魔術師ありきの世界になってしまう恐れがあるからだ。

「人間の世界で起きたことは人が対処すべきであり、魔術師は見守ることに徹する。それが“叡智の塔”の方針であるし、ボクもそれが正しいと思っているよ。しかし、それで済まない事が起きることもないわけじゃない。良かったらこのギルドの冒険者たちに現在何が起きているのか教えてもらえる?」

「はい、実はかなりまずい状況になっていまして……。それではご連絡しておりました本題に入らせていただきます。まずはこちらをご覧ください」

キルシュの言葉を受けてディーゼルはテーブルの上に地図を広げると、ディリンゲンの町から街道沿いに南にある場所を指し示した。

「ここに遺跡があります。眠れる竜の遺跡と呼ばれる遺跡でして、既にほとんどのエリアが冒険者によって探検し尽くされています。現在は初心者冒険者たちが魔物との戦闘訓練を目的として向かうような場所になっています」

世界各地に眠る古代魔法帝国期の遺跡はダンジョンと呼ばれ、冒険者たちが発掘調査のために向かう場所になっている。

ダンジョンからは帝国期に使われていた魔道具の他に、神秘の遺物アーティファクトが眠っているからだ。

しかしその宝物の魔力が引き付けるのか、地上に比べて遥かに多くの魔物が生息する危険地帯でもある。

「一か月前からEからDランク、いわゆる駆け出し冒険者たちのパーティーがこの遺跡の中で行方不明になる事件が多発しました。最初は遺跡の魔物にやられたのかと思い、捜索隊を編成したのですが……」

「探索隊も行方不明に?」

俺の問いにディーゼルが頷く。

「はい、今から二週間前に行方不明者を捜索するためCランクパーティーの冒険者たちに依頼を出したのですが、今度はその冒険者たちとも連絡が取れなくなる始末でして……」

冒険者のランクとは彼らの実力を大まかに証明するものである。

ランク相当の魔物をパーティーと呼ばれる三~四人の隊で討伐することなどが条件となり、それを達成することで認定される(上位ランクとなると、ギルドの依頼を一定数達成していることなど複数の条件が課せられるようになる)。

「複数のCランクパーティーが遺跡にいったきり戻ってこないという異常事態に陥りました。ここに至って私は当ギルドの戦力だけでは事態の収拾は不可能と判断し、付近の冒険者ギルドに救援依頼を出しました。これは事態を甘く見て初動の判断を誤った私の失態です……」

ディーゼルは膝の上で指を組みながら、深くため息をついた。

遺跡など危険な場所を探索する冒険者の中に犠牲がでることは珍しいことではないが、複数の冒険者パーティーが全て行方不明になるのは確かに異常事態だ。

「現在、眠れる竜の遺跡の入り口を封鎖し、誤って冒険者が立ち入ることがないよう見張りをつけています。そして近隣の町と王都のアルテンブルク王国冒険者ギルド本部から数日中には高ランク冒険者パーティーによる応援がくる予定です」

「しかし今はその待ち時間が惜しくもあるね。もしもその行方不明になった冒険者たちの中に生存者がいるのであれば、時間をかければかけるほど生きている可能性が低くなるよ」

キルシュの意見は正しい。

救援予定の冒険者パーティーが到着するのにあと数日もかかるのであれば、生存者の救出はほぼ絶望的といっていいだろう。

ディーゼルもその事は十分理解しているようで、苦悩に顔を歪めて言葉を口に出した。

「キルシュ師の仰る通りです。可能であればすぐにでも救援を出したい。しかし、当ギルド所属の最高ランクであるBランクパーティーの冒険者たちは現在遠征しており、呼び出してもすぐに戻ってもらうことができません」

地方の冒険者ギルドは依頼の難易度や報酬の差異により高ランク冒険者の所属が少なく、王都など都市にある大きな冒険者ギルドに偏りやすい(高ランク冒険者には時として国家からの下される特別依頼が発生することもある)。

ちなみに冒険者の最高ランクはAである。

「今この町に一人Bランクの冒険者が逗留しておりまして、彼にも救出依頼を引き受けてもらっています。しかし、ギルドに残っているCランク冒険者とパーティーを組んでもらって依頼にあたってもらおうかと思ったのですが、自分より能力の劣る冒険者と組まされるのは嫌だと彼が難色を示していましてね……」

確かに実力に差がある者同士が組むといろいろとやりにくくなることがあるのは事実だが、魔物の巣窟である遺跡に一人で乗り込むのも危険すぎる。

ディーゼルが悩む理由も理解できたが、キルシュは不敵な笑みを浮かべて告げた。

「それなら話は簡単だね」

「キルシュ師?」

「ボクたちであれば彼より能力が劣ることはないよ。遺跡にはボクたち二人でいこうかと思っていたけれど、初めての遺跡ともなれば不案内な場所だから案内役がいてくれると助かるね。その冒険者クンは遺跡について詳しく知ってるのかな?」

「はい、彼がまだ低ランクの頃は何度も通っていました。昔はうちのギルドの所属でしたが、Bランクに昇格してからは王都のギルドに転属しています。名前はディートリヒといいまして、頼りになる奴です。お引き合わせしましょうか?」

「うん、お願いするよ」

その時、ドアからノックの音がして先ほどの受付嬢が茶器が乗せられたワゴンを引いて応接室に入ってきた。

「お待たせしました。お茶をお持ちしました」

「ちょうどいいところにきてくれた。確かディートリヒの奴は酒場にいたな」

「はい」

「応接室に呼んできてくれ」

「かしこまりました」

ディーゼルの指示を聞いた受付嬢は、お茶の準備を済ませて退出する。

カップを持ち上げて顔に近づけると、花や果実を思わせる華やかな芳香が俺の鼻孔を刺激した。

蜂蜜を溶かしたような黄金色の液体を口に含むと、瑞々しく爽やかな風味が口の中に広がる。

「これは春摘みの一番茶ですか?ディーゼル殿はお茶にこだわりをお持ちのようですね」

「おお、よくご存じで。茶は私の趣味でしてね。この茶葉は東方のアシェベックより取り寄せました。こういうものを手に入れられるのは交易都市であるディリンゲンの恩恵ですね。ザイフェルト殿は茶に造詣が深いようですな」

「ザイは食べ物やお茶にこだわりがあって、味と香りに結構うるさいんだよ。そこまでこだわらなくてもいいと思うんだけどねぇ」

「その恩恵にいつも浴しているあなたがいっても説得力に欠ける気がしますが……」

俺は味覚や嗅覚がやや敏感らしい。

食べ物や飲み物の感想を口にするとキルシュはザイはこだわりがすごいよねと面倒くさそうな顔をするのだが、それにしてはあの料理が食べたいなどいろいろ注文をつけてくるので矛盾している気もする。

こだわりがなくては美味い物にめぐり合うことができないと思うのだが……。

そんな取るに足らない話をしていると、応接室のドアが開き青年が一人入室してきた。

「マスター、呼ばれたからきたぞ」

「来たな。キルシュ師、ザイフェルト殿。こいつがBランク冒険者のディートリヒです。ディートリヒ、こちらの方々は魔術師のキルシュ師と護衛士のザイフェルト殿だ」

俺より少し年上だろうかやや険しい目つきをしており、身長は180㎝弱、体つきは筋肉が引き締まった戦士のもの。