「はぁ?97点だって?どうして満点が取れないの?そんなのじゃ立派なお医者様にはなれないよ?」

小学生。




「数学が満点だった?へぇ、そう。」

中学生。




「アンタ、これどういうことよ。成績表、ここに1つ4があるじゃない。どうしてオール5取れないの?努力しない?」

高校生。







「国家試験通過?そんなこと当たり前じゃない。だって、貴方は、」
















「国も誇る名ドクターになるんだから。」






自分のことを自分で決める権利は無い。
全ての権利は、親にある。













「はい。母様。」
「大山さん、アナタすごいわね〜!脳についてのレポート、完璧じゃない!」



「…はい。」



違う。他人に言われた言葉は信用してはならない。
母様や父様の言うことが、正しいことだ。



「今日で研修医最後の日ね。大山さん、貴方はきっと優秀なお医者様になれるわ。これからは、何の専門医になるのか、選択をしていく時期ね。」

「…はい。」

















「母様、父様、今日で研修が終了しました。」

「おー、そうかそうか。」

「貴方はお父さんの仕事を継ぐべきだからね、これからまたしっかり勉強をして、立派な脳神経外科医になりなさい。」







「はい、母様。」
「遅くなっちゃった。」

仕事からの帰り道。




重度の認知症である患者さんを診ていたら、いつもより帰りが遅くなってしまったため母親に連絡をしようとスマホを取り出した。


「…母様、患者さんを診ていたら少し遅くなりました。」

「あらそう。…帰ったら、論文の添削の続きを一緒にしましょうね。今夜は父様も出張から帰ってきていますから。」

「…はい、母様。」


プツリといって電話が切れた。

私は、毎年行われる医師による論文コンテストに論文を応募している。

昨日、今日とほぼ徹夜で母親と添削をしていた。
今日は、残りの何行かの添削だ。

「…あれ…ここ、どこ?」

母親に電話をしてカバンの中にスマホをしまう一瞬のうちに、知らない道に来ていた。
住宅街のような場所だが、見覚えは全く無い。

そもそも、私の住んでいるところはビルの立ち並ぶ都会だ。住宅街など見かけたことがない。




「どうして…」

胸の奥に、感じたことの無いモヤモヤが広がるのを感じた。これが、不安という感情なのだろうか。

「私、どうしちゃったの…早く帰って論文を仕上げないといけないのに…」

頭の中に黒雲が覆いかぶさった。
目の前が真っ白になり、とうとう私はその場にしゃがみこんだ。

「そうだ。マップ。」

私は、スマホアプリにあるマップを開いた。
だが、不思議なことにエラーが発生し、アプリが落ちた。




「…あ、そうだ。なら、」






私は、近くの住宅に助けを求めようと立ち上がった。
1番近くにあった大きな家のインターホンを押した。



「はーい、今行きまーす」




若い女性の声がした。
良かった。これで助かる。住所を言えば、場所を教えてくれるだろう。



「すみませーん、私今すっぴんなのでインターホン越しにお願いしますー」



インターホンの中からそう聞こえた。


「あの、私道に迷ってしまいまして、助けて頂けませんか?」





女性からの応答は無い。やはり無茶だっただろうか。




すると、女性はすぐに話し始めた。










「どちらにお住まいですか?お城の近くですか?」







「え?」

お城?この人は何を言っているんだ。

「いやだから、瑠璃城あるじゃない?あそこのお近くですか?もしお近くなら、主人に頼んで馬車でお送りします。」

私の頭はパンク寸前だった。



疲れているのかもと思い、目を擦る。








再び目を開けると、そこには意味のわからない光景が広がっていた。
私が今立っている場所は、住宅街の1軒なんかではない。

平屋の小さな古民家だった。

私は、民家の扉の前で、知らない人と意味不明な会話をしていたのだ。

パニックになり後ろを振り返ると、たくさんの人が群がって私の方を不思議そうに眺めていた。

その誰もが着物を着ており、刀を腰に据えた人もいた。
私は驚きのあまり、手に持っていたカバンを落とした。


「あの子、外国の方かしら?珍しい格好ね。」

「モノノ怪の類かもしれぬ!」

「変な子もいるもんだねぇ…」


人々は、口々にそう呟いていた。











(わたる)様だ!道を開けろ!」

一人の男が、大声でそう叫ぶと、人々は道端に集まり、道を作った。

南の方角から、何やら大勢の武士のような集団が馬に乗ってこちらへ向かってきている。

「この目でお目にかかれるとは…光栄だ…光栄だ…」

人々の関心は、すぐにその竟という人物へ切り替わった。

「あ、あの人、」

私は、その集団の先頭にいる人物を見たことがあった。
高校の歴史の教科書に、確か載っていた気がする。

名前は、新庄竟(しんじょう わたる)
多くの敵陣を制覇し、戦闘能力に長けていた。

そして、その若さと美貌は有名で、180cm越えの身体に、整った黒髪、麗しい瞳、長い睫毛、そして、噂によれば、中低音の心地よい声まで兼ね揃えていたという。


「む…?あの者は何者か」

ふと、新庄は私の方を見てそう言った。

「私…?」

新庄は、馬から下りると、私の方へ近づいてきた。

「珍しい人だ。どこから参った?」

「……。え、っと、」

「うむ…。興味が湧いた。この者を城まで連れて行け。」

「し、しかし、竟(わたる)殿。」

「善い。郵蘭(ゆうらん)、連れて行け。」

新庄の家臣らしき人物は、しぶしぶ私を馬へ乗せて再び道を進み始めた。

私は、もはや物事を考えることさえ出来なくなっていた。
「着いたぞ。」

新庄の家臣は、私を馬から下ろすと私に冷たく言い放った。

見上げると、立派な城が堂々と立っていた。

「部屋で詳しく話をしよう。私の名は新庄竟(しんじょうわたる)だ。」

新庄は私にそう言うと、「私の後に続け」と言って城の中に入って行った。



「早く行け。」

先程乗せてもらった家臣の人に急かされながら、私は新庄の後ろをついて行った。
城の最上階へ案内された。

階段をのぼり、大きな部屋に入ると、新庄は部屋の中央にある座布団に腰掛けた。

「そこに座れ。スミ、茶を頼む。」

新庄は、私の後ろにいた男にそう命令した。

「…あの、私を、どうしてここに、」

「珍しい人だったのでな。今どきそのような格好は見たこともない。そなたはどこから来た?」

新庄の問いに、私はしばらく黙り込む。


そもそも、ここがどこなのかも分からない。





「私、多分、ここの世界とは、違うところから、」


「む?それはどういう意味だ?」




私は、薄々感ずいていた。
ここはきっと江戸時代くらいの世界だ。




__その証拠に、目の前には、かの有名な新庄竟がいる。


そう、信じられないがタイムスリップをしてしまったのだろう。


それしか、今のこの状況に合う辻褄が無かった。



「タイムスリップ、だと、思い、ます」



周囲は黙り込んだ。
そりゃあそうだ。突然現れて、「タイムスリップ」とかいう意味不明な言葉を言い放ったのだから。

私は、人の前で言葉を話すのは苦手なため、途切れ途切れでしか言葉を紡ぐことが出来なかった。



「ふむ…よく分からないな…。そなた、名をなんという?」



「…大山、モモコと申します。職業は、医者です。脳神経外科医、です。」


「医者か。…実はな、ここの城の地下に熱病に苦しむ患者を隔離している。薬の調合の書物はあるのだが、誰も解読できなくてな。もしかするとそなたなら、あの患者達を助けられるやもしれん。」

やはりこの時代は、脳神経外科医などいるはずもなく、医者=内科医 のような感覚だったのかもしれない。

ただ、私は国家試験を受ける際、薬の勉強も多少はしていたため、書物さえ解読できれば調合くらいなら出来るかもしれないと思った。




「…はい。」



「感謝する。…それより、そなたの話を聞いていると、貴方には行く宛てが無いように感じた。しばらく、ここに身を置くというのはどうだ?」



新庄は私にそう言うと、家臣に何やら合図を送った。



すると、一人の家臣が綺麗に畳まれた着物を持ってきた。

「…どうぞ。お召しになられてください」





「…え、きも、の?」



「あぁ。その格好ではやはり目立つだろう。」

「でも、良いのですか…」

「この城にはかつて多くの侍女が働いていたが、皆辞めて行った。今ではこの城に女は一人もいない。着物だけが余剰している。」



「…ありがとうございます。」

私が着替えようと立ち上がった時、襖が開き、先程お茶を入れてこいと命令された男が入ってきた。

「わたる殿。お茶をお持ちしました。」

「スミ、ありがとう。」

見ると、お盆には2つ筒茶碗が置いてあり、湯気がもくもくと空中を揺らいでいた。




「着替えが済んだら、ゆっくり茶を飲もう。」


「…はい。ありがとうございます。新庄、さま」

「礼には及ばん。」


その後、家臣に案内され、着替えのために別室に連れて行かれた。

別室と言えど、新庄の大部屋にそのまま繋がっている部屋で、襖が無ければ同室だ。
「…着替え、終わりました。」

着替え終わったあと、恐る恐る襖を開けた。

すると、そこには家臣の姿は無く、新庄1人のみ残っていた。

「終わったか。ここに座れ。」

「…はい。」

「…不安そうだな。無理もないが。」




「そなたは……何故医者に?」

新庄は私にそう聞くと、両手で筒茶碗を持ち、お茶を啜った。その仕草は、まるでアンドロイドのように動きに無駄がなく、綺麗だった。

「…両親に、そう言われたので」

「ふむ…では、己の意志では無いということか。」

「…私の意志など、私が貫いて良いものではありません。」

私のその応答に、新庄はお茶を啜るのをやめた。

「…?」

少し疑問に思った私は、顔を上げて彼を見た。
すると、少し驚いたような表情をしていた。





「なるほど………これは持論であるが、聞いてくれるか?」



新庄の長い髪がゆらりと揺れた。



「そなたは今、意志は自身で貫くものではないと言ったな。だが、私はそうは思わない。意志は貫くためにあるのだ。」

「…貫く、ために?」



新庄は微笑しながら小さく頷き、話を続けた。




「それは、決して他人に干渉されてはならないものだ。」




新庄は、そう言いながら私に近づき、私の髪に触れた。
少し驚いて彼を見ると、



「あぁ、すまない。埃が付いていたから気になった。」




「他人に、干渉って、」
「…あぁ。そのままの意味だ。つまり、貴方の意志は貴方自身で持っておくべきだ。貴方がどう生きたいのか、どう行動したいのか、全ての決定権が貴方にある。」


新庄、私の両手を包み込んだ。
そうしてまた、微笑んだ。


身体が熱を帯びたように熱くなった。
おかしな汗が額を流れる。



「そなたがこの時代に来てしまったのは、そなたが本当に求めているものを探すためではなかろうか。私はそう思う。そして、それを見つけることが出来れば、そなたの目の前にはまた、元の時代への扉が開く。」





新庄は、包み込んでいた手に少し力を込めた。





「そなたが元の時代へ戻れるように、私も協力しよう。」