「灯の本当のお父さんは借金をしてたの。うちのパパが代わりに返したんだって」
「うそー! ほんとにー?」
「それなのに灯ったら私にいじわるするのよ! おうちで繭はいじめられてるの!」
「えー! ひどーい!」
「灯ちゃん最低!」

 繭は、小柄な可愛らしい見た目で友達も多かった。一方で私は背が高く友達も少ない物静かなタイプ。学年が違うはずなのに繭は私の周りに現れては、「私が繭を自宅でいじめている」という、ありもしない被害を訴えるようになった。学校でひっそりと打ち明けては同情を集め、私の数少ない友達を奪っていく。先生にバレると叔父夫婦に連絡が行き嘘だと発覚する為か、「先生には言わないで」と口止めするのだ。それが『健気で可哀想な繭ちゃん』と印象付けられ、噂として広まっていった。その効果は絶大で、あっという間に私の学校での居場所は無くなった。
 
 中学生になり、一学年差の繭と学校が離れたことで少し楽になった。同じ小学校出身の子達が広めた噂のせいで相変わらず一人だったが、特に困りはしなかった。美術部に入部し、一人で黙々と絵を描く日々。画用紙と鉛筆でひたすら線を引くその作業が、とても心地よくて、絵を描くことが好きになった。

 だが、中学二年生に進級すると、当然繭が入学してくる。そこからは予想通り辛い日々が戻ってきた。奪われる友人はいなかったが、陰口や嫌がらせが増えていった。その頃は、叔父夫婦が仕事に忙しく帰宅時間も遅かった。繭も寂しかったのかもしれないが、家でも学校でも繭にいじめられ抜いた日々だった。

 ある日の下校時刻のこと、下駄箱で靴を履き替えていると、知らない男子から話しかけられた。

「小笹灯ってお前だろ?」

 ニヤニヤしながら近寄ってくる。当時友人もいない私は恐怖を感じ後ずさった。だがその男子は面白そうに顔を覗き込んでくるのだ。何故私に話しかけてくるのだろう。同じクラスではない男子だ。その笑顔がとても気持ち悪くて『好意』ではないことは直感的に分かった。怖い。震えて声が出ない。

「俺ら暇してるからさ、ちょっと相手してよ」

 意味が分からなかった。何を言っているのか分からず顔を上げると、一人ではなく数人の男子に囲まれていた。皆ニヤニヤと笑っていて、身体が震える。一人の手が伸びてきて私の手首に触れた。ぐいっと引っ張られた瞬間、思わず「いや!」と叫ぶことが出来て、思い切り振り払い全速力で逃げたのだった。

 繭が、『灯はお金をもらって男性と遊び歩いている』と嘘の噂を流し始めたのだ。男子からいやらしい目で見られたり、軽蔑の視線を感じたり、先生に注意を受けることもあった。嫌がらせも陰口もエスカレートしていく。誤解だと言っても誰の耳にも届かなかった。
 私は、逃げて逃げて、避けて、美術室で息を潜めて生活していた。

(早く、大人になりたい……)

 叔父はとても優しく、私を大切にしてくれていた。学校から連絡が来ても、『灯はいい子です。そんなことするはずがない』と信じてくれていた。帰宅時間が繭よりも早いのだ。私の無実は明らかで『根も葉もない噂だからそのうち収まるよ』と言ってくれた。
 しかし、噂を流した張本人が繭だとは到底言えるはずがなかった。学校での辛い日々も一人で耐える毎日。早く大人になって自立して、小笹の家を出たい。そして叔父に恩返しをしたい。卒業を心待ちしながらひたすらに絵を描いて残りの中学生活を過ごした。

 私の学生時代は、この繰り返し。

 平穏な時間はごく僅かで、繭が私の世界を壊すのだ。友人が出来ても離れていき、憧れた先輩や好きな人は、みんな繭の彼氏になった。『灯はお金を盗んでくる』とか『男に見境なく盛る』とか意味の分からない根拠のない噂を立てられて、周りから人が離れていく。それを繭は遠くで眺めながら笑っているのだ。

 ひとときの幸せを知るからこそ、後の絶望がつらい。まるで、私が小笹家に来て繭の幸せを壊したのだと言われているかのようで。
私は幸せになってはいけない。きっと壊されてしまうから。壊してしまうから。

──分かっていたはずなのに。