そのあとのことはあまりよく覚えていない。

 逃げるように帰ってきてしまったからだ。顔が耳まで真っ赤だったらしく、「体調が悪い」というミレイナの言葉を誰もが信じてくれた。

 気がついたら、ベッドの中にいたのだ。いつもの寝間着と黒猫をモチーフに作られた大きな抱き枕。
 ミレイナは抱き枕をぎゅっと抱きしめた。

(わたくしったらなんてことを……!)

 罰ゲームは練習中の話で、今日は関係ないと自分の中で決着がついていたはずだ。セドリックに言われてもとぼけて流すこともできた。

 それなのに、ミレイナは自らの意志で彼の頬に口づけてしまったのだ。

 頬の柔らかい感触を思い出して、ミレイナは抱き枕を更に強く抱きしめる。腰の部分が潰れて苦しそうだったが、気にしてはいられなかった。

(一人だけ罰ゲームを逃れるなんてできなかったの。そうよ。先生として約束は守るところを見せたかっただけよ)

 何度も言い訳を考えた。

 そう、あの口づけは責任感から。

 本当に?

 頬へのキスなんて挨拶みたいなもの。家族にだってする。セドリックからミレイナにしたことだってある。

 何を恥ずかしがる必要があるのか。

 何度も何度も自分に言い聞かせていたら、朝になってしまった。

 太陽の光がカーテンの隙間から入って来たころ、アンジーがいつものように扉を開ける。

「お嬢様、おはようございます。よいお天気ですよ」
「おはようアンジー」
「お嬢様、目の下に隈がくっきりですよ。大丈夫ですか?」
「なんだか寝つけなくて」

 綿が寄れた抱き枕をもみながら、ミレイナは呟いた。一度考え出したら止まらなかったのだから仕方ない。

 寝ることに集中しようにも、目を閉じても閉じなくても、昨夜のセドリックが頭から離れないのだから。

「昨日はお疲れでしたのに。今日はゆっくり休んではいかがですか?」
「そうね……」

 ミレイナは毎日セドリックの元へと通う。今日も変わらず行くつもりでいた。しかし、今はどんな顔をして会っていいかわからない。

「今日は何もせずにゆっくりするわ」

 仮病を使うことは気が引けたが、それ以上に気まずさが勝った。

 ミレイナは自身の唇をなぞる。

 昨日のセドリックの驚いた顔、柔らかな頬、強い香りのベスタニカ・ローズ。全部がよみがえってきて、ミレイナは再び抱き枕を抱きしめた。


 ◇◆◇


 それから数日、ミレイナは毎日仮病を使っている。