例の事件以来、4日眠っていたモモコは、
その日の朝、瞼をようやく開けた。




こうなったのは私の責任だ。_


と言い、新庄は毎日のように彼女のそばに着いていた。




「モモコ、失礼する」

瞼を開いてボーッと天井を見つめる彼女の姿を見た新庄は、持っていた盆を落としてしまった。



「目が、…覚めたのか…?」

新庄は、落とした盆には目もくれず、モモコの元に駆け寄り、彼女の手を握った。

「…私の名が分かるか?」

「…わた、る……さま…」

「あぁ……そうだ。貴方は悪党に連れ去られて怪我を負わされた。…4日間、貴方はピクリとも動かなかっ
た。」

「……」





「貴方に、誠心誠意謝罪を申したい。」

新庄はそう言うと、正座をしたまま両手を床につき、頭を下げた。



「…申し分ない…。私の愚かな判断で、貴方を危険に晒してしまった。……私を憎み、恨むんだ。」

私は、頭痛に耐えながらも首を横に振った。
頭と枕が擦れる振動さえも頭に響く。




「貴方が完治するまで、私が全責任を持って看病をする。」






ゆっくりと顔を上げた新庄の瞳は、少し潤んでおり、
その眼差しの先にはモモコが居た。
「おはよう。加減は如何か?」



それから更に半月後、いつものように新庄が部屋に入ってきた。

「食事を持ってきた。」

「わたる様、おはようございます。」

半月が経つと、私はようやくまともに話すことが出来るようになった。
ただ、頭の傷が深く、後遺症として頭痛が残ってしまい、自力で起き上がることが苦痛だった。

「粥に卵を少し入れた。食えそうか?」

「はい、ありがとうございます、」

私が身体を起こそうとすると、新庄は慌てて私の身体を支えた。

「無理に起きなくていい。私が起こして支える。」

新庄は、いつも私の首に手を添えて、食事がしやすいように支えてくれている。

「…どうだ。まだ食えそうか?」

「はい、美味しいです」

彼は、私の着替えや食事、鎮痛薬の管理まで全てを1人でこなしているようだった。











寝たきりになってひと月が経つ頃、
私はやっとの思いで立ち上がることに成功した。
新庄の支え無しではまだ難しいが、徐々にリハビリを重ねていった。

「まだ大丈夫なのか、?そろそろ辞めにしよう。」

廊下をゆっくりと歩きながら、新庄はそう言った。

「いえ、まだ…」

廊下の曲がり角を曲がろうとした瞬間、頭痛が悪化し、足の力が抜けてしまった。

「うっ…」

「モモコ殿、今日はこれで終わりにしよう。無理は良くない。」

「ごめん、なさい」

「謝るな。なにも悪いことはしていない。」

新庄は、私を姫抱きにすると、元きた道を辿り、部屋へと戻った。



その道中、廊下の掃除をしていた住吉に鉢合わせた。


「兄殿、!……あ…どうされたのです、?」

「少し頑張りすぎたみたいでな。」

「左様でございますか…。お大事に。」

「…ありがとう、ございます。…」



「…兄殿、後ほど、お話が」

「む…?善いが、どうした?」

「……。」

長年一緒にいると、考えていることは大抵分かるものだった。

「…うむ。承知した。ここで待たれよ。モモコを運ばなければならない。」

「はい。ありがとうございます。」
「酷いか?」

「…痛い…」

「朝は鎮痛薬を飲んでいたよな?」


「…今日は、痛みが少なかったから、いつもの半分だけしか飲んでいませんでした…」


「それの影響かもしれない。昼食まで飲むことが出来ないから、あと1時間ほど耐えなければならない。」

「へ、平気です……」

「すまないな。……それと、私はこれから住吉と話をすることがある。終わり次第戻る。何かあれば隣に居るから呼んでくれ。」

「…はい…」
「住吉、善いぞ。」

「兄殿、お時間をありがとうございます。」

新庄と住吉は、部屋の中へ入った。

「そこに座るといい。」

新庄は、自分と住吉の座布団を敷いた。







「それでスミ、話とは何だ?」

「兄殿、ひと月前のあの事件の時、郵蘭に言われたのです。血の繋がりのない兄弟だと。兄殿は、何故、俺を本物の弟として見てくださるのでしょうか?」

「…それは、血の繋がりが無いのに、ということか?」



住吉は俯き、小さく頷いた。
遡ること10年前、新庄がまだ18歳の頃だ。
刀の訓練をしていた際、突然新庄の庭に逃げ込んできたのが住吉だった。

住吉は泥傷だらけで、助けを乞う様子だった。



「そこのお方、如何したか?」



「たす、助けて…助けてください、」



住吉によると、両親に虐待を受け、必死に逃げてきた所だったという。


「母上。父上、住吉を私の弟として、家族として迎えることは可能でしょうか。」

新庄は、一人っ子だったこともあり、兄弟という存在は憧れであった。それに何よりも、辛い境遇の住吉を助けてやりたかった。

新庄の両親は、最初こそ渋ったものの、新庄の熱い説得により新庄家に住むことが許された。

新庄は元々武士の家系であった。
彼の父親は、武将の中でも特に力を持った人だった。
母親は、元々体が弱く、病気がちであった。
そして、新庄が20歳の時に肺炎の悪化でこの世を去った。








「住吉、箸を持ってきてくれないか。」

「はい!兄殿!」

「…だから、そこまで高尚になる必要は無いと言っているだろう。」

「いえ、こうでもしないと落ち着きません。兄殿は俺の命の恩人ですから。」

齢17歳の新庄は、そうかと言って微笑んだ。

「…住吉、では、私もお前の呼び名を考えるとしよう。」

「え…兄殿が?」

「あぁ。」

新庄は、しばらく頭を悩ませた。

「わたる、お箸が止まっているわよ。」

母親が、小さく咳き込んだ。

「…あぁ、すみません母上。」

「わたる、仲が良いのは良いがな。食事の時には食事に集中しなさい。」

髭を蓄えた姿勢の良い父親が、住吉にそう言った。

「はい。父上。」
「……まことに残念ですが、もって半年だと。」

新庄が18歳の誕生日を迎えた月に、風邪を引いていた母親の容態が急変した。

「…そんな、母上…」

「わたる、貴方は、とても優しい子です。お父さんによく似ている。……武士に嫁ぐ女として価値の薄かった私のことを、お父さんは大切にしてくれました。…だから貴方も、いつか愛する人ができたら、大切にしなさい。わたる。」

「…はい。母上。…」

「…住吉、貴方も立派な子です。真面目で、何事にも誠心誠意やり込む精神力を持っています。……あなたはもう、私の本当の息子です。」

「…はい。…ありがとう、ございます。…」

母親の手の力が弱くなる。
それでも新庄は、強く握りしめた。

「わたる、お父さんが帰ったら、伝えておいて欲しい。貴方のことを愛しているって、そう、伝えて欲しい。」

「…承知しました母上。父上に伝言しておきます。…母上、私を産んでくださり、ありがとう。」





母親は、ゆっくりと微笑むと、そのまますーっと眠りにつくように息を引き取った。__









「父上、母上がこう申しておられました。」

「…そうか。……」

その日、新庄は初めて武士の父親の涙を見た。


住吉はというと、泣きじゃくり、着物が涙で水浸しになっていた。

葬式の際にも、住吉は泣き止むことは無かった。




「スミ、泣くでない。母上は、私たちの笑顔が見たいはずだ。」



「はい…兄、殿……。」







「スミ………?……決まった。スミと呼ぼう。たまに、住吉に戻るかもしれないがな。」

「…住吉、血の繋がりだけが物を言う訳では無い。」

「…。」

「私たちが過ごした10年は、本物の家族のようだっただろう?」

「……はい。」

「お前は私の大切な弟だ。家族だ。」

「ですが、俺は出来損ないです。兄殿の剣術や頭脳は素晴らしいものですが、俺は真逆です。そんな俺が、兄殿のお側にいる資格はありません。」


「うむ。では、今ここでその資格を与えよう。」



住吉は、新庄のその言葉で、顔を上げた。

「スミ、お前は自覚していないようだな。自身の剣術や頭脳について。……仲間を身代わりにした私とは、大違いの精神力も持っている。」

「………いいえ兄殿。あれは、兄殿の家臣達が、兄殿をお守りするために」

「もう良いんだスミ。……お前の剣術は私が認める。頭脳だってそうだ。スミには、私には無いものを多く持っている。その凹凸を補っているのが私たち兄弟だ。」

「例えば、スミは瞬発力に長けている。そして、敵を上手く誘惑させる頭脳と言葉も持っている。これも、私にはない力だ。」

住吉は涙を流した。







___「我が弟よ、私を兄と呼べ。」
住吉との話が終わり、新庄はモモコが眠る隣の部屋への襖を開けた。

「…寝ているのか。」

新庄はモモコにそっと近づき、そっと頭に触れた。

「…もう、昼食の時間なんだが。」

モモコは夜中に何度もも、後遺症の酷い頭痛で眠れない夜を過ごしていた。

今こうして眠れているのなら、起こす必要は無い。

「…。」

新庄は、布団を彼女の首元までかけると、そのまま隣の自室に戻って行った。



「刀の手入れをしなければ。」
「こんな成績じゃ、一流にはなれないわよ。」

「…申し訳ありません。」

モモコの母親の手元には、高校の時の成績表があった。
数学の評定だけ、5段階中の4と記されていた。

「毎回オール5だったのに、数学だけサボったわけ?」

「…いいえ。」

「…ならどうして?説明しなさい。」

「…え、っと、」

パチンッといって頬に痛みが走る。
右頬を抑えながら、母親の方を向いた。



「どうして答えられないの?つくづく出来損ないね。失望したわ。もう二度と帰ってこないで。」













私の頬には、ヒリヒリとした痛みが残っていた。