彩葉(いろは)、来週になったら結婚しよう」

 そうプロポーズをしてきた彼は、一世一代の告白には程遠くて「コンビニ行ってくる」ぐらいの軽いノリだった。
 プロポーズの言葉も私が夕飯の用意をしているところでタイミングも微妙。でも二年前に両親を亡くした天涯孤独の私にとって、彼の言葉は胸が温かくなった。

 カフェの店長兼オーナーの森川大雅(もりかわたいが)は私の料理をテーブルに運びつつ、答えを待っていた。気恥ずかしいのか、少しだけ顔を俯かせているが耳が赤い。もしかして自分でもタイミングを間違えたと思っている?

 彼は私より二つ上でカフェの店長兼オーナー。私の仕事が軌道に乗るまで、親友の勧めで彼の店で一年ほどバイトをしていた。それからお付き合いが始まって……人付き合いも上手く、甘え上手だけれど、真剣な話になると途端に言葉がまごまごしているというか、歯切れが悪い。

「あー、ごめん。完全にタイミングを間違えた! ほら、えっとレストランの予約が取れたから、それを誘おうと思って……話しかけたつもりが……あー、プロポーズの言葉を言うなんて……」
「大雅、嬉しいわ。……えっと……答えは今のほうがいい? それとも来週まで待つ?」
「彩葉ぁ〜。ここで来週まで待たせるって俺を寂死させる気? ……いやこの場合は、焦らしプレイ?」
「大雅のプロポーズのタイミングと言い回しの軽さ的に、そのぐらいの緊張感があってもいいと思うけど?」
「彩葉ぁ! ごめんて! 本当は夢の国でのプロポーズも考えたんだけど、考えすぎて……」

 夢の国? 大雅と行ったことがなかったけれど……記念に行こうと提案してくれたのかな?
 だったら嬉しいかも。

「ふふ、プロポーズはお受けします。これでいい?」
「彩葉!! ああ、嬉しいよ。これで俺のモノになるって胸を張って言える!」
「そんな胸を張る展開なんてあるの?」

 浮かれて抱きつく大雅に、私も笑みが溢れる。大雅と家族……に、なる。なんだか実感がない……。

「じゃあ再来週には婚姻届……いや、この際明日にでも届けを貰ってくるよ」
「え!? その前に、まずはご両親の挨拶でしょう?」

 それまで和やかな空気が、一瞬でひりついたものに変わった。大雅はあからさまに不満そうな顔を見せる。

「それ必要かな? 今のご時世、両親に結婚報告なって時代錯誤すぎないよ。家族になるのは、俺と彩葉だろう」
「そうだけど……」
「それに前にも言ったけど、実家は北海道の奥地で、飛行機で移動からさらに電車と車を使っていくから……。お互いに店の切り盛りをしていると、時間を捻出するのは難しいだろ」

 自分の思い通りにならないと不機嫌になるところは、出会った頃から変わらない。普段なら私が折れるけれど、結婚は私たちだけの問題だけじゃないわ。
 お父さんたちのお墓参りもしたいし……。

「私の両親の挨拶はお墓参りにするとして、結婚式をするかどうかは別にしても、大雅のご両親への挨拶は必要だと思うわ。たとえ疎遠であっても、一度は会っておかないと後で、色々と小言を言われる可能性があるでしょう」
「彩葉〜」

 私が頑なに意見を変えないでいると、彼は甘えた声で私を後ろからギュッと抱きしめる。これに私は弱い。でも折れる気はないわ。

「そんな声を出してもダメです」
「俺、結構頑張ってプロポーズしたんだけど?」
「それはありがとう。嬉しいけれど、なあなあのはしたくないのよ。両親の遺言にもあったし」
「遺言? 俺一度も見せてもらってないけど? もしかして、この一軒家と店以外にも不動産とかあるとか?」

 しまった。
 両親が亡くなった時に大破は、バイト先の同僚だった。恋人になっても遺産関係の話は、してこなかった。もっともセンシティブな内容なので、今まで大雅に話したことはなかったけれど結婚するなら──と口走ってしまった。
 でもこれで結婚に対する意識が変わってくれるといいのだけれど。
 私は笑顔で曖昧に答えた。

 この時の私はプロポーズに、少なからず浮かれていたのだ。遺産という言葉が人を狂わせるなんてドラマか映画の世界だと思っていたからの──。