『勝手に出ていったと思ったら、まったく音沙汰もないなんてどういう不義理な子なの! 分不相応な結婚を認めてやるんだから、こっちの手伝いくらい言われなくてもちゃんとしなさいよ!』

電話口で話す翔子の声は、相変わらず居丈高で一方的だった。

彼女の話によると、忙しくて事務作業に手が回らないほど人手が足りていないらしい。

だからといって、本来萌にはなんの関係もない。

これまでも何度か休日に事務仕事を手伝わされることはあった。いくら元々父の会社だったとはいえ、こうして離れて暮らしても呼び立てられるだなんてやはりどう考えてもおかしい。

晴臣と暮らし始めて正常な思考力が戻った萌はそう感じるものの、翔子の電話を無視することはできなかった。長年植え付けられた主従関係のような歪な鎖は、いまだに断ち切れていない。

いつかの晴臣の言葉が頭に浮かぶ。

『正式に入籍をしたら、もうあの一家とはかかわらなくていい。もうじき秋月工業との取引も終わる』
『だからこれ以上、君が彼女たちの言葉に傷つく必要はないんだ』

中学生で両親を亡くした自分を引き取ってもらった恩義はある。けれどその恩はこの十年、無心で彼らに尽くすことで十分に返したはずだ。