久しぶりに自分の意思を言葉にした開放感と、身元は確かとはいえ会ったばかりの男性の言葉を鵜呑みにしていることへの不安、そして目の前の晴臣に対する正体不明のドキドキで、萌の心臓はありえないほど早く脈打っている。

きっと今日の選択は、明日からの人生を百八十度変えてしまうだろう。そう自覚すると、やはり先が見えないことへの恐怖心が芽生えてくる。

そんな時、晴臣がホテルの庭でのセリフをもう一度口にした。

「秋月萌さん。俺と結婚しませんか?」

彼という人物を、萌はまだよく知らない。知っていることといえば、桐生自動車の御曹司で年齢は二十九歳。将来は彼が会社を継ぐらしいという客観的事実のみ。

けれど晴臣は、萌が出会った誰よりも優しい人だと思う。こうして心配して家まで来てくれたのがなによりの証拠だ。

彼は萌になにかを強要したりはしなかった。晴臣自身の意思をしっかり主張しながらも、萌の意見を疎かにはしない。彼ならば信頼できるかもしれない。それは希望にも似た直感だった。

「私なんかでよければ、よろしくお願いします」
「こちらこそ」

萌が意を決して頭を下げると、それに頷き返した晴臣がゆっくり前に向き直りハンドルを握る。

「うちに行く前に、まずは薬局だな」

そう告げる彼の声は、どことなく嬉しそうに聞こえた。