彼の疲れた気持ちは理解できるが、賭けは賭けだ。ミレイナも毎日彼の脛を蹴らないかと不安でいっぱいだったのに、今更なしにはできない。

 それに、みんながセドリックと話したいと思っている。セドリックと同じ年のころの令嬢たちは期待の眼差しで彼を見つめていた。みんなに彼のよさをもっと知ってもらうためにも、この会場に彼を長く留めておかなくては。

(セドリックはかっこいいから当たり前よね)

 ミレイナが誇らしい気持ちになる。自慢の推しが好かれる姿が嬉しくないわけがない。

 ミレイナの両親が待つ場所に辿り着いたが、セドリックはなかなかミレイナの手を離さなかった。

 ミレイナは首を傾げる。

「殿下、どうしたの? 階段を登らないと」

 階段を登り、王族が待っている席までいかなければ宴は始まらない。セドリックは不服そうに顔を歪めた。

「頑張って」
「ああ。またあとで」

 セドリックはミレイナの手を引くと、指先に唇を落とした。

 ミレイナは目を丸めた。そして、会場がざわめく。

 予定になかったはずだ。

 指先への口づけることは挨拶としては問題ない。ただ、目上の女性への挨拶として使われることが多いのだ。王子が一介の令嬢にするような挨拶ではない。

 セドリックの意図はわからない。ミレイナがセドリックの師であると、周囲に意識させるものなのか、それとも他に何かあるのか。

 ミレイナが何か言う前に、セドリックは背を向けた。家族の元へと階段を登っていく。

 兄がミレイナにそっと耳打ちした。

「おまえら、とうとう婚約したのか?」
「お兄様ったら、そんなわけないでしょう? 冗談でも言ってはだめよ。殿下の恋はこれから始まるのですもの」
「その言葉を殿下が聞いたら怒ると思うけどな」

 兄は肩を揺らして笑った。

 たしかに人嫌いであるセドリックに、恋をすると言えば怒るだろう。けれど、生涯人嫌いであるわけがない。

 原作では社交デビューの舞踏会で出会い、セドリックとシェリーの物語が始まる。人生何があるかわからない。

「お兄様は殿下のことを全然わかっていないのよ」
「一番わかっていないのはミレイナだと、俺は思うが」
「わたくしが一番、殿下の近くにいるのに?」
「近すぎて見えないことってあるよな」

 兄妹で睨み合っていると、義姉がそっと二人を制す。ちょうど国王の挨拶が始まるところだった。

 つい、彼に口づけされた指先を見てしまう。

 最近のセドリックは少しおかしい。お年頃だからと簡単に片づけていいのかわからず、困惑しているところだ。