その瞬間、目の前のカーテンが勢いよく開かれた。
兵士たちに押さえつけられているニックと白髪の男が、驚きに満ちた表情でベッドに座る私を見上げる。

「お前たちが犯人だというマノンは、昨夜私を庇い怪我をして、こちらで保護している。姿が見えないのは、そういうわけだ。マノン。この二人に見覚えは?」
「は、はい。あります。ニックは厨房で働く調理師で、もう一人の方は、昨日奥庭の東屋の裏でお会いしました」
「奥庭の東屋?」

 そう言ったランデルの言葉に、ロペの顔つきが変わる。

「はい。ロッテから牛乳の入った瓶を受け取りどこかへ消えてゆきました。その時の方に間違いありません」

 暴れようとした初老の男を、兵士たちが強く床に押しつける。

「お前のような下っ端風情に、なにが分かる! 王子はこのような下賤の者の言葉を信じるのですか?」
「私は嘘偽りや自らの憶測を語る者ではなく、ただ真実を話す者の言葉のみを信じる」
「この私が嘘をついているとおっしゃるのですか?」

 ランデルは控える兵士たちに言った。

「この二人を牢に閉じ込め、真実を語らせよ」

 抵抗するロペを、ランデルは見下ろす。

「先に捕らえた5人への尋問は始まっている。お前たちの話を聞けるのが楽しみだ」

 二人は追い立てられるように立ち上がると、部屋から引きずり出される。
ニックが叫んだ。

「マノン! 助けてくれ! 俺は何にもしてない! お前なら俺のこと分かってるだろ!」

 ランデルを見上げる。
彼はまっすぐに顔を上げたまま、厳しい表情を何一つ崩していなかった。
その横顔に、私はただ従った。

「その二人も、十分に調べておけ」

 扉が閉まる。
大きく息を吐き出し、ランデルは肩の力を抜いた。
ようやく彼は、私の知っている彼に戻ると、私を振り返った。
彼の指先が頬に触れ髪を耳にかける。

「リア……。いや、マノン。キミには何と言えばいいか……」

 彼は何かを言おうとして、言葉を飲み込む。
その後ろで、ニコラが叫ぶように言った。

「王子! これ以上時間を延ばせません。即刻、即位式にご出席を!」
「あぁもう! 分かった。分かったよ!」

 ランデルは私の手を取ると、しっかりと握りしめる。

「すぐ戻る。話したいことが沢山あるんだ。だからここで待ってて」

 黒髪の騎士ニコラに急かされながら、ランデルは何度もこちらを振り返りつつ部屋を出て行く。
扉が完全に閉まったところで、ようやく私は一息ついた。

「マノンさま。何かご用はございますか? 私どもはランデル王子から、マノンさまのご要望には全てお応えするように申しつかっております」

 上品な侍女たちが、ニコニコと笑顔でベッド周りに控えていた。
私は胸に巻かれた包帯に手を当てる。

「傷は、それほど深くなかったと聞いたのですけど……」
「えぇ。すぐに手当がされましたゆえ、傷跡に残ることもないだろうと」
「そうですか。分かりました」

 だとしたら、何の問題もない。

「あの、疲れているので、少し休みます。大勢の人に囲まれるのは慣れていないので……。しばらく一人にしてもらえますか?」
「かしこまりました」

 侍女たちを全員下がらせ部屋に一人になると、私はベッドから起き上がった。
傷は痛むが、動けないことはない。
ランデルの私室をゆっくりと見渡す。

「ふふ。なんだかすっかり、ちゃんとした男の人の部屋みたい」

 昔私がここに出入りしていたころは、彼のお母さまの趣味で、可愛らしい家具や装飾が部屋を飾っていた。
今は剣や槍、盾などの武器が並び、壁にはこの国の地図が飾られている。
ふと壁際に飾られた、小さな額縁が目にとまる。
そこには、子供用の小さな古いハンカチがはめ込まれていた。

「嘘……。ランデル?」

 そのハンカチは、私が初めて刺繍をしたものだ。
拙い手つきで、ランデルのイニシャルを縫い付けた。
渡した時のことが、ありありと蘇る。
あの頃の私たちは幸せだった。
何も知らずただ二人でいるだけでよかった。
ずっと優しく見守っていてくださった、彼のお母さまももうこの世にない。
その額縁を抱きしめ、頬に流れる涙を拭う。
ありがとうランデル。
私はあなたの足枷になるつもりはない。
だから私は、ここにはいられない。
もう「リアンネ」のことは忘れていい。
あなたが忘れても、私が覚えているのなら、それでいいでしょう? 
そうすれば私が死ぬまで、思い出が世界からなくなることはないんだから。

 飾られていたハンカチの額を、伏せた状態で元の場所に返す。
私は意を決すると、棚の横に置かれていた鉢を動かした。
この壁は、隠し通路に繋がる道になっている。
子供のころ、よく通っては怒られた。
非常時に使うものを他人に教えるなって。
本当だったね、ランデル。
私はその秘密の通路を通って、この城から外へ抜け出します。
ありがとう。
お礼もなにも言えずに立ち去るのは心苦しいけど、私は幼いころの可愛かった「リアンネ」のまま、あなたの記憶に残っていたい。
もうこれ以上、叶わぬ夢を近くから見ていたくはない。
ロッテはもしかしたら、私の正体に気づいていたのではないかという不安が、どうしても頭から拭えない。
私と同じ格好をして昨夜ランデルを呼び出していたのなら、いずれ「マノン」の正体も明るみに出るだろう。
詳しい調査が始まれば、言い逃れは出来ない。
私という存在があなたに危険な橋を渡らせてしまうというのなら、そんなことは望まない。
どこにいても、この先なにが起こっても、私はただあなたの平穏で幸せな日々を願っている。
その証として、ここを去ります。

 壁際の特定の位置を決められたリズムでノックすると、カチリという音がして隠し通路が開いた。
大人が這って入れる程度の穴に潜り込むと、私はフェンザーク城をあとにした。