病気が発覚したのは、ちょうど、季節性の感染症が流行する2月だった。

体調を崩した私は、何日か高熱が続いて、病院へ行った。
信じられないくらいの高熱で、身体の節々が痛んで苦しかったことを覚えている。

今年の感染症は酷い。
やっぱり運動をしていないから、免疫下がっているのだろうか……。

そんなことを考えながら、病室で寝ていた私。

扉が開かれて視線を向けた先には、真っ青な顔で無理やり口角を上げる母が立っていた。

その、絶望を感じさせるような表情を見るのは、初めてではなかった。

小学生4年生の私に、小児がんが見つかった時、母は全く同じ表情で、私に笑いかけたのだ。

だから、それだけで、何となく分かってしまって。
なんだか、力が抜けた。

運動不足だなんて、そんな簡単な原因じゃなかったんだ。それなら、苦しくて当然だよね。

気づかないうちに再発し、あっという間に骨や血液にまで転移した癌はかなり進んでおり、既に手の施しようがない。余命は半年。

隠そうとする母を説得し、父から無理やり聞いた診断結果は、噛み砕くと、そんな内容だった。

「澪音……ごめんね、健康に産んであげられなくてごめん」

この涙が見たくなくて、小4からの3年間、辛い闘病生活を耐え抜いたのに。

中学からは学校へ行けて、やっと、私の人生が始まると思ったのに。

まさか2度目があるなんて。
それに今度は、希望すら無い……。

闘病生活を経験した上で受けたその宣告は、絶望を知るには十分だった。