ワタシ、羽月(はねつき)ルミエルは、小学校を卒業してから約二年の間、パパとママが(あい)してやまないフランスに住んでいた。

 もともと日本でも、フランスと同じような()らしをしていた。

 フランス語も身近だったし、フランスでも日本料理(りょうり)は食べることができたから、なんとか対応ができたけど……。
 それでもワタシは、日本の方が()きだった。日本がずっと(こい)しかった。


「パパ、ママ……ワタシ、日本に帰りたい」


 ワタシがそう()げたことで、春になる前に日本に帰国した。
 そして、編入(へんにゅう)する中学を探した。

 ―― 宮殿(きゅうでん)のような美しい校舎に、お花や緑が(ゆた)かな園内(えんない)、ブレザーのかわいい制服、自由で(みやび)な校風。

 ネットで調べて、現場に行って()た情報のおおよそを気に入り、帰国後の中学は朝日奈(あさひな)学園に決めた。
 パパとママは(むずか)しい顔をした。
 ママは言った。


「ルミエル、たしかに綺麗(きれい)なところだけど……。この学校、男子の方が多いみたいだし……口コミじゃ、不良ばっかの危ない学校だって」


 ワタシも口コミは見た。学園長も言っていた。
 内情は暴走族の巣窟(そうくつ)で、ヤンキーがうじゃうじゃいるとか。
 パパは言った。


「それに全(りょう)制だ。一人で暮らさなきゃいかんのだぞ!」


 これにママも「やっていけるの?」とひどく心配していた。
 ワタシは親指(おやゆび)を立てて、自信満々(まんまん)に言った。


 「大丈夫! ワタシ超強いし、どーせは自立しなきゃいけないし、早いうちから()らしたほうがいいでしょ?」


 しかしパパは引き下がらない。ワタシの肩をがしっと(つか)んで、必死に(うった)えた。


「どうして自立する必要がある!? ずっと家にいればいいだろ! なにも困ることはない! 安心安全だぞ!」

「さすがにそういうわけにはいかないよっ!」


 自分の娘をどら娘にするつもりか? ワタシは絶対にゴメンだ。


「ワタシだって、パパとママのわがままに付き合ってあげたんだから、ワタシのわがままも許してよ」


 なるべく(おだ)やかに言ったが、本当はもっと強く言ってやりたいところだ。
 フランス好きの夫婦のもとに生まれたが(ゆえ)に、毎日の食事がフランス料理で、主食はほとんどがパンだ。

 朝・晩、毎日の食事を用意してくれているのだから、ありがたいとは思う。

 けれど、ざんねんながらワタシは両親と同じようにフレンチ好きにはならず、小学校の給食で食べた日本食の方が好きだった。
 ワタシが米とみそ汁を食べたのは、それこそ小学校の給食や、テストで満点を取ったり、数々の習っていた武術の大会で優勝(ゆうしょう)した時。
 ご褒美(ほうび)として、回転寿司やうなぎを食べに行った時だ。
 ……厳密(げんみつ)にいえば、うなぎ屋で食べた(飲んだ?)のは、みそ汁ではなくお()い物だけど。

 日本の料理を毎日食べたい!

 一人で気ままに生きられる環境が手に入れば、朝、昼、晩の食事を自分で選ぶことができる。
 三食を米とみそ汁にする生活だって、できちゃうのだ。
 なんとか両親を説得(せっとく)して、朝日奈学園への編入を許された。
 毎晩、リモート通話で報告(ほうこく)することを約束に。
 
 親(特に父)の我が子への愛情の深さというのは、厄介なものだ……。

 ワタシがかわいすぎる娘なのが、拍車(はくしゃ)をかけている要因(よういん)になっていそうだけど。

 でも、今日のワタシはかわいくなかったかも。


 ♡ ♡ ♡


 朝日奈学園・中等部の編入試験(しけん)を満点で合格することができた。
 
 四月一日、学園内にある寮に入寮する。


 合格通知後に、学園長からお話があった。


「今年は新入生が多くてね。女子寮の空きがどうしても確保(かくほ)できないんだ。
 そこである生徒の提案(ていあん)で、同じクラスの女子生徒の部屋に入ってもらおうとなったんだ。
 その生徒にはすでに話を通していて、承諾(しょうだく)ももらっているんだけど……いいかな?」


 ようは、クラスメイトとのルームシェア……いや、クラスメイトのお部屋をシェアさせていただくってことか。
 いやそもそも、学校の寮は誰かとの相部屋ってのが一般的だと思う。
 本来(ほんらい)は一人一部屋である方が珍しい。つか、贅沢(ぜいたく)だ。

 
「かまいません」


 空きがないから仕方ないし、拒否(きょひ)ったところでどうしようもない。
 ここは優しいクラスメイト様のご厚意(こうい)に甘えよう。

 ということでワタシは、リュックサック一個分に入るだけの、厳選(げんせん)した必要最低限の荷物だけを持って、スムーズに入寮した。

 受け取った(かぎ)に書かれた番号の部屋に行き、インターホンを押す。


 ドアが空いて、出てきたルームメイトは、―― 無愛想(ぶあいそう)な女の子だった。


 無造作(むぞうさ)な黒ロングのゆるゆるローポニーに、そばかすのある肌。生気(せいき)を感じない目に、超(らく)ちんなパーカーワンピース。

 一目見て確信(かくしん)した。

 ……間違いなく、人付き合いとか(きら)いなタイプ。


 特にワタシみたいな派手な女子は苦手だろう。髪をライトゴールドに()めて、ターコイズブルーのカラコンを入れている派手な女子は……。

 実際、ワタシを見て(さら)嫌悪(けんお)な顔をした。彼女は口以外のところで雄弁(ゆうべん)に語る人だ。

 ワタシは彼女に頭をさげて、挨拶(あいさつ)をした。


「はじめまして。新しく編入しました、羽月(はねつき)ルミエルです。ワタシを受け入れてくれてありがとう」


 最後には笑顔も見せた。朗らかな顔を見せれば、悪い印象にはならないはずだ。


「わたしは、黒地和女(くろじかずめ)。よろしく」


 彼女は変わらず無愛想な表情で、挨拶をした。


「お世話になります」


 ワタシはそう言って、部屋の中に入っていった。


「ひっろーい!」


 広くて立派な()の部屋に、ワタシは感動して(さけ)んだ。
 部屋の間取りは2LDK(エルディーケー)といったところだ。
 洗面所やバスルームも、カウンター型の広いキッチンも(そな)わっていて、家賃(やちん)がつくなら最低でも月8万以上はするだろう。

 本来、一人暮らしの中学生には贅沢(ぜいたく)過ぎる部屋だ。

 そしてこの部屋―― 特に居間は、一人暮らしの中学生には(しぶ)すぎる部屋だ。

  カーペットが(たたみ)で、真ん中に()い茶色の丸く大きなローテーブルが置かれていた。

 そのローテーブルの真ん中には、(こけ)の生えた小皿が置かれていて、そのとなりにはお菓子が入った箱が。

 ローテーブルのかたわらには、二つの座布団(ざぶとん)が置かれていた。

 片方は、茶色い和柄の座布団。もう片方は、黄色いストライプのかわいい柄の座布団。はっきりと和と洋で分かれていた。

 ワタシは黄色い方の座布団に近づき、和女ちゃんにきいた。


「和女ちゃん、もしかしてこの座布団……ワタシのために用意してくれたの?」


 すると和女ちゃんは決まり悪そうな顔をして言った。


「……もちろん。一人暮らしに座布団二つもいらないから」


 素直じゃない言い回しだ。


「羽月さんの部屋は右側ね」


 ワタシは言われた通りの部屋に入った。
 畳の部屋だった。たたまれた布団(ふとん)(まくら)とローテーブル、その上にライトが置かれていた。

 日々の生活には(こま)らない、必要最低限の家具が用意されていた。

 これを用意するのにどれだけの手間と費用(ひよう)がかかったか……。


「カーテンは開けない方がいいよ」


 と、和女ちゃんの声が聞こえた。
 そういえば、(まど)全閉(ぜんぺい)されていて暗い。


「なんでだろ……」


 そうつぶやいて、カーテンを大胆(だいたん)に開けた。


「あーなるほど。こりゃあ、地獄(じごく)だわ」


 まるでテロ事件でも起きたかのような、悲惨(ひさん)な現場だった。
 もちろん、ころがっているのは人の遺体(いたい)ではなく、もっともっと小さな生き物だ。

 こりゃあ、かなり長い期間放置されてるな……。

 ワタシは平気だが、和女ちゃんはムリだったか。
 そう思うと、ふふっと笑いがこぼれた。
 ワタシは部屋を出て、和女ちゃんにほうきとちりとりとゴミ袋を()りて、ベランダを掃除した。


「ありがとう! 助かったよ〜!」


 掃除が完了(かんりょう)すると、和女ちゃんは人が変わったように(よろこ)んだ。
 そんなに苦手だったんだ……。


「和女ちゃんには感謝しまくりだからね! 困ったことあったら、いつでもワタシを(たよ)って!」

「助かるよ! ……ところで、お昼ご飯は食べた?」

「これから食べようかと」

「なら、これから作るよ。簡単なやつだけど」

「へえ、料理できるんだ!」

「うん」

「すっごぉ」


 有能(ゆうのう)な子だぁ。

 
 ♡ ♡ ♡


「できたよ〜」


 と言って持ってきたのは大きな器。その中身は、もやしをはじめとする野菜が沢山(たくさん)入ったラーメンだ。


「あ、手伝うよ」


 (まか)せっぱなしでは申し訳ない。(はし)とコップ、それから飲み物の麦茶をコップに(そそ)いだ。
 箸の数は3セット。コップの数は2個あった。


「和女ちゃん、箸もコップも、ワタシのために(そろ)えてくれたの?」

「……さあね」


 もう一つのラーメンを置いて、茶色い座布団に座った和女ちゃんは、曖昧(あいまい)な返事をした。
 つんとした表情が、本当の返事を語っている。

 ワタシは彼女にぎゅっと抱きついた。


「なにからなにまでありがとう! わっちゃんはすっごい優しいね!」


 人付き合いとか、嫌いそうだったのに。いや、嫌いなのは本当かな?
 ……なのに、こんなにも、わたしのために。


「……わっちゃん?」

「〝()〟に〝()〟で和女ちゃんだから、〝わっちゃん〟。いいよね?」

「……まあ、いいけど」

「ワタシのことは、〝ルミ〟って呼んで」

「……わかったから、早く(はな)れて」

「あ、ごめんなさい」


 すぐに離れて、黄色い座布団に座った。


「改めて、ヨロシクね。わっちゃん」

「ヨロシク。ルミィ」


 ルミィか……まっ、変わんないか。


「いただきます」をして、わっちゃんが作ってくれたラーメンを食べる。

 ズズズズ……。

 口のなかに、素朴(そぼく)であっさりとしたラーメンの味が広がった。
 このラーメンには、わっちゃんの人間性がまるまる込められている気がした。
 このラーメンには、わっちゃんの無愛想な顔の内にある、繊細(せんさい)さや優しさが存分に感じられた。

 空いた腹だけでなく、この胸までもがいっぱいになった。

 思わず涙が(にじ)むほど。


「ああ、うんめぇ〜!」


 ワタシは力なく叫んだ。


「キャラちが……」