けれど康平いわく共同開発の話は断ったそうだし、今日一日をやりすごせばなんとかなる。

「だ、大丈夫。本当になんでもないから」

康平だけでなく自分にも言い聞かせるようにもう一度「大丈夫」と口にして、彼を見上げて微笑んで見せた瞬間。

「萌」

忘れたくても忘れられない声が、萌の名を呼んだ。

初めて会った時、名前を呼ばれただけで意識が彼に攫われたように、今もまた『なんとかやりすごそう』と立て直した気持ちが砂の城のようにサラサラと崩れていく。

振り向いてはダメだとわかっているのに、どうしても逆らえない。

ふたりで過ごした日々を何度も夢に見るほど今でも心に強く想っている晴臣が、萌を呼んでいる。

壊れたロボットのようにギギギと音がしそうなほどゆっくりと声のした方を向くと、晴臣が真っすぐな眼差しでこちらを見つめていた。

三年前、身を切る思いで彼に別れを告げた。

秋月工業の不正に気付き、告発すると決めた以上、桐生自動車とのかかわりは断ち切っておいた方がいい。翔子や玲香だけでなく、健二までもが婚姻で縁続きになったのを理由に晴臣に援助を求めて迷惑をかけるのではないかと恐ろしかった。