さて。腹を満たして食器の片付けが終わったら、おれの恋語り再開や。

 鹿児島におるっちゅーヒデのじいちゃんだかばあちゃんだかから送られてきたという知覧茶を飲みながら、おれはゆっくりと語り始めた。

「……女神は、上野公園の中をひたすら走った。そのフォームはオリンピック陸上短距離の金メダリストさながらであった」
「……そうなんだ」

 黒縁メガネのレンズを曇らせながら、ヒデが茶を啜る。なんや縁側感あるな。ほんまにまだ18歳なんか?

「女神の足は速かった。追いかけても追いかけても、その背中は近づかない。50m6秒5のおれが追いつけないほど、女神は俊足だったのだ」
「へぇ、6秒5なんだ。浅尾の方がちょっと早いな。ベストは6秒2だったし」

 いやお前どんだけ浅尾っちラブやねんッッ! あんな人知を超えたスーパーマンといちいち比較すな! てか浅尾っちは足も速いんかいッ! 勝てるとこなさすぎィ!
 
「ヒデ! 話の腰をおらんといてやッ!」
「ご、ごめん。それで、6秒5がどうしたの?」
「せやから、女神は俊足やねん! めっちゃブワー走ってな! そんで入っていったのが! なぁんとぉ!」

 おれは立ち上がり、ちゃぶ台に片足を乗せて見得を切った。歌舞伎役者アゲイン!

「そこはッ! なんとぉッ! 藝大のキャンパスであったッッ!」
「相手、藝大生なんだ。美校なの?」
「……いや、音校の方や。しかもそこで見失ってしもた」
「音校かぁ……なんか俺たちとは世界が違う気がするんだけど」

 前にも言うた通り、音校にはリア充キラキラオーラが充満しまくっとる。空気がまったくちゃうねん。生まれた時から楽器や声楽を嗜んできたっちゅー連中ばかりやしな。“それなりの家柄”の人間が多いのも事実や。

 片や、おれら美校の生徒は基本的に年中汚い。いやこれは言い方に語弊があるかもしらんが、絵描いたり木を彫ったりするからな。絵の具や墨、木屑だらけの連中がウロウロしとんねん。そやし、たまに音校の生徒とすれ違う時は気をつけなあかん。綺麗なおべべを汚したらアカンしな。

 もちろん、それはキャンパス内だけやで。汚いのは作業用の格好やしな。ちなみにおれとヒデは、絵を描く時にツナギを着とる。ヨネは割烹着、浅尾っちは白衣や。日本画は体より袖のが汚れやすいんやで。

 まぁとにかく。美校と音校では、確かに“世界が違う”感じがあるかもしらん。駄菓子菓子! だがしかし! そんな事で怯んでいては本気の恋など出来ぬッ!
 
「ヒデ! そんなん言うてたら、お前は一生チェリーボゥイやぞ!」
「そ、そんな事言われても。別に大学で出会いは求めてないし……」
「アホゥ! 大学のキャンパスこそが恋の花舞台やろがッ! おれはやるで! 音校で、あの女神を探すんや!」
 
 おれらの愛は校舎で引き裂かれるようなものやない! 必ず女神を見つけられるはずや! そう、何故ならこれは運命だからッ! ディスティニー!