っちゃうの? アイスもあるよ。食べて行かないの?」

 しーちゃんが甘いものを食べないのなんて、当然、知っているはずなのに。
 アイスって……、私ってばどんな誘い文句よ。必死過ぎる。
 でもしーちゃんは薄く笑むだけで、部屋に戻ろうとはしてくれなかった。
 お家はすぐそこだし、宿題もないって言ってたのに。
 いつもなら「じゃあ、あと少しだけ」って私のお願いを聞いてくれるのに。
 あきらかに今、避けられている気がする。

「ちゃんと戸締りをして、お風呂に入って。早く寝るようにね」

 頭をいつもみたいに撫でてくれても、心は穏やかになれなかった。
 そうか。しーちゃんに相談もしないで、黒崎先輩に事情を話しちゃったこと。
 きっと怒ってるんだ……。

「しーちゃん、今日は本当にゴメンね。黒崎先輩に幼なじみだってバレちゃって、学校でも気まずいよね」

 あっ! 先輩に口止めするのも忘れちゃった。
 たぶん知らない人に、ベラベラ言いふらしたりはしないだろうけど。

 ううん。本当はもう学校でも、バレちゃった方が楽かなって思ったりもするんだ。
 だってそうすれば今までみたいに、しーちゃんの隣を堂々と独占できる……。なんて。
 でもそんな勝手な気持ち、許されないことも分かってる。
 体育祭までは応援タップのこともあるし。
 何よりここまで私のために距離をおいてくれたしーちゃんの優しさが、ムダになっちゃうと思うから。

「黒崎とずいぶん仲良くなったんだね。……あいつのことが、好きなの?」

 え!? 声にならない悲鳴を心の中であげる。
 何を言われたのか理解できなかった。
 しーちゃんの口調があまりにも冷淡で……。

 何でそんなこと言うの? 黒崎先輩のことは嫌いじゃないけど……。
 私の一番は昔から、しーちゃんに決まってるじゃない。
 好きな人は? って聞かれたら、間違いなくしーちゃんの名前だけを口にするのに。

「違うよ……しーちゃん。私ね、しーちゃんのことが大好きだよ」

 声、たぶん震えてた。
 だって、しーちゃんがぜんぜん笑ってくれない。
 私が「大好き」って伝えれば、いつも「はいはい」って、呆れたような笑顔を見せてくれるのに。
 それどころか色のない冷え切った瞳で、私を諦めたように見つめているんだ。

 それなのに――。

 突然、ギュッと抱きしめられて、私は息が止まりそうになった。

「っ……しーちゃん?」

 温かい両腕にすっぽり包まれて、心臓がドクンって大きく跳ねる。
 たくましい肩。かたい胸。びくともしない腕の力。
 しーちゃんが男の人なんだって実感して、ドキドキが止まらなかった。

 男として見てもらいたいって、こういうこと?
 だったら私、幼なじみじゃないしーちゃんも大好きだよ。
 自分の気持ちがようやく分かった気がする。

 なのに――。

「セリ。大好き、とかそういうこと。もう気軽に言っちゃダメだよ」

 しーちゃんは子供を諭すみたいに、私を柔らかく叱咤した。

「……なんで? 私の本当の気持ちなのに……何で言っちゃダメなの?」

 ようやく恋がどんなものか、理解できたのに。
 その瞬間にしーちゃんに拒絶されて、ワケが分からなくて涙がこみあげてくる。
 表情が見たくて視線をあげると、顔をフッとそらされる。
 そして私を突き放すようにして、しーちゃんは素早く身をひるがえした。

「じゃあね、セリ。おやすみ」

 夜にバイバイする時の、決まり言葉。
 声はいつもと変わらず優しい。
 でもしーちゃんの横顔はキレイなのに凍りついていて、まるで精巧な彫刻を見ているみたいだった。
 やっと好きだって言えたのに、どうしてこんなことになっちゃうんだろう。