清潔な寝間着に、ふかふかのベッド。
朝日の差し込む明るい部屋で、私は目覚めた。
「マノン? マノン! 目が覚めたのか?」
ベッドサイドには、王太子としてこれから任命式を控えたランデルが、胸に沢山の勲章をつけ正装をした状態で私の手を握っていた。
「ラ、ランデル……王子? 痛っ!」
起き上がろうとして、痛みに体がうずく。
バサリと斬られた胸には包帯が巻かれしっかりと手当がされていた。
「大丈夫か?」
ランデルが心配そうにのぞき込む。
私は彼に支えられ上体を起こした。
「医師の話によると、見た目ほど傷は深くないそうだ。具合はどうだ?」
「えっと……。はい」
派手ではないけれど、きれいに整頓されしっかりとした作りの家具類が並んでいる。
もしかして、ここはランデルの私室?
天蓋付きの大きなベッド周りには、大勢の侍女や騎士たちが控えていた。
「よかった。キミが目覚めるまで、心配で心配でならなかった。他のことなんて、全く手につかなくて……」
「王子」
黒髪の騎士がランデルに声をかける。
「マノンさまのお世話は他の者にお任せください。早く即位式の方にご出席を……」
「分かってる」
それでも彼は、私の手を強く握りしめた。
「ね、マノン。キミに話したいことがあるんだ。どうしても聞いてほしい。これからここを一旦離れるけど、すぐに戻る。それまで待っていてくれないか?」
ランデルは灰緑色の目を輝かせる。
「えっと……。私は……」
戸惑う私に、彼の方こそ困惑したようだった。
「どうしたの、マノン。……。あ、そうか!」
不意に彼は、優しい悪戯な笑みを顔一杯に広げた。
「俺が誰だか分かる?」
「……。ト、トーマス?」
「あはは。そうだよ。ずっとキミに会いに行ってたのは、俺自身だったんだ」
だからこそ私は、ランデルの大事な時に、ここにいてはいけないのに。
握られている手を、そっとそこから離す。
彼の表情がとたんに引き締まった。
「怖がらなくていい。キミのことはここにいる侍女たちに話してある。安心して待っていてほしい。約束出来る?」
余りにも純粋で真摯な彼を、直視することが出来ない。
私は小声で「はい」と返事をしながら顔を背けた。
「……。驚かせて悪かった。ちゃんと説明させてほしい。式が終わったら、話がしたい。ねぇ、マノン。キミは……」
不意に、扉を叩くノックが聞こえた。
「何の用だ。ここへの立ち入りは禁止していたはずだが?」
ランデルの怒気を含んだ声に、閉じた扉の向こうからたじろいだような兵士の返事が返ってくる。
「あ、あの。お忙しいところ申し訳ございません。今回の件に関して、詳細を知ると申すものが現れまして……」
ランデルは従者であるニコラと顔を合わせた。
二人の顔つきがみるみる引き締まってゆく。
ランデルはスッと立ち上がると、気高き王子としての威厳を取り戻した。
「マノン。キミは決してしゃべるな。何があってもこのままここに居ろ」
彼は天蓋にかかる厚手のカーテンを引いた。
侍女たちがさっとそれを手伝い、私の姿を完全に隠す。
「入れ」
ランデルの声に、扉が開いた。
ガチャガチャと鎧のこすれあう音と共に、何者かが部屋に入ってくる。
扉の閉まる音が聞こえると、兵士が言った。
「この者たちが、王子襲撃の犯人を知っていると申しております」
「なに? それは本当か。ならば申してみよ」
ランデルの声に、どこかで聞いたことのあるような声が答える。
「これがその証拠にございます」
「このナイフをどこで?」
突然、ニックの甲高い声が耳に響いた。
「ワタクシが、厨房脇にあるリネン室で今朝見つけたものにございます!」
うわずったように調子の狂った興奮した声で、ニックは続ける。
「厨房のリネン室には、マノンという下女が寝泊まりしておりました! その者がきっと、落としていったに違いありません!」
「そのマノンという者は、昨夜事件のあった現場に出て行ったと、厨房の料理長含め数人から証言を得ております。ここに控えるニックも、そのうちの一人にございます」
「そのナイフをこちらへ」
ずるずると膝で床を這う音が聞こえ、再びランデルが口を開いた。
「確かに。このナイフは、昨夜私が襲撃された時のものだ」
「おぉ! やはり……。なんと恐ろしいことを……」
この声はどこかで聞いたことがある。
だけど、どこで聞いたのか思い出せない。
「私を刺したという女は、今どこにいる?」
初老というにはまだ若い、かさついた低く重たい声だ。
「その女は、厨房に王子の立太子礼のために臨時で集められた下女にございます。昨夜から行方が分かりません。いつも厨房に寝泊まりしていたようでございますが……」
「ハイ! マノンという下女が、厨房に寝泊まりしておりました!」
ニックの高揚した得意気な声に、私の頭はクラクラと重くなる。
「その女がナイフを落としていったと」
「王子自身が、このナイフに見覚えがあるとおっしゃったのでは?」
男の声が、探るようにランデルに語りかける。
「確かに。私はこのナイフに見覚えがある」
「恐ろしい女です。まだ遠くには逃げておりますまい。この出際のよさ。手練れの者に間違いございません。すぐに追っ手を差し向け、捕らえるのがよろしいかと」
「なるほど。だがその女に厨房の仕事を紹介し、事件前には城内への入城を許可した者がいるはずだ。私はその者から調べればよいというわけか?」
「まことに王子はご賢明でいらっしゃる」
男はその声をずる賢い声色へと変化させた。
「どうかその者をお調べください。きっと王子も驚くようなことが、明らかにされることでしょう」
「この者を今すぐ捕らえよ!」
ランデルの口調が、厳しいものに変化した。
すぐさま複数の足音が鳴り響き、男のうろたえる声とニックの悲鳴が聞こえる。
「何をなさいますか、王子!」
「そなたの名はなんと申す」
「私は庭師のロペにございます」
「なるほど。なぜ庭師が昨夜の事件を知っている」
「実際にこの目で見てはおりません。しがない庭師でございます。今朝方仕事のために登城し、昨夜の騒動を耳にいたしました」
「それで厨房に直行したのか?」
「私は庭師であると申しました。事件の前日、王子を襲撃した者が奥庭に出入りしていたのを目撃しております。その者は厨房よりワゴンの押して現れ、事件のあった東屋に料理を届けておりました」
「その片付けに昨夜奥庭に向かったのが、マノンでございます!」
ニックが甲高い声で叫ぶ。
思い出した。
この声は、ロッテから牛乳の入った瓶を受け取った男だ!
「もうよい、黙れ!」
ランデルの怒りに、室内は静まりかえった。
「ロペ。お前は自分で事件を直接見たわけではないと言ったな」
「はい。私は昨夜は、街の居酒屋で一晩を過ごしておりました」
「なのになぜ、私を襲った者が、女だと知っている?」
ランデルの足音が、凍り付いたような部屋に響き渡る。
「昨夜捕らえたのは、男ばかりの5人組だ。その中に女性は誰一人としていない。なのになぜ『女が刺した』とお前は言う」
「ですが! 先ほど王子自身も認めたはず! このナイフは確かに自分を刺したものだと!」
「言ったな」
「だとすれば、このナイフが発見された場所にいた者に関係があると推測するのは、自然なこと。現にそこを寝床にしていたという女は、昨夜より現場に立ち入り、今朝もまだ見つかっておりません!」
朝日の差し込む明るい部屋で、私は目覚めた。
「マノン? マノン! 目が覚めたのか?」
ベッドサイドには、王太子としてこれから任命式を控えたランデルが、胸に沢山の勲章をつけ正装をした状態で私の手を握っていた。
「ラ、ランデル……王子? 痛っ!」
起き上がろうとして、痛みに体がうずく。
バサリと斬られた胸には包帯が巻かれしっかりと手当がされていた。
「大丈夫か?」
ランデルが心配そうにのぞき込む。
私は彼に支えられ上体を起こした。
「医師の話によると、見た目ほど傷は深くないそうだ。具合はどうだ?」
「えっと……。はい」
派手ではないけれど、きれいに整頓されしっかりとした作りの家具類が並んでいる。
もしかして、ここはランデルの私室?
天蓋付きの大きなベッド周りには、大勢の侍女や騎士たちが控えていた。
「よかった。キミが目覚めるまで、心配で心配でならなかった。他のことなんて、全く手につかなくて……」
「王子」
黒髪の騎士がランデルに声をかける。
「マノンさまのお世話は他の者にお任せください。早く即位式の方にご出席を……」
「分かってる」
それでも彼は、私の手を強く握りしめた。
「ね、マノン。キミに話したいことがあるんだ。どうしても聞いてほしい。これからここを一旦離れるけど、すぐに戻る。それまで待っていてくれないか?」
ランデルは灰緑色の目を輝かせる。
「えっと……。私は……」
戸惑う私に、彼の方こそ困惑したようだった。
「どうしたの、マノン。……。あ、そうか!」
不意に彼は、優しい悪戯な笑みを顔一杯に広げた。
「俺が誰だか分かる?」
「……。ト、トーマス?」
「あはは。そうだよ。ずっとキミに会いに行ってたのは、俺自身だったんだ」
だからこそ私は、ランデルの大事な時に、ここにいてはいけないのに。
握られている手を、そっとそこから離す。
彼の表情がとたんに引き締まった。
「怖がらなくていい。キミのことはここにいる侍女たちに話してある。安心して待っていてほしい。約束出来る?」
余りにも純粋で真摯な彼を、直視することが出来ない。
私は小声で「はい」と返事をしながら顔を背けた。
「……。驚かせて悪かった。ちゃんと説明させてほしい。式が終わったら、話がしたい。ねぇ、マノン。キミは……」
不意に、扉を叩くノックが聞こえた。
「何の用だ。ここへの立ち入りは禁止していたはずだが?」
ランデルの怒気を含んだ声に、閉じた扉の向こうからたじろいだような兵士の返事が返ってくる。
「あ、あの。お忙しいところ申し訳ございません。今回の件に関して、詳細を知ると申すものが現れまして……」
ランデルは従者であるニコラと顔を合わせた。
二人の顔つきがみるみる引き締まってゆく。
ランデルはスッと立ち上がると、気高き王子としての威厳を取り戻した。
「マノン。キミは決してしゃべるな。何があってもこのままここに居ろ」
彼は天蓋にかかる厚手のカーテンを引いた。
侍女たちがさっとそれを手伝い、私の姿を完全に隠す。
「入れ」
ランデルの声に、扉が開いた。
ガチャガチャと鎧のこすれあう音と共に、何者かが部屋に入ってくる。
扉の閉まる音が聞こえると、兵士が言った。
「この者たちが、王子襲撃の犯人を知っていると申しております」
「なに? それは本当か。ならば申してみよ」
ランデルの声に、どこかで聞いたことのあるような声が答える。
「これがその証拠にございます」
「このナイフをどこで?」
突然、ニックの甲高い声が耳に響いた。
「ワタクシが、厨房脇にあるリネン室で今朝見つけたものにございます!」
うわずったように調子の狂った興奮した声で、ニックは続ける。
「厨房のリネン室には、マノンという下女が寝泊まりしておりました! その者がきっと、落としていったに違いありません!」
「そのマノンという者は、昨夜事件のあった現場に出て行ったと、厨房の料理長含め数人から証言を得ております。ここに控えるニックも、そのうちの一人にございます」
「そのナイフをこちらへ」
ずるずると膝で床を這う音が聞こえ、再びランデルが口を開いた。
「確かに。このナイフは、昨夜私が襲撃された時のものだ」
「おぉ! やはり……。なんと恐ろしいことを……」
この声はどこかで聞いたことがある。
だけど、どこで聞いたのか思い出せない。
「私を刺したという女は、今どこにいる?」
初老というにはまだ若い、かさついた低く重たい声だ。
「その女は、厨房に王子の立太子礼のために臨時で集められた下女にございます。昨夜から行方が分かりません。いつも厨房に寝泊まりしていたようでございますが……」
「ハイ! マノンという下女が、厨房に寝泊まりしておりました!」
ニックの高揚した得意気な声に、私の頭はクラクラと重くなる。
「その女がナイフを落としていったと」
「王子自身が、このナイフに見覚えがあるとおっしゃったのでは?」
男の声が、探るようにランデルに語りかける。
「確かに。私はこのナイフに見覚えがある」
「恐ろしい女です。まだ遠くには逃げておりますまい。この出際のよさ。手練れの者に間違いございません。すぐに追っ手を差し向け、捕らえるのがよろしいかと」
「なるほど。だがその女に厨房の仕事を紹介し、事件前には城内への入城を許可した者がいるはずだ。私はその者から調べればよいというわけか?」
「まことに王子はご賢明でいらっしゃる」
男はその声をずる賢い声色へと変化させた。
「どうかその者をお調べください。きっと王子も驚くようなことが、明らかにされることでしょう」
「この者を今すぐ捕らえよ!」
ランデルの口調が、厳しいものに変化した。
すぐさま複数の足音が鳴り響き、男のうろたえる声とニックの悲鳴が聞こえる。
「何をなさいますか、王子!」
「そなたの名はなんと申す」
「私は庭師のロペにございます」
「なるほど。なぜ庭師が昨夜の事件を知っている」
「実際にこの目で見てはおりません。しがない庭師でございます。今朝方仕事のために登城し、昨夜の騒動を耳にいたしました」
「それで厨房に直行したのか?」
「私は庭師であると申しました。事件の前日、王子を襲撃した者が奥庭に出入りしていたのを目撃しております。その者は厨房よりワゴンの押して現れ、事件のあった東屋に料理を届けておりました」
「その片付けに昨夜奥庭に向かったのが、マノンでございます!」
ニックが甲高い声で叫ぶ。
思い出した。
この声は、ロッテから牛乳の入った瓶を受け取った男だ!
「もうよい、黙れ!」
ランデルの怒りに、室内は静まりかえった。
「ロペ。お前は自分で事件を直接見たわけではないと言ったな」
「はい。私は昨夜は、街の居酒屋で一晩を過ごしておりました」
「なのになぜ、私を襲った者が、女だと知っている?」
ランデルの足音が、凍り付いたような部屋に響き渡る。
「昨夜捕らえたのは、男ばかりの5人組だ。その中に女性は誰一人としていない。なのになぜ『女が刺した』とお前は言う」
「ですが! 先ほど王子自身も認めたはず! このナイフは確かに自分を刺したものだと!」
「言ったな」
「だとすれば、このナイフが発見された場所にいた者に関係があると推測するのは、自然なこと。現にそこを寝床にしていたという女は、昨夜より現場に立ち入り、今朝もまだ見つかっておりません!」