「わっちゃんただいまぁ〜」
ルミィが帰ってきた。
わたしは自分の部屋で読書をしていた。
「あ〜かったりぃ〜」
とりあえず顔を出して、おかえりと言った。
「うんただいまぁ」
ルミィはいつにも増して腑抜けた声でいうと、ブレザーの上着を脱ぎ、リボンを外して、その下のシャツも脱ぎ、仕舞いにはスカートを脱いで、白いキャミソールとミニ丈の黒スパッツの姿で畳に寝転んだ。
いつにも増してだらしないな。なにかあったのか?
そう思いつつ、黒いやつも脱いだ方が絵的に盛り上がるのに……とも思った。
「どうしたの?」
わたしは部屋から顔を出した状態のまま、ルミィに尋ねた。
「わっちゃん、あのね。ワタシ、完璧美少女やめたの」
え……。
突然の話だった。最初はイマイチ呑み込めなかったが、次第に話の内容を理解すると衝撃で身体がゾゾッと震えた。
「なんかあったの?」
ルミィが人生を賭して全うしようと決めた宿命を、いとも簡単に断ち切るなんて。鍋パで何か嫌なことが起こったとしか考えられない。ぼっちゃん(才賀)に何か言われたかされたか、もしくは他の二人になにか言われたかされたか……ルミィの本性がバレちまったとか……。
「なにも。ただ気が変わったの」
気が変わった? 宿命だと頑なに信じ込んでいたくせに、たった一宵の晩飯であっさり切り捨てたっていうの?
……やっぱり、なんかあったな。
「なんで?」
そう言うと、ルミィはニッコリと口角を上げて言った。
「なんでだと思う?」
え? ……楽しそうな顔。まるでわたしをからかっているみたい。……悪いことではないのかな?
「さあ」
考えるのがメンドくさくなったので、これにてドアを閉じた。布団の上で本の続きを読む。
間もなくしてドアが開いた。ドアからルミィの顔が覗いていた。口を尖らせて不満気な顔だった。
それを見てすぐ、視線を本の文字に移した。
「気にならないの?」
「別に」
「今まで完璧美少女であろうとしてたワタシが、急にバッタリやめたって言ったんだよ?」
ちゃんと自覚してんだ。
「わたしには関係ない話でしょ?」
「関係大アリだよ!」
わたしに関係ある話? なんで?
メンドくさくなって、わたしは本を閉じて、布団の中に入った。
「どーでもいー」
面倒な話を持ち込まないでほしい。わたしは気楽に生きたいんだ。目を閉じた暗闇の中でそう思った。
するとささやかに音が聞こえた。ドアがそおっと閉まる音、部屋の電気を消す音、こちらに迫ってくる足音、布の擦れる音……。
目を開くと、淡い衣をまとった、天使と見間違うほどの美少女が目の前にいた。
美しい。本当に天使のようで、常夜灯に照らされているが、花明かり、雪明かりのようにルミィ自身も薄っすら明っているように見えた。
天使はわたしの隣に横になって、そっと手を握った。
わたしはルミィとは反対側に動いて、布団のスペースを開けた。
ルミィは布団の中に入って、わたしの腕に抱きついた。顔を見ると幸せそうだった。
――そういうことか……。
「ルミィ、もしかして……わたしのこと……」
「大好きだよ」
そう。だから完璧美少女の皮を剥いだのか。頑なに信じていた宿命を放棄したのか。
……わたしのために。
「やめといたほうがいいよ」
「どうして?」
「わたしの心は、アンタばっかりに向いていないから。わたしに恋愛なんてものは向いてない」
「……」
ここでわたしは、昔話をした。
過去にも一人、わたしを好きだと言ったやつがいた。
そいつとは幼稚舎の年少からずっと同じクラスで、いつも一緒にいる仲で――。
そいつからかまってくることが多いけど、頼れるやつだから、わたしからやつのところに行くこともあった。
この学園――朝日奈学園――は不良が多くて治安が悪いということを知ると、やつは少年漫画の登場人物並に特訓をして、めっちゃ強くなって、小5で中3の暴走族・FORESTの総長を倒して、FORESTの総長になった。
そしてやつは総長の権威を使って、治安対策と環境整備を行った。
隊員たちの強化、女子の希望者も受け入れて、男子も女子も守る、守るために戦う族を創りあげた。
FORESTの総長は緑化委員長を兼任し、やつは緑化委員長の立場を利用してこの学園に沢山の花が咲く植物を植え、学園を花園に変えて見せた。
努力が功を奏して、学園内の治安はかなり良くなったし、花園となった学園の美しい外見に惚れて、朝日奈学園に我が子を通わせたい親、通いたい生徒が増加した。
あいつがわたしに言った目標が現実となった。
中でも一番沢山植えた植物は、淡い桃色のツツジ。わたしがツツジが好きだと言ったからだ。
理想が叶って初めて来た春。ツツジが見頃を迎えた時期に、やつはわたしを園内のツツジ畑に連れ出して、告白した。
断った。
やつが幼いころから何年も掛けて積み上げてきた血と汗と涙の結晶が、いとも簡単に壊れてしまった瞬間だった。
♤ ♤ ♤
告白されたのは昼休みの、ランチを食べたあと。
やつは ―― 葉は、ショックだったのだろう。しばらく絶句していた。
「……ごめん。わたしのために、必死に頑張ってくれてたのに。……わたしは ―― アンタみたいに、一途になれない」
わたしは踵を返して、やつに顔を見せなかった。わたしの顔は、人に見せられないほど、みっともない姿になっているだろうから。
「わたしは……人の恋人なんて……向いてない……」
そう言ってわたしは、その場から離れた。
やつの目からは一滴の涙も見られなかったが、代わりにわたしの目から大量に出てきた。
それは、言葉の出ないやつの心情を、そのまま代弁しているようだった。
わたしが来た場所は、いつもの旧体育館裏。あそこは初等部3年の時に使われなくなって、わたしの格好の居場所になった。
コンクリの上に体育座りをして、ハリネズミやアルマジロのように丸まって、涙を流していた。
「どうして和女が泣いてるの?」
しばらくして、やさしい声が降り注いだ。
逆に、なんでお前は泣いてないんだと思った。
葉はコンクリの人一人分あけた位置に座った。
「ごめん。おれ、和女のこと何も見てなかった。ずっと一途に考えていたくせに、一番守りたかったものを、見落としてた。本末転倒だね。
和女は何も悪くないから、気にしないで」
「……今のわたしは、あのコケが好き。でも、ツツジだって好きだし、桜だって、タンポポだって、クローバーだって、アジサイだって、ヒマワリだって、アサガオだって、コスモスだって、ツバキだって、葉だって ――。みんな好き」
「―― えっ?」
葉は驚いて目を丸くした。
「みんなそれぞれ違った魅力があって、そのどれもが好きで、どれか一つを選べなんて、選んだ一つ以外を排除しなきゃいけないなんて、絶対無理
わたしは、全部の好きを大事にしたいの。
だから、特定の誰かの恋人になるのはできない」
♡ ♡ ♡
「わっちゃんはやさしいね」
話を聞いたルミィは言った。
「そうかな……?」
「うん! わっちゃんは ―― 無愛想の皮を被った、誰よりもやさしい美少女だよ」
―― なんだか、胸がすく感覚におそわれた。
「お話聞いて、もっとわっちゃんのこと、大好きになっちゃった。
いいよ。どんどん好きを作っちゃいな。好きなものがたくさんあると、毎日楽しくなるもんね!」
―― そうだ。好きなものを愛でると、気分が上がる。たまたま好きなものが目に入ると、うれしくなって「ツイてる」って思う。
好きなものがたくさんあると、その頻度があがり、毎日が楽しくて、幸せになる。
そんな人生の方が、絶対いいに決まってる。
「わっちゃんはさ、ワタシのこと好き?」
「好きだよ」
「じゃあ、ワタシがわっちゃんを好きでもいい?」
「構わないよ」
そう言うとルミィは、わたしの頭をなでた。
「よしよーし」
まるで赤子をなだめるような声。わたしは赤子じゃないけど、……心が安らいで落ち着く。
―― 前にも似たようなことがあったな。
つくづく、葉とルミィは似てる。
そしてルミィは、わたしの全身をぎゅーっと抱きしめた。
淡い衣の美少女が、全身全霊をかけて淡くはないがラフな格好のわたしの全身をぎゅーっと包んだ。
なんと最高の状況だろう。顔だけでなく全身の美容にも気をつかっている彼女の肌は、超スベスベでキレイで――ずっと思っていたことだけれど、超いい匂い!
この娘は本当に天使だ! マジ天使! こんな娘に好かれたなんてラッキーだ ♪
思わず顔がゆるんでしまう。
彼女をわたしのルームメイトにしてくれた葉にも感謝だな〜。
明日の弁当はアイツの好きなやつにしよう。……でもアイツの好きな食べ物って何だっけ?
わたしはそおっと、ルミィの背中をスーッとなでた。背中もキレイだ。
「わっちゃん」
「ん?」
「わっちゃんて、えっちよね」
それを聞いたわたしは、ルミィの腹の上の部分を足で押した。
「じゃあ出てけー!」
「うぐぅ!」
ルミィは鈍い声を出して、その部分を抑えた。そして上半身を起こして、あたふたと弁明した。
「じょ、冗談だよ! ……いや冗談でもないけど……。わっちゃんになら、いくらでもさわられてもかまわないよ」
わたしも起き上がり、得意げに言った。
「お、言ったな?」
「〝禁断のパレス〟以外はね」
「そうだね」
さすがにそれはマズイ。
「じゃあ〝パレス〟以外だったら」
「オッケーだよっ!」
いろんな意味で。
てことでわたしは、ルミィに迫り、聖なる大天使のほっぺをぷにぷにした。
さっきのお返しだ。
ぎゅーっとつぶしたり、自分のほっぺをぎゅうとくっつけてすりすりした。
彼女のほっぺはとてつもなく尊い。
「ちょっと買い物に行ってくる」
今日のところはここまでにして、わたしは立ち上がった。
ルミィは不思議そうにわたしを見た。
「今から?」
「うん、明日の弁当はスペシャルなものにしたくて。買い出し行こうかと」
「ずいぶん上機嫌だね ♪」
「ルミィの好きな食べ物ってある?」
「からあげ」
「りょーかい。葉はマグロでいっか」
「え、聞かないの?」
「メンドウだし」
「ワタシが聞くよ!」
そう言ってルミィは部屋から出ていく。
「おい、それ持ってけ」
「あ、ごめん」
ルミィは黒い抜け殻を持って出ていった。
「聞いたよ! わっちゃんが作るものならなんでも好きだけど、しいて言うならさつまいもととうもろこしだって」
「わたしも好きなタッグだよ。じゃあ、さつまいもとコーンを加えた炊き込みごはんにしよっか。その上にからあげ置く形で」
「最っ高!」
ルミィに喜んでもらえたし、これで決まりだ。
「ワタシも一緒に行くよ!」
「ルミィも行くの?」
「うん。夜に一人で出歩くのは危険だし、葉くんが言ってたんだけどね、SOLARとMARINEが急に活発に動き始めたんだって。
間違いなくワタシが原因。わっちゃんも一緒に狙ってるかもしれない。だから守らなきゃ」
なんだか緊張感が高まった。……やっぱ行くのやめようかな。
いやでも、絶対明日にスペシャル弁当を作って、明日の昼、二人が喜ぶ顔が見たい。
「大丈夫だよ、わっちゃん! ワタシ超強いし、強力なナイトもついてくれるってさ」
強力なナイト? 葉の差し金か。頼もしい護衛が二人もついているのなら安心だ。
「んじゃあ、行こっか」
ルミィは脱いだ制服を着て、わたしも簡素なルームウェアから制服に着替え、財布と携帯の入ったショルダーバッグに、エコバックも持って部屋を出た。
「こんばんは。お二人さん」
玄関前で待っていたのは、ジャージに短パン姿のFORESTのイケメン女子。
じつは彼女、FORESTの副総長だそうで、名前は篠原杉菜さんという。