しばらく抱きしめられていたが、落ち着いてくるととても恥ずかしくなってきた。私は見ず知らずの人になんてことをしてしまったのだろう。

「あ、あの……」
「もう、落ち着いた?」
「はい……す、すみませんでした」

 そっと抱擁をといた彼に羞恥心を隠すように小さく笑って「ありがとうございます」と礼を言う。
 すると、彼の目が見開かれた。

「君の笑顔、今すぐ描きたい! ビビッときた!」

 背負っていたリュックを漁りながら、「絵のモデルになってくれない!? 俺、画家の真似事をしているんだ」

 そう言って彼が見せてくれたのは、私がSNSで掲載されていた絵。そのアカウントでは、色彩が豊かでダイナミックで、明るい気分になれる絵がたくさん公開されている。通勤時間によく眺めていて、今日も電車で見たばかり。作者は『SATO』としか名乗っておらず、性別さえ分からなかったのだが、こんな素敵な男性が描いていたなんて。

「この作品! 私フォローしてます……! 大好きです!」
「本当に? ありがとう。嬉しいよ」
「あの、でもモデルだなんて私……」
「そんな大層なものじゃないんだ。プロとして活動しているわけでもないし。気軽に受けてくれたら。そうだ! 今ちょっとデッサンしてもいい?」
「は、はい……」

 彼はそそくさと背負っていたリュックからスケッチブックと鉛筆を取り出した。私に座るよう指示して、自分も目の前に腰掛けると一瞬で真剣な顔に変わる。
 学生時代は自分が『書く側』だったので、『書かれる側』になるのはとても恥ずかしい。
 でも、毎日通勤時間に元気をもらっていた、あの『SATO』さんに描いてもらえるなんて、夢のようだ。冷え切った身体が、憧れの画家さんに会えたことで高揚感を増していく。

 海風が優しく頬を撫でる。
 空には星が瞬き始めた。先程までの暗い気持ちが、きらめき始めた気がしてくる。落ち込んで座り込んでいたはずの私は、心を躍らせながら頬を高揚させていた。