「そうですね。では俺たちはこれで失礼します」
「……え?」

穏やかな口調で微笑んでいるにもかかわらず、玲香を見やる瞳はまったく笑っていない。不穏な雰囲気をようやく察知した玲香は、呆気に取られて晴臣を見つめている。

「ご心配されなくとも、俺たちはとてもうまくいっています。萌に不満なんてなにひとつない。結婚式の日取りが決まったら連絡するとご両親にお伝え下さい。あぁそれから、このマンションのコンシェルジュは優秀ですよ。不審人物を敷地内に入れないのは、防犯面でも基本中の基本ですから」
「なっ、私が不審者だとでも言いたいんですか?」
「少なくとも招かれざる客であることは間違いないですね。ご存知ですか? コンシェルジュカウンターの内側には、すぐに警察に通報できるよう非常ボタンが設置されています。これ以上ここで騒ぐようなら、彼らは躊躇なくボタンを押すでしょうね」

晴臣の声は、普段の穏やかな彼とは別人かと思うほど冷ややかなものだった。

玲香はバッとコンシェルジュカウンターを振り返ると、怪訝な表情でこちらを注視している壮年の男性を見て悔しそうに唇を噛んだ。

「理解できたのなら、どうぞお引き取りください」
「な、なによっ!」
「それと、彼女ほど魅力に溢れた女性に出会ったことはありません。俺の婚約者を侮辱しないでいただきたい。不愉快だ」

彼がそう言い切ると、顔を真っ赤にした玲香は反論もできない様子だった。

晴臣は萌の肩を抱いたまま歩き出す。萌は振り返ることもできないままエントランスホールへ足を進めた。