***

 出社すると、社内が物々しい雰囲気に包まれていた。何があったのか他の社員に聞こうとしたが、課長からすぐに社長室に向かうよう言われ、事態が掴めないまま急いで向かう。社長、つまり叔父さんは何故直接私に言わないのだろうか。言う時間がないということか。だとすれば、何か緊迫した状態なのかもしれない。

 急いでエレベーターに乗り込み、社長室を目指す。

「なんでこうなる前に相談しなかったんだ!?」
「も、申し訳ございませんっ!」

 社長室に入ろうとしたと時、いつも温厚な叔父が激昂している声が漏れ聞こえてきた。相手は雅人さんだ。一体何があったのだろう。
 繭は雅人さんの側でオロオロとしていたが、入室した私の姿を見て、ニヤリと笑った。
 その瞬間、ゾクリと背中が泡立つ。

「お父さんいいじゃない! 灯お姉ちゃんに良い縁談をいただいたんだし」
「繭! お前……!」
「私は何もしてませーん。雅人さんが勝手にお姉ちゃんの責任にしただけよ」
「!?」

 得意先の注文票に誤りがあり、営業担当の雅人さんが見落とした。事務担当は繭なのだが、繭を庇いたかった雅人さんが、全て私の責任だと得意先に説明したようだ。しかも、得意先だって数字を見落とした責任があるにもかかわらず、全ての損失を我が社で持つと約束してしまっていた。大事な得意先だ。そんな約束をしてしまって、今更取り消しにはできない。

 慌てて社長である叔父が出向くと、今度は「損失は小笹灯を嫁によこせば不問とする」と条件を出してきたそうだ。

 繭がこの一連の流れのどこからどこまでを企てたのか分からないが、私への嫌がらせに会社を巻き込むだなんて。

 叔父は秘書と繭、雅人さんを下がらせ、私だけを残した。二人きりになると、叔父が深々と頭を下げた。

「灯、すまない!」
「おじさん! 頭をあげてください!」
「私が気付いた時には、あちらの会社に灯の責任だと伝わってしまっていたみたいなんだ。私も説明に言ったんだけど、『灯を出せ』の一点ばりで……」

 このままでは会社の損失は数億円。叔父の会社が傾いてしまう。今こそ、叔父に恩を返す時だ。

「私行きます」
「しかし!」
「とりあえず先方にお会いしてきます。私からも説明すれば、ご理解いただけるかもしれないので」
「……っ。すまない……」

 きっとそんなにうまくはいかない。得意先はあの、『相模原商事』だ。あの社長はことあるごとに私を蛇のような目で見てくる人だ。諦めてはくれないだろう。震える手を握りしめ、涙が目に浮かぶ前に、にこりと笑って社長室を出た。聡さんの顔が頭から離れなかった。