「――はぁ。学校、かったりぃ〜」


 この春から一緒に暮らすことになった女子生徒は、一見優秀な美少女に思えたが、その本性は、美しさのかけらもない腑抜けた小娘だった。

 ルミィは朝ご飯を食べながら、腑抜けたツラで腑抜けた言葉を垂らした。

 さすがにわたしも幻滅するが、完璧美少女でいられても落ち着かない。こっちの方がまだマシだ。


「じゃあ、休めば?」

「んなわけにはいかんよ。授業遅れちゃうし、大した理由のない欠席はサボりだし。評価さがっちゃう」
 
「それよりも自分の身を大事にした方がいいよ。ルミィの場合は学力も最強だから、多少サボってもそこまでダメージないでしょ」


 この学園の中等部と高等部のクラスは、学力で決まる。優秀なクラスから、S組、A組、B組、C組、D組、E組。わたしたちはS組、トップだ。

 成績上位20位までの、20人の生徒で構成された、最強クラスだ。


「そうだけど、ワタシの完璧美少女としての格が落ちちゃう……。それは避けたいの」

「どうして?」

 そんなもの、あったところで面倒なだけでしょうに……。

「……ワタシの宿命なの。生まれたときからの」

「宿命?」

「ワタシは〝最強に可愛い〟見た目に生まれた。だから、中身も〝最強に可愛く〟なきゃいけないの」


 はっきり自覚してんだ……。


「見た目はもちろん、勉強も運動も最強で、他のコへの思いやりも忘れず、ルールやマナーをきっちり守る。

 見た目も中身も〝最強に可愛い女のコ〟でいたら、パパもママも周りのコたちも喜んだ。
 男の子も女の子も大人の人もみんながワタシを好きになったのよ……。

 みんながワタシを大事にしてくれる――。みんながワタシを甘やかしてくれる。

 こんなに恵まれた人間、他にいないわ」

「なんだ、イヤらしいお嬢様か」

 わたしは、ふりかけのかかったご飯を口に運びながら嫌味ごとを言った。


 ルミィは「そうだね」とほがらかに笑った。そして、食べ終わった食器をまとめて、流しへと持っていく最中にもう一言。


「だからワタシは、完璧美少女じゃなきゃいけないの。相応の対価を差し出さなきゃ」


「……べつにそんな義務はないのに」

 食べるの早いなぁ……。と思いながら、ぼそっと呟いた。
 
 まあ、でも、彼女の人生とも言えるその努力を、軽い言葉で一蹴してしまうのは無礼千万だ。
 しかし、頑なに本心を封印して、親にも誰にも見せられず、四六時中化けの皮を被っていた……って。

 寂しかっただろうな。

 完璧美少女も大変だなぁ……。


 そんなルミィは、部屋から一歩外に出た瞬間から人が変わり、笑顔満開の超絶美少女と化した。

 女のわたしでも、その美しさに落ちてしまった。満開の笑顔に、目を奪われてしまった。

 見惚れて固まってしまったわたしに、気づいているのかいないのか、ルミィはわたしの手を取り、言った。


「わっちゃん、行こっか」


 あれ? さっきまでの腑抜けた小娘は、どこ行ったんだ?


「わっちゃん、手伝うよ」

「あ、ありがとう……」

「すっごいプリントの山だねぇ〜」

「先生に頼まれて……」

 
 暗くて地味で、近づくんじゃねえぞオーラを放出しているわたしにも、ルミィは構わず近づいてくる。

「わたし、あんまり人と関わりたくないんだよね」


 ある時、わたしはルミィにそう言った。


「知ってる。一目見たら分かるよ」

「じゃあ何で近づいて来んの?」


 聞くとルミィは、にっこり笑顔を見せた。


「わっちゃんともっと、仲良くなりたいからかな。ルームメイトだし」

 
 わたしにこんな笑顔を見せてくるのは、よほどのもの好きだ。
 裏の顔を知っているんだし、この笑顔は作りものだって分かってる。

 でも心は、かわいすぎる笑顔に騙されてしまう。なんて単純なヤローだ。

 ルミィが天使の微笑みを振りまいているのは、なにもわたしだけじゃない。
 クラスの男子も女子も、先生にも、別け隔てなく振りまいて、親切にして、関わる人全員を笑顔にした。
 
 
 そして、彼女が編入してから、早1か月が経過した。
 
 ルミィの周りには、三人のナイトもとい、ワンコがまとわりついた。
 彼らは皆、暴走族の総長を務める最強男子たちだ。

 その経緯を聞けば、彼女は女神かと思った。

 最強ワンコたちが周りに群がるせいで、他の生徒たちは、安易にルミィに近づけなくなった。 
 まあ、実際にはルミィの方が彼らの犬だが。

「ルミ、次の授業は理科だから、一緒に理科室行こう」

「うん、行こう!」

「ルミ、ボクも一緒に行く!」

「テメーら邪魔なんだよ。失せろ。ルミ、オレと一緒に行こうか」

「はは……バチバチだなぁ……」

「当たり前だ。ルミの隣はオレの席だ」

「いいや、俺のだ」

「ちがうよ〜、ルミの隣はボクの席さ! てことで、ルミ、ボクと一緒に行こっ!」

「わっ!」

「金見テメェ!」

「その手を離せ!」


 ……あー、メンドくせっ。

 見ているだけで、面倒くさい。
 とっとと正体バラして、嫌われればいいのに。
 そうすれば、面倒なやり取りに巻き込まれないで済む。
 厄介な犬コロが、キレイサッパリいなくなる。
 その方が、気楽でいいのに。

 昼になると、いつも四人で食堂へ行く。


「ルミ、俺と食堂行こう」

「ルミ〜ボクと行こうよ〜」

「ルミ、俺と行かないか?」

「……じゃあ、みんなで行こ!」


 男子三人はうわべではわりと穏やかだが、内面はドロドロ、バチバチの姫の取り合いをしているのが常。ルミィはそれを見て苦笑いをする。

 もちろんあれも完璧美少女であるための演技だろう。

 わたしは理解に苦しむ。あんなマネしたって、どうせ何にも残らない。あんな化けの皮、すぐに(はが)がれ落ちて、悲しい結末がまっているのは目に見えている。
 
 わたしは弁当を持って、面倒くさいやり取りの横を素通りし、教室をあとにする。


 ♡ ♡ ♡


「あ〜、メンドクセーー」


 わたしは力なくして叫んだ。
 いつもの旧体育館裏の、愛しきゼニゴケがびっしり生えているところ。
 コンクリの段差の上に寝転がって、放心状態になった。


 人間って、ホントにメンドクセー。

 
 メンドクセーよ。


 メンドクセー。


 どうしてそんなに執着するのか……。


 どうしてたった一つのものに、あれだけ執着するのか。


 どうして義務でもなんでもない、ただの思い込みを頑なに信じ込むのか。


「和女!」


 どうして(かたく)なに信じる思い込みを、頑なに(まっと)うし続けようとするのか。

 メンドイ思いをしながらも。


 それを成し()た先に、何があるというのか……。


 というかルミィは、いつまであの演技を続ける気だろう。


 いつか絶対に、バレる時が来るだろうに。


「和女ー!」


 見栄も承認欲求も、どーでもいい。


 宇宙の果てなき広さを思えば、ほんのほんのちっぽけなこと。ゴミ(くず)でしかない。


「おーい、和女ー!」


 わたしのすぐ目の前に、葉の顔が現れた。


「どこの世界に(タマ)飛ばしてんの!」

 はっ……! これによって、わたしの魂はわたしの身体に戻った。

「……葉」


 身体を起こすと、葉の頭とごっつんこ! ……となることはなく、反射的にやつの頭が引っ込んだので、ぶつかることはなかった。

 こいつが鈍いやつだったら、ぶつかっていたかもしれない。

 わたしの不意打ちヘッドアタックを見事かわした葉は、何事もなかったかのようにコンクリに座って、弁当バッグを開けた。


「お昼食べなきゃ、午後の授業乗り切れねーよ」

「わたしは大丈夫だもん」


 そう言ったとたんに、腹の虫が鳴った。なんて間が悪い。
 葉は笑った。


「和女のお腹は大丈夫じゃねーみてーだよ。あとおれも」


 そう言って、わたし分の弁当を寄越してきた。
 いつも通り二人で弁当を食べていると、葉が口を開いた。


「和女、さっき何考えてたの?」

「ゼニゴケになりたいって考えてたの」



 そう答えると、


「もうその領域まで来てんの?」


 と葉は苦々しく笑った。
 こいつには「わたしの恋人はゼニゴケ」だと言ったことがある。


「どうしてそんなにゼニゴケが(うらやま)ましいの?」


 そう聞かれると、食べてる最中だというのに、腹の中に住みつく真っ黒いモヤがぐるぐると(うず)を巻いた。


「……だって、人間は面倒(めんどう)くさいもん」


 とにかく人間というのは面倒くさい。〝面倒くさい〟と一言で片付けてしまいたいほど、面倒くさい。


「ゼニゴケ先輩は、美人に()びへつらったりも、(みにく)い奴を(あざけ)たりもしないから、すごい楽でいい」


 そう答えると、葉は「そう」と複雑(ふくざつ)な顔をした。


「あと、この場所にずっといられるしね。それにこの場所、案外丁寧(ていねい)に手入れされてるみたいだから、極楽(ごくらく)そうだし、(うらや)ましい限りだよ」


 申し訳ないと思ったので、もう一言二言つけ足した。
 葉は困ったような顔で笑うと


「そう言ってもらえると、緑化委員長(りょっかいいんちょう)として嬉しいよ」


 と返した。
 葉は緑化委員会(りょっかいいんかい)の委員長を(つと)めている。今年で5年目と相当(そうとう)長い期間(きかん)だ。初等部の5年生から。
 朝日奈(あさひな)学園中等部の緑化委員会は、暴走族(ぼうそうぞく)FOREST(フォレスト)の隠れ(みの)となっている。
 そして、緑化委員会委員長(いいんちょう)は、代々FORESTの総長(そうちょう)が務めてきた。
 つまり葉は、初等部5年生にしてFORESTの総長となり、緑化委員会委員長となった。
 
 表では何の変哲(へんてつ)もない ―― といっても、成績優秀(ゆうしゅう)のS組だし、顔もキレイだし、中身は投げやりなところはあるが、それなりに親切(しんせつ)なので、男子からも女子からも好かれる人気者である。 ――ただの(おだ)やかな男子生徒である。


 しかしその裏の顔は、史上最年少でFORESTの総長となった最強の男。喧嘩(けんか)の腕も学業の成績も、本気になれば、首席(しゅせき)を取れるだろう。

 その上、人望も厚く、緑化委員及びFORESTのメンバーの数も満員御礼。

 それは表で最強とうたわれる、朝日奈学園の御曹司をも上回るだろう。

 
 つまり、わたしの隣でご飯を食べている(コイツ)は、穏やかの皮を被った〝真の神〟である。


 弁当を食べ終わった葉が言った。


「和女、このあと校舎付近の花壇(かだん)、見に行かね? ツツジが見頃だよ」


 ツツジかぁ。昔は桜より好きだったっけ。まあ、桜も好きなんだけど。


「ツツジねぇ……あんな綺麗(きれい)な花、今のわたしには似合わないよ」

「昔は、ツツジ好きだって言ってたじゃん」

「変わったの。今のわたしの恋人はゼニゴケ先輩だから」

「人じゃねーし。いいだろ、他の花を見たって」


 はぁ……ダメだね、こいつは。


「葉、ダメだよ。そんな浮ついた心じゃ、将来良い家庭を(きず)けないよ」


「いや、和女、思いっきりツツジからゼニゴケに鞍替(くらが)えしたじゃねーか。

 それに! いいじゃん、好きなものがたくさんあったって!」


 ……和女に見てもらえなきゃ、浮かばれねぇや。
 

 ……そんな大物に、わたしはどうやら、めちゃくちゃ好かれているらしい。
 
 わたしみたいな薄汚い顔には重荷すぎる……。


「いいよ。ツツジ、一緒に見に行こう」